「ウェディング」と聞いて、どのような場面を思い浮かべるだろうか。
白無垢と紋付袴を着て神社で、もしくはドレスとタキシートのふたりが神父の前で愛を誓う神前式。そして婚礼儀式の後におこなわれるのは、レストランやホテル内での披露宴。ここぞとばかりの豪華な料理が振る舞われ、互いの親族や上司を呼んで、新しい家族の誕生を祝う。喜びと笑顔に溢れた、幸せな場面だ。
しかし、幸せな晴れの日の裏には、実は問題も多くある。1日のためだけに飾られる装飾品や生花、大量に作られる料理は、結婚式のあとほとんどが廃棄されている。また、どのような環境で作られているのかわからないドレスやアクセサリーは、アパレル業界でたびたび話題となっている労働環境の問題を抱えている可能性も。準備の手間や金額の大きさに加え、そのような数々の問題を前に、結婚式を挙げない「ナシ婚」選択をする人々も増えているという。
そのような結婚式の裏側の問題に、今、ある提案をしようと奔走する女性がいる。
結婚式の内容をエシカルに置き換える、エシカルウェディングプロジェクト「Walk in Beauty」代表で、エシカルウェディング・プロデューサーの加唐花子さんだ。「エシカルウェディング」が世界をより良くすると信じて進む加唐さんに、世界と一緒に祝うウェディングの魅力を聞いた。
人にも地球にも優しいウェディング
その日、新婦はバングラデシュで作られたフェアトレードのウェディングドレスをまとい、新郎はオーガニックコットンのスーツに身を包んでいた。ふたりの足元の真っ白なスニーカーは、サトウキビ由来やペットボトルを再利用した素材から作られたものだ。
これは「エシカルウェディング」と呼ばれる、少し新しい形の結婚式。一般的にも認知され始めている「エシカル(倫理的な)」という言葉のとおり、結婚式に取り入れるアイテムや装飾を、できるだけ環境に配慮したり、人権や文化を守るものにしている。
エシカルウェディング・プロデューサーの加唐さんの仕事は、結婚するふたりの意向に寄り添いながら、よりエシカルな提案をしていくこと。押し付けるのではなく「こんな選択肢もあるけど、どうかな」と、あまり知られていないエシカルなアイテムやウェディングの内容を紹介する。
「結婚式でやりたいことも、どんな雰囲気にしたいのかも、ふたりの気持ちが最優先。話し合いをしながら見極めて、意向に沿った内容を紹介するようにしています。提案するたびに『そんなことまでできるんですか?!』と、前のめりになってくれる方も多いです。どこをどんなふうにエシカルにできるか、まだまだ知られていないんですよね」
この日、ウェディングがおこなわれたのは横須賀市にある農園レストラン『SYOKU-YABO農園』。山間を吹き抜ける風が心地よい緑のなかで食事ができるこの農園は、加唐さんのエシカルウェディングの考え方に共感し、パーティーやイベント会場として協力している。
ゲストに振る舞われた料理は、この農園で無農薬で作られた野菜、地元で獲れた魚・肉を中心に構成されたコース料理だった。この食事内容を取り入れた背景を聞くと、環境課題や地産地消などさまざまな「エシカル」の要素が混じり合う。
「実は、メイン料理の付け合わせで出てくる人参は、新郎新婦がタネから育てたものなんです。何ヶ月も前にふたりが蒔いたタネが芽を出し、野菜となってゲストに届く。アクティビティとしても楽しいし、そんなストーリーを聞いたら、おなかがいっぱいでも食べたくなっちゃいませんか?」
料理の残飯が大量に捨てられるフードロスの問題にも、さまざまな方法でアプローチできることに気づかされる。
加唐さんの提案は、結婚式を企画する当人たちも、当日招かれたゲストも、みんなをワクワクさせる。なぜだろうと考えると、夫婦のための結婚式が、気づけば世界中の人たちとつながるきっかけになっているからなのかもしれないと思った。そう伝えると、嬉しそうに笑いながらも、加唐さんは少し首を振った。
