橋場 了吾
1975年、北海道札幌市生まれ。 2008年、株式会社アールアンドアールを設立。音楽・観光を中心にさまざまなインタビュー取材・ライティングを手掛ける。 音楽情報WEBマガジン「REAL MUSIC NAKED」編集長、アコースティック音楽イベント「REAL MUSIC VILLAGE」主宰。

札幌の医師が経験した「国境なき医師団」との衝撃的な出会い

 

日本は戦後70年の間、幸いにも「戦争状態」に突入することはありませんでした。しかしながら、日本を一歩飛び出すと世界中には数多くの「戦争状態」が存在しています。その、世界の「戦争状態」を現地で見続けている医師が札幌にいます。

 

※本記事では一部、ケガ、治療に関わる画像を掲載しておりますため、一部画像を加工しております。

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田辺康さん。札幌徳洲会病院の救急総合診療科の外科医です。東京都出身で進学のため北海道へ、道外からの来訪者への寛容さに感動しそのまま札幌で医者として活動しています。その傍ら、2010年からは「国境なき医師団」(1971年設立・1999年ノーベル平和賞を受賞している「中立・独立・公平」な立場で医療活動を行う民間の非営利団体)の一員としてイスラエル・イエメン・シリアなど多くの紛争地域での医療も行ってきました

 

田辺さんが初めて海外での国際医療援助活動を行ったのは、イラク戦争があった2003年。45歳での決断でした。

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「もともと「海外に行ってみたい」という憧れはありました。世界を旅している方が書いた本を読むことも多かったですね。今の病院の前は外科医として厳しい修行を積むことができる病院に11年いたのですが、今後のことを考えた時にそういえば海外へ行きたいという気持ちがあったことを思い出して。そこですでに海外での救助活動を行っていた友人の医師に相談して、イラクの現場に行くことになりました」

 

そのイラクの現場は、「戦争状態」の地域から少し離れた場所での活動でした。その状態から抜け出してくるであろう難民の救助を想定していたものでしたが、難民の数は予想よりもはるかに少ない5000人程度でした。

 

「当時のフセイン大統領(イラク)が「国から出ないように」という指示を出したために、市民たちは出られなかったんです。僕らの医療現場にやってきたのは、難民としてイラクにいた他国民がまた難民になってしまったという人たちでした。その現場では3団体が援助活動を行っていて、その中のひとつが「国境なき医師団」でした。」

 

「その時の私は違う団体での参加だったんですが、レベルの差に愕然としました。私たちのチームは、援助に対する意識が低く統制も取れていない素人集団のようなものでした。しかしながら「国境なき医師団」は、紛争地域での医療活動のノウハウがしっかりしていて、ルールや指揮系統も素晴らしいものでした。次回海外で活動を行うときは「国境なき医師団」の一員としてやって来たいと強く思いましたね」

 

 

戦争で起きる被害は「直接的負傷」だけではない

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そして帰国後、札幌徳洲会病院に入り、7年後の2010年に「国境なき医師団」の一員になりました。以後、1か月海外で活動をして3か月札幌で勤務、というサイクルで医療活動にあたっています。

 

「国境なき医師団」の活動は、紛争地域の近い場所での活動もありますし、その地域から離れた場所での活動もあります。紛争での負傷というのは、いわゆる直接攻撃だけではないんです。シリアで活動を行っていたときは、紛争地域から離れた場所での活動だったのですが、運ばれてくる患者のほとんどが家庭での火傷だったんです。これは、紛争が起こったことで質の悪い燃料が横行し、その燃料が暴発することで火傷が起こるという、間接的な負傷です。爆撃を受けた、建物が崩れ落ちてきたという直接的な負傷ばかりではないのが紛争の怖いところでもあると痛感しました」

 

 

「医療従事者や負傷者は守られるべき存在」が世界のルールだが…

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もちろん直接的な負傷の治療にあたることもあります。田辺さんは昨年赴いたパレスチナで、「戦争状態」を体験しました。

 

「自分が治療をしている場所・住んでいる場所が爆撃で揺れ、激しい音が聞こえてくる…これが、パレスチナで生活する人々の日常だと考えると日本がいかに平和かを考えさせられました。初めて近くで爆撃を受けたときは「あっ!」と大声をあげてしまいました。しかし、ほかの経験豊富な医師たちは意外に冷静なんです。」

 

「あとでわかったんですが、イスラエル軍はハイテクなので誤爆の可能性はほとんどないこと、私たちの活動場所・住んでいる場所の位置情報・移動時間はすべて軍に伝えてあること、医療従事者・負傷者の安全は確保すること、などがルールとして存在していたんです。なので、私たちはそういう意味では安心して活動できるはずなのですが、先日アフガニスタンでアメリカ軍による「誤爆」が起こってしまいました。本当に「誤爆」であることを信じたい…そうでなければ、あってはならないことなんです」

 

続きはこちら→後編「医師が活躍する間は平和ではない」―「国境なき医師団」日本人医師語る