庄司 智明
ライター/編集者。2017年7月から、70Seeds編集部に所属。「地方」「働き方」「テクノロジー」などの取材を通して、色んな生き方について考えています。誰かの挑戦の後押しになってくれると嬉しいです。

「挑戦することに人としての価値がある」 外資系半導体メーカーの日本法人社長を務めていた川上誠さんは、いつも飲み会の席で後輩にこう言い聞かせていた。

 

そう言いながらも、一方では自分自身の今後のキャリアに悩んでいた時期でもあった。

 

株主や社員のために、売り上げや利益を追求するのはたしかにエキサイティングだ。しかし「世のため、社会のために生きることが、いずれ自分のためになるだろう」という思いが、自分の中で日々強くなっていくことにも気づいていた。

 

そんな思いに衝き動かされ、川上誠さんは2013年に長男の雅史さんと高齢者自立支援活動を目的とした特定非営利活動法人「ソーシャルハーツ」を立ち上げたのだった。 (写真提供:ソーシャルハーツ)

 

川上誠さんプロフィール

サンダーバード国際経営大学院修士課程修了。1979年にIntel本社入社。1988年ザイコ―ジャパン設立以降、23年間ザイログ、ザイリンクス、チャータードセミコンダクター、リアルテックセミコンダクターなどの外資半導体メーカー日本法人社長を歴任した。2012年ハーバード大学特別研究員に就任。2013年にソーシャルハーツを立ち上げた。

 
   

大槌町を選んだ理由は「アクセスが悪いから」

 

川上誠さんが立ち上げたソーシャルハーツは、主に岩手県大槌町の一人暮らしの高齢者を対象に、認知症の一次予防に効果がある「脳トレーシニアハーツ教室」を展開している。

 

脳トレとして選んだのは「数独パズル」だ。数独パズルは、知的好奇心を促し、熱中しやすい上に、達成感や満足感が得られやすい。また仲間とも一緒に楽しむことができ、コミュニケーションの促進にもつながるため、脳トレとして非常に効果的と感じたという。

 

大槌町は、東日本大震災の中でも特に大きな被害を受けた地域である。中心部が津波で流されただけでなく、町長や役場職員40人を含めて1385人の人々が犠牲となった。

 

「2011年9月、陸前高田市や南三陸に初めて足を踏み入れました。テレビで毎日のように映像を見ていましたが、がく然としましたね。震災当日の朝まで一緒にいた家族や大切にしていた家が、一瞬にして消え去った。それでも命だけ残されるというのは、想像を絶するものです。こういう方々のために自分が少しでも力になれないか、という思いがありました」

 

被災地の中でも大槌町を選んだ理由について、川上誠さんはこう語る。

     

「被災地の中でも大槌町を選んだ一番の理由は、アクセスが飛びぬけて悪いからです*)。東日本大震災が風化していく中で、ボランティアの方も年々減っていくだろうなと。高齢化率が高い、被害がとりわけ大きいなどの理由もありましたが、大槌町のような厳しい環境で始めることで、新しい何かが生まれるに違いないと思っていました」

  *)東京-大槌間は、岩手県交通の高速バス「遠野-釜石号」で、池袋駅発21時35分→大槌バイパス7時50分着がある。新幹線で行くならば、新花巻駅で下車した後、電車で釜石駅まで行き、そこから自動車で15分ほどだ。計5時間以上は要する。

(写真:大槌町で行われている数独教室の様子)

 

ソーシャルハーツの立ち上げ以前、ハーバード大学院でソーシャルビジネスについて研究していた川上誠さんは日本に対する世界の関心がなくなっていることを肌で感じていた。

 

「日の丸半導体」という言葉に称されるように、世界の中でも圧倒的な存在感を発揮していた80年代における日本の半導体業界を経験した川上さん。それだけに世界から取り残されている日本の現状に、虚しさが募ったのだ。

 

これから日本が世界へ発信できることは何か? アニメもあるだろうが、日本は世界に先駆けて超高齢化社会に突入している。高齢化×被災地というテーマで、1つのモデルを作ることができれば、世界に向けて発信できるかもしれない。川上誠さんは、こう考えた。

 

活動の拠点を大槌町に定めた川上誠さんは、隔週で行う「シニアハーツ教室」に向けて、車で大槌町に通っている。2018年2月で活動5年を終えたため、訪問した回数は120回以上に及ぶ。

   

大槌町から高齢者向け数独問題集が生まれた

   

