「メダカ×福祉事業」。 発足から半年で定員オーバーの超人気ぶり。他の福祉事業所と一線を画す就労支援を展開する株式会社あやめ会に、福祉関係者からの訪問客が後を絶たない。

メダカ販売による工賃の底上げ。さらにメダカの育成、陳列、販売を通じ経済活動のプロセスを体験。そして、自分の好きなことに取り組めるカリキュラム。

着想から10年以上、ついに実現したこの事業モデルへの熱い思いを、株式会社あやめ会代表の青木崇浩さんが語ってくれた。

高木 健太
1995年北海道生まれ。旅行と銭湯、映画が好きです。

何十万人に1人の難病に絶望した20代はじめ

 

もともと福祉の道には興味がなかった青木さん。祖父が会計士、父親が税理士ということもあり、大学卒業後は会計事務所で働きだす。

 

青木さんは学生時代のときからの趣味として、メダカを飼育していた。さらに全国各地の珍しいメダカを写真におさめ、それらを紹介する「めだかやドットコム」というwebサイトを運営。1年間で100万アクセスを記録する超人気サイトになったという。

 

そんなある日、青木さんは何十万人に1人という脳神経と顔面神経が癒着する、顔面けいれんという病気にかかる。

 

「ただ単に運がないと思いましたし、人生に絶望しました」

 

闘病中は常に耳鳴りがし、頭痛とふらつきに悩まされた。さらには三半規管は狂い、顔も歪み、このままでは生きていけないと感じ、27歳のときに危険を伴う開頭手術を決断する。

 

手術後は数年間に渡り、リハビリ生活が続いた。食事が普通にとれるようになり、身体も動かせるようになったころ、webサイト経由で老人福祉施設や障がい者施設からボランティアの誘いがきた。最初は、現在の体では仕事もできないし、やることもないからという理由で活動に顔を出していた。しかし、これが人生の転機となる。

 

ボランティアではメダカの飼育方法などを1,2時間、ときには半日、施設の利用者たちに教えていた。そのなかで、彼らの笑顔に触れ、自分が必要とされていく実感が喜びになり、さらには自信につながっていったという。

 

「僕が与えられることってメダカの飼育方法とか、ほんの少しだけで、それよりも彼らからもらう笑顔だったり、必要とされる気持ちの方が大きいということに気づいたんです」

 

ボランティアを経験していく中で、福祉に対する思いも強くなってきた。そんな中、ある新聞の記事に目がとまる。それは、障がい者が1ヵ月に得る収入は、健常者と同じぐらい働いて数千円、ひどいところでは数百円ということもあるという内容だった。

 

この現状を打開したいと思った、青木さんはとある構想を描き、30歳のときに思いもよらぬ決断をとる。

     

「メダカ×福祉事業」の構想から10年「自信」から「確信」へ

 

メダカの改良品種は1匹、数万円の値がつくものもある。それらを売り、利益を確保することで、障がい者の工賃を上げることが可能だと考えた青木さんは、メダカと福祉をつなげるという着想を得る。

 

とはいえ、当時の青木さんには事業としての福祉について知識がなかった。まず始めたのは老人福祉施設で働くこと。介護についての知識を学び、現場が実際にどれだけ大変な仕事なのか、身を投じて理解したかったからだ。

 

「正直きつかったですよ。給料も安いし、夜勤は2人で50名を見ないといけなかったですし。だけど毎日が楽しかった。それは自分が志をもって取り組んだことだったから」

 

働くなかで大事にしていたことがある。それは「1日1笑い」を絶対に起こすということ。

 

「介護のスペシャリストではない自分が、できることって考えたら人を笑わせることだったんですよ。もともと、人を笑わせるのが好きでしたから。くだらない話や作り話をして、最低でも1日1回、1人ひとり、必ず笑ってもらいましたね」

 

老人福祉施設でのキャリアが5年を経過したときに、とある福祉法人の方から、メダカの飼育方法を教えてくれないか、さらに理事にならないかと誘われる。その誘いを受けた青木さんは重度の知的障害の方を相手にエサやりや水槽の交換など技術支援をメインに取り組むこととなる。

 

「繁殖に成功するのに、だいぶ時間がかかりましたね。水を飲んでしまう子や、こぼしたりする子がいて、ハプニングだらけ。しかし、一度やり方を覚えると、すごく的確に仕事をしてくれるという面も知ったんです」

 

この仕事をする中で、ついに福祉とメダカという自分のルーツをつなげられるという「自信」が「確信」に変わっていった。

 

そして着想から10年以上経ち、40歳を目前に控えた2016年、株式会社あやめ会を八王子に設立することになったのだ。

(写真:あやめ会の店内)
   

自主性を尊重する新しい就労支援のカタチ

 

株式会社あやめ会が障害者の就労事業をスタートした当初、利用者(就労者)の数はたった1名のみだった。

 

しかし、次第に口コミで話題となり、半年後には定員20名を超える就労希望が届くようになった。その人気の秘密は給与面の高さはもちろん、特殊なカリキュラムにある。

 

一般的な就労支援事業所では、企業からの受注作業、要するにボールペンの組み立てや封入作業といった雑務がほとんどで、個人の創造性を発揮する機会がないことが当たり前になっている。一方、あやめ会では、午前をメダカの育成や接客方法などを学部時間に、午後からは自分の好きなことをする時間に充てている。

 

「あやめ会ではメダカを育て、陳列し、販売するという経済活動の流れを体感できる仕組みをつくっています。経済活動の流れが分かると、社会の一員であるというプライドにつながり、やる気につながっていく。午後を自由にしているのは、自分の好きなことをとことんしてほしいから」

 

午後を自由な時間に充てているが、利用者の方は実際に何をしているのだろか。手先の器用な女の子は「あみぐるみ」を作り、また、ある子は「ピアス」を作っている。それらは、都庁や伊勢丹などで販売されており、人気を集めている。

 

「自分がめだかをとことんやっていき、事業になってきたように、みんなも中途半端じゃなくとことんやりましょうと。やっていく段階で、売れなかったりすると、どうやって売れるか考えるんです。そして、売れたらもっとやる気になっていくんです」

(写真:「あやめ会」利用者が作った商品)
   

あやめ会の「福祉革命」を日本中に

 

あやめ会のWebサイト上には「福祉革命」と謳っている文言が書かれている。一見、青木さんの取り組みやキャラクターとは似つかわしくない刺激的なフレーズだが、どんな意図を持っているのだろうか。

 

「メダカと福祉事業の掛け合わせを、他の就労支援事業者の方が良いと感じ、取り入れたいなと思ってもらえたらいいなと。あやめ会の就労支援を取り入れていく方が増え、日本全国に広まっていけば、今の就労支援の形も少しは変わってくると思うんです」

 

適切な賃金を得られるよう付加価値の高い事業をつくり、個人の自己実現につながるように創造性を伸ばせるやり方をつくる。それを広めていくことが、青木さんがあやめ会を通じてつくる「福祉革命」だ。

 

そんな青木さんの元には、あやめ会の就労事業を取り入れたいという声がすでにいくつも寄せられ、秦野や北野など複数の事業所が立ち上がっている。2018年6月には、日野に第2の就労事業所「メダカフェ」も開業予定だ。

 

あやめ会の「福祉革命」は着実にその一歩を踏み出している――。

 

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