「やるたびにエシカルウェディングの良さを噛み締めるのと同時に、難しさも感じます。私がずっとウェディング業界で働いていた人間だったら、新郎新婦に大変な思いをさせずに済むのにという気持ちが80%くらい。でも、あとの20%は、逆に業界経験がないからこそ、今のような提案ができるのかもしれないとも思っています」
そう、加唐さんはもともとウェディングの仕事をしていたわけではない。2013年に『Walk in Beauty』として活動し始めるまで、結婚式をプロデュースしたことはなかった。
トットちゃんを“戒め”に過ごしていた
「外国に憧れがあったんですよね。特にヨーロッパの街並みが好きで、いろんな写真を見ながら『いつか行ってみたいな』と憧れを募らせている子ども時代でした」
さまざまな本や写真を見ていくうちに、加唐さんの胸には「憧れ」だけでは片付けられない感情も宿っていった。それが、途上国と呼ばれる国々の写真を見たときだった。アフリカでの飢餓やコソボ紛争、民族間での戦いとなったボスニア・ヘルツェゴビナ紛争、1986年に起こったチェルノブイリ原子力発電所事故のあとの人々の暮らしーー。本を開くと、そこには自分の暮らしとはかけ離れた世界があった。
「当時から『自分は幸せだな』って思って生きていたんですよね。だから、その同じ時間を、あまりにも違う境遇で過ごしている人たちがいると知って衝撃でした。小学校高学年の頃から興味を持って調べるようになって。なかでも忘れられないのが、高校生のときに出会った黒柳 徹子さんの『トットちゃんとトットちゃんたち』という本です」
『トットちゃんとトットちゃんたち』は、国際連合児童基金UNICEF(ユニセフ)の親善大使だった黒柳徹子さんが、大使として戦争や飢えに苦しむ国々を巡ったときの、子どもたちとの出会いを綴った体験記。薬害で奇形で生まれてきた子どもや、食べるものがなく売春する子どもたちなど、日本で暮らしていると想像もできないような多くの子どもたちが写真とともに載っていた。
「あまりの衝撃に『格差や戦争のある、悲惨な世界に生きてることを、常に意識しなくちゃいけない。幸せに浸って忘れちゃいけないんだ』って強く思ったんです。今思えばあまりよくない方法だと思うんですけど、“戒め”のような気持ちで本を持ち歩いていました。学校に行くときも、遊びに行くときも、常に持ち歩いていたから本がボロボロになって」
変に真面目だったんですよね、と笑う加唐さんだが、世界の現状に心を痛めていた少女を思うと苦しくもなる。
「当時は、学級委員とか生徒会とかやってるようなタイプ。なんでこのままにしておけるんだろう、なんとかしないといけないって、世の中の仕組みを全くわからない少女なりに思ったわけですね」
国際協力の形を探し続けた「現場」で
世界を良くしたいーー。大真面目な灯火は、進路を決める年頃になっても加唐さんから消えることはなく、むしろ、同じ志を持つ人々との出会いによって強まっていくばかりだった。
まず少女が見据えたのは、黒柳徹子が親善大使を務めたユニセフのある国際機関、国際連合だった。それに加えて、1997年にノーベル平和賞を受賞した平和活動家、ジョディ・ウィリアムズも、高校生の加唐さんに大きな影響を与えた。
「ジョディ・ウィリアムズは地雷禁止国際キャンペーンの創始者で、NGO団体として草の根で活動している人でした。国連や政府などの大きな機関じゃなくても、世界を変えようとしている人がいると知れたのは、とても大きなことでしたね」
さまざまなアプローチの仕方を視野に入れながら、宇都宮大学・国際学部に進学した加唐さんを待っていたのは「とにかく現場で学べ」という考えの教授や授業の数々だった。その教えを胸に自身も、大学2年生のときに特定非営利活動法人が主催するスタディツアーでバングラデシュを訪問。「手工芸・フェアトレード」をテーマに、フェアトレード商品を作っている現場などを訪れた。