川上さんによると、大槌町の高齢者の方々は「鉛筆を持つのが久しぶり」というほど、学ぶことから離れていた人が多かった。そのような人々が、数独で学ぶことの楽しさを知り、達成感を得たことで、数独は1つの生きがいへとつながっていった。

   

「もっとやりたい」「この時間だけ色んなことを忘れられる」 そんな声が寄せられる数独教室は町民同士の交流の場になり、これまで累計5000人以上の人々が参加した。活動が進む中で、市販されている既存の数独本は、高齢者にとって難しいことも分かった。そこで日本数独協会に相談したところ、新たな展開が生まれた。

 

2017年4月に新たな数独問題集「じぃじとばぁば ようこそ数独!」(監修:日本数独協会)が発売されたのだ。表紙には「岩手県大槌町から生まれた数独練習帳」と書かれている。

 

「この数独問題集は当初、岩手県限定で発売する予定でしたが、問い合わせが予想以上に多かったため、今では全国で発売されています。大槌町の高齢者の方々も、自分たちが数独を頑張ったことで本が生まれたことに、非常に喜んでくれましたね」

 

また2017年9月9日(数独の日)には、日本数独協会が主催して日本初の「数独技能認定試験」が大槌町の中央公民館で開催された。試験時間40分の中で数独4問に挑戦し、正解数に応じて7~11級に認定される。大槌町外からも27人が受験し、計107人が会場に集まった。

 

最年少は7歳の女の子、最高齢は99歳のおばあちゃんだ。中には今まで試験を受けた経験がなく、手が震えて最初の5分間は「3」という数字が書けなかった方もいたという。

 

(写真:第1回 数独技能認定試験の様子)

  日本数独協会は、大槌町で開催した理由についてWebサイトにこう記している  

「ソーシャルハーツは東日本大震災で莫大な被害を受けた大槌町において、仮設住宅や災害公営住宅で暮らす高齢者の方々に数独を教材とした脳トレ教室を展開してきました。その結果、大変多くの方々が日常的に数独を楽しんでおられることを知り、日本初の認定試験会場として、大槌町を選びました。大槌町にお住いの方々はもちろん、全国の数独ファンの皆さまも復興支援の意味を込め、認定試験大槌町開催にご参加ください」

   

大槌で培ったモデルを他の市町村に展開へ

 

そんな「挑戦」の道を歩んできた川上誠さんが、常に大事にしてきたのは「迷ったときは、困難な道を選ぶ」ことだ。そこには、1971年にインテル日本法人の社員第一号で、同社の代表取締役社長・会長を歴任してきた師匠・傳田(でんだ)信行さんの存在があった。

 

傳田さんが同社で副社長だったときに、インテルジャパンの代理店営業統括部長を務めた川上さんは、傳田さんの愛弟子として、会社を一から育て上げる経験を間近で積んでいった。

 

川上誠さんが同社を1988年に退職し、外資系半導体メーカーの日本法人社長というキャリアを選んだのも、傳田さんのようにゼロから会社を作る経験をしたかったからだという。

 

「傳田さんから教わったことはたくさんありますが、常にポジティブに考えることの重要性は忘れたくないと思っています。“過去は変えられないけど、未来は変えられる”というマインドは、見ていて魅せられますよね。時には失敗して反省したり、落ち込んだりすることもあるけれど、プラスのエネルギーに変える方が自分も周りも幸せですからね」

 

迷ったときは困難な道を選ぶという信念を守り、川上誠さんは新たなキャリアを歩み始めた。傳田さんはソーシャルハーツの顧問を務めており、今でも師弟関係は続いている。

 

ソーシャルハーツは5年の活動を終えて、次のステップへと動き始めた。岩手県北上市と神奈川県横浜市から業務委託の要請を受け、大槌町モデルを横展開することになったのだ。

 

(写真:ソーシャルハーツの活動は、NHK総合テレビの番組でも紹介された)

 

「今後は、大槌モデルを日本全国に展開し、高齢者が高齢者を支援するようになったら嬉しいです。数独は脳の活性化という意味だけではなく、地域のコミュニティ作りにもつながります。長期的には、この大槌モデルを世界にも届けられたらと思っています」

 

最後に、あらためて川上誠さんに“今も被災地で活動を続ける理由”について聞いてみた。

 

「高齢者の方々の支えになればと思い活動を始めましたが、でも逆に支えられていたような気がします。突然訪れた私を快く受け入れてくれたことに、感謝の気持ちでいっぱいです。5年を通じて得られた強い人と人のつながりが、今も大槌で活動を続けている理由かな」

 

3月9日、震災から7年の月日がたとうとしている大槌町に、川上さんは今年も車で向かう。