Home / Mono / 【コラム】史上最大の戦艦「大和」と日本人 ―現代へと続くDNA―

【コラム】史上最大の戦艦「大和」と日本人 ―現代へと続くDNA―

Copyright © 大和ミュージアム

徳之島ノ北西二百浬ノ洋上、「大和」轟沈シテ巨体四裂ス

水深四百三十米

今ナオ埋没スル三千ノ骸

彼ラ終焉ノ胸中果シテ如何

――吉田満『戦艦大和ノ最期』

 

2015年3月2日、フィリピン・シブヤン海底、

約70年の刻を経て、

世界最大の戦艦「武蔵」が発見され、話題となった。

 

記録にもとづき、これまでも調査は行われたが、

発見には至らなかった。

沈没途中、自らの重さと浮力が釣り合い、

今でも世界中の海を彷徨っている――という説もあったくらい。

 

武蔵と同型艦、日本海軍の象徴であり、

国家の命運をかけた艦船が戦艦「大和」である。

 

大和は1941年完成。全長263メートル。建造費は、当時の国家予算の約4.3%で、現在で4兆円以上の規模になる。

主砲の射程は42キロ。東京から厚木まで届く距離である。

当時世界最大の戦艦であったというだけでなく、

現在まで大和を超える戦艦は作られていないから、

史上最大の戦艦ということになる。

 

yamato-2
Copyright © 大和ミュージアム

 

1945年4月7日、

「海上特攻」と言われた作戦で、沖縄に向かう途上、

400機近い米軍機の波状攻撃を受け沈んだ。

 

当時、海戦の主舞台は、艦船同士の「艦隊決戦」から、

航空機の時代に移っていた。

皮肉にも、その画期は、

真珠湾攻撃、マレー沖海戦等で、

日本海軍の航空隊が証明していた。

 

しかし日本人は、愛憎を抱えつつ、

やはり大和に惹かれている。

広島県呉市の海事歴史科学館は、通称「大和ミュージアム」の名で親しまれ、

4月23日、開館10周年を迎える。

毎年約100万人のペースで来館者が訪れており、盛況が続いている。

このほか、大和を題材とする映画・アニメ・書籍などは枚挙に暇がない。

さて戦後、大和の遺産はどう引き継がれたのか。

 

大和に粋を集めた当時の海軍の技術力は、

戦後日本復興の基盤となった。

 

42キロ先の狙いを定めるための距離測定装置を開発したのは、現在のニコン。

桁外れの大事業の期間短縮・高効率化のために編み出された科学的生産管理法は、

自動車生産や造船、鉄道車両の工法に引き継がれた。

 

戦後、町工場から出発したキャノンで量産体制を作り上げたのは、

海軍工廠(直営の軍需工場)の元技術士官。

ソニーの創業者盛田昭夫は技術将校。

同じく井深大はレーダー開発者。

松下幸之助(Panasonic創業者)は、戦時中、

軍需工場指定を受け、船や飛行機を造っていた。

 

一方、負の遺産。

標準化がなされず、大量生産ができなかった。

オーバースペック、少量生産で単価が下がらない。

 

日本人は、アイデアと技術力に優れ、

高性能の工業製品(≒工芸品)を作ることを得意としてきた。

しかし、費用対効果が上がらず、消耗戦(≒大量生産・消費)にうまく適応できない。

 

操作性の度外視。

熟練の技術者(ユーザー)を前提とするため、養成に時間がかかる。

カタログ的な性能に固執し、

必要十分なユーザーのニーズを軽視しがち。

携帯電話のガラパゴス化など、現在にも通じるのではないだろうか。

<

masa

アナログ系男子

 鹿児島県出身。ニッチな専門誌の記者で将棋好き。