実際に商品を作っている人々に出会ってみると、これまで見えていた世界が一変した。フェアトレード商品では、現地の女性たちの就労の機会がエンパワーメントにつながっていたり、親が収入を得ることで子どもたちの教育や暮らしが向上したりする。フェアトレードに大きな可能性を感じた旅だった。
また、今の加唐さんにつながるもうひとつの「現場」が、当時アルバイトしていたホテルだ。ホテル内でおこなわれる結婚式や披露宴のスタッフとして配膳などを担当し、華やかなウェディング業界と笑顔あふれる仕事の虜になった。
「今思い起こすと、いろいろな問題があったことがわかります。当時は紙ゴミや残飯が気にはなっていたけれど、業界を変えていこうとまでは考えていませんでした。ただ純粋にウェディングの魅力に惹かれていましたし、さまざまな年代の人たちと一丸になって働くのが楽しかったんですね」
バングラデシュで見たフェアトレードの可能性と、華やかなウェディング。このふたつが加唐さんのなかでつながるのは、そこから15年後のことだ。
ウェディング×エシカルに感じた可能性
スタディツアーで手工芸の現場を訪れた15年後、加唐さんの目の前にはバングラデシュからやってきたウェディングドレスがあった。オーガニックコットンを使った生地は触れるとふわりと柔らかく、胸元や裾にほどこされた華やかな刺繍は現地の人たちが丁寧にひと針ずつ刺したものだった。
それは当時、加唐さんが勤めていたフェアトレードカンパニー株式会社のアパレルブランド「People Tree(ピープルツリー)」の新商品。People Treeは、日本を代表するフェアトレード専門ブランドで、1991年のスタートから、人と地球にやさしい衣料品や食品などを時代に合わせた形で制作・販売してきた。
加唐さんは経営コンサルタントの会社を経由したのちにフェアトレードカンパニー株式会社に転職し、営業としてフェアトレード商品を広めていった。そのような中で登場した、ウェディングドレスなどのウェディングアイテム。人気のスタイリストが本で紹介するのを見て「フェアトレードが、こんなにおしゃれに取り入れられるなんて!」と、可能性を感じたと振り返る。
同じ頃に自身の結婚式を挙げた経験も、ウェディングと向き合う転機となった。
「自分の結婚式にも、なるべくエシカルなアイテムを取り入れたつもりでしたが、まず花嫁として『結婚式に何が必要なのか』がまったくわからなかったんです。プランナーさんに『会場装飾はどうしますか。お花は?乾杯酒は?』と聞かれて初めて知ることばかり。当時はプランナーさんの提案してくれた選択肢のなかから選ぶので精一杯でした」
実際に経験してみれば「こういうところもエシカルにできたのに」という部分がたくさん出てきた。そもそも結婚式に必要なものがわからなければ、エシカルを取り入れるための準備ができない。それこそ、エシカルの知識とともに夫婦の希望を叶える提案をしてくれるウェディングプランナーでもいなければーー。
その瞬間、ワクワクとした衝動が加唐さんを突き動かした。2012年の夏に加唐さんは会社を退職し、ウェディングアイテム一式を個人で仕入れた。エシカルな知識を持ってウェディングの提案をする、エシカルウェディング・プロジェクト『Walk in Beauty』の誕生だった。
“戒め”ではなく、“希望”を持ち続けたい
2014年、『Walk in Beauty』は初めてのエシカルウェディングをおこなった。それ以来、共感してくれる新郎新婦、スタッフや会場とともにひとつずつ丁寧にウェディングを作り上げてきた。そこで毎回目の当たりにするのが、エシカルウェディングの持つメッセージの強さだという。
「新婦がエシカルウェディングをしたい!と問い合わせてくれたカップルで、新郎は最初『彼女がしたいなら』という温度感だったんです。でも、一緒に進めていくうちに新郎のほうにも熱量が移っていき、当日は新郎自らが『エシカルとは?』というパネルを手作りして飾ってくれたのを覚えています」
また、あるときは新郎の父親が謝辞で「世界を幸せにