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とにかく東京に出たかった 若女将が山梨に帰って見つけたもの

山梨県山梨市にある「岩下温泉旅館」。ノスタルジックな雰囲気漂う旧館は、1933年(昭和8年)に建てられたもの。国の登録有形文化財に指定された歴史ある建物に入れば、そこは現代の忙しさを忘れられる空間だ。

 

その落ち着いた空間の奥にあるのが、1300年の歴史を持つ霊湯。半地下にある28℃の冷たい源泉は、もともとは地域の人々の共同浴場で、病を治す温泉として親しまれていたという。それを1875年(明治8年)に民間で譲り受け、温泉旅館として始まったのが、岩下温泉旅館。

 

そして今、4代目として旅館を守っていく役目を担っているのが、宮本実佳さんだ。「どうすれば東京に出られるかばかり考えていた」という若女将が語ってくれたのは、山梨に帰ってきた理由とその覚悟だった。


 

 

東京に憧れた温泉旅館の娘

 

「学生のときは、とにかく東京に行きたくて、絶対に山梨なんかにいたくないって思ってて。どうすれば東京に行けるかって、そればっかり考えていた気がする」

 

そう言って笑う宮本さんは、着物姿がよく似合う「岩下温泉旅館」の若女将だ。今ではすっかり温泉の顔である宮本さんも、22年前は東京に憧れる普通の女子学生だった。

 

「いろんな世界が見てみたかっただけなんだと思う。当時は、山梨で買い物するのもデパートが2つくらいしかなくて、すごく閉鎖的な感じがして。『東京に住んでみたら、どんなふうなんだろう』って希望を持ってましたね」

 

小さい頃から、自分の家が温泉旅館。どこからが家で、どこからが旅館かわからないような生活をしていた。両親は土日が忙しいので、平日学校を休んで家族で出かけることもあった。

 

「でも、それが普通だったから。『自分もいつかこうなるのかな』ってなんとなくは考えていたけど、親から直接何かを言われたことはなかった」

 

跡を継ぐ話もないまま、宮本さんは大学進学を機に念願の東京に住み始める。大学では経営学を勉強しながら、サークル活動など普通の大学生としての生活を楽しんだ。卒業後も山梨に帰るという選択肢はないまま、都内のホテルに就職する。

 

海外のミュージシャンも宿泊するという老舗のホテルでの仕事は、シフト制とは言いながら始発や終電が続く生活。宮本さんの心も身体もだんだんと疲弊していったという。

 

「今までの人生で初めての挫折だったんですよね。もうなんか疲れたなって思ったら、山梨に帰りたくなっちゃって」

 

東京で転職するのではなく、一度山梨に帰ることに決めた。「継ごうと思って帰ったんじゃなくて、一度休んで新しいことをしようと思っていた」という宮本さんだったが、出たくてたまらなかったはずの山梨に残ることになる。

 

 

気付いてしまった「時代の流れ」

 

東京での生活に疲れてしまい、山梨の実家に帰ってきた宮本さん。しかし家でもあり仕事場でもある温泉旅館で、自分だけ休んでいるということはできなかった。せっかく帰ってきているからと少しずつ手伝い始めると、学生のときにはわからなかった内状が見えてきた。

 

 

「その頃、ちょうどインターネット予約ってものが出てきていてポータルサービスへの参画のお誘いもあったんです。でも両親はそういうものが、チンプンカンプンなわけですよ」

 

 

ずっと常連さんの電話予約というアナログな方法でやってきていた岩下温泉旅館。しかしお客さんが高齢化して、なかなか足を運べなくなっているなか、宮本さんは時代の流れと共に旅館の側も変わっていく必要性を感じた。

 

インターネット予約に加えて、宮本さんが始めたのは「いちご狩り付きプラン」や「ワイナリー工場見学プラン」など、温泉旅館に泊まりながらも地元の特産品や人々と触れ合えるプランだ。観光農園とコラボするのではなく、地元の普通の農家さんとの関係を築くところから始めた。

 

「今までは、そういうものすら必要なかったんです。でもこっちから仕掛けていかないと、だんだん予約が入らなくなってしまう。昔は夏休みや冬休みは予約でいっぱいだったけど、今は海外も含め、行くところがたくさんありますからね」

 

何百年と続いてきた今までのやり方を変えていくのに、一体どれほどのパワーがいるのだろうか。

 

 

「辞めちゃいたくなったことなんて何度もありますよ。父親とは意見が合わなくて『今までやってきたことを変えて、何の意味があるんだ』ってぶつかって。でもね、結局親子だから言えるし、最終的にそれがプラスに働けばいいなと思っています」

 

 

国の登録有形文化財になったことで生まれた気持ち

 

宮本さんがおよそ3年前から始めた「ふるまい湯」も、新しい取り組み。普段は500円の日帰り温泉に100円で入れる、いわゆる感謝デーだ。その日は地元のお店が岩下温泉旅館に集まり、日帰り温泉が小さなお祭り会場となる。

 

「地元の農家さんに野菜やくだものを販売してもらったり、Barスペースではワインを飲みながら醸造家の方たちとワイン談義ができたり。地元の若いコーヒーショップのオーナーが、温泉水を使って源泉コーヒーを淹れてくれるのも魅力ですね。」

 

地元の素敵な人や物がたくさん詰まった「ふるまい湯」。10歳になる宮本さんの息子さんの友達や近所の人など大勢が集まり、毎回賑やかなのは岩下温泉旅館が地元に根づいている証拠だ。

 

 

「ふるまい湯はね、この建物が国の登録有形文化財になった記念に何かしようって始めたんです」

 

共同温泉を譲り受け岩下温泉旅館として始まった頃、近所の人たちにみかんを配ったりお風呂をふるまう日があったらしい。いつもありがとうの気持ちを伝える、そんな日だったのではないか。誰も詳しくは知らないそんな話から、今の「ふるまい湯」は生まれた。

 

「やっぱりここが国の登録有形文化財として認められたっていうことは、ちゃんと続けていかなきゃってことだと思ったんですよね。そしてそれを、自分の気持ちとして固めたかった。『ふるまい湯』を通して、改めてみなさんにこの気持ちも、岩下温泉旅館のことも知ってもらうところから始めたかったんだと思います」

 

 

地元から受け継いだ温泉を、大切に守っていく。子どもからお年寄りまでが笑顔で集まる「ふるまい湯」を見れば、地域の人々にその思いが伝わっているのがわかる。

 

 

「次の世代まで残さなきゃ」自分の進むべき道

 

土日は旅館が忙しいため、家族で出掛けるのはいつも平日だ。息子さんは「土日に出かけたい」と言ったことはないという。幼い頃の宮本さんのようにその生活が当たり前なのと同時に、地元に愛される温泉旅館が誇らしいのかもしれない。

 

「息子が生まれて、『次の世代まで残していかなきゃ。この子の、その先の世代まで』っていう思いが強くなりましたね。自分ひとりだったら『もう辞める!』って言えたことも、結婚して家族が増えて、もうこれが人生の進むべき道になったのかなと思ってます」

 

両親から言われたことはないという「継いでほしい」という思い。今、母となった宮本さんにはあるのだろうか。「どうかな……」と言いながらも、答えは決まっているようだった。

 

「やっぱり自分自身が『やらなきゃ』って思わないと、続けていくのは難しいと思います。だって大変ですもん。集客は胃が痛くなるくらいだし、将来の心配事も多い。惰性でやったり、やれって言われてできることじゃないのは、私が一番わかっていますから」

 

そう笑う宮本さんには、迷いながらも自分の進む道を決めた、若女将としての凛々しさがあった。「東京に出たかった」少女が、地元に帰って見つけたのは自分の中に芽生えた「やらなきゃ」という覚悟なのかもしれない。若女将は今日も残していきたいもののため、歴史ある温泉旅館でお客様を出迎える。

 


【編集後記】

初めて岩下温泉旅館に伺ったとき、若女将自ら歴史ある温泉の紹介をしてくださり、源泉で淹れたという美味しいコーヒーを振る舞ってくださいました。その言動のひとつひとつから、若女将の大変さと同時に旅館や地元に対する愛情を感じました。地元を身近に感じることができる温泉旅館。また必ず訪れたいと思います。

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ウィルソン麻菜

1990年東京都生まれ。製造業や野菜販売の仕事を経て「もっと使う人・食べる人に、作る人のことを知ってほしい」という思いから、主に作り手や物の向こうにいる人に取材・発信している。刺繍と着物、食べること、そしてインドが好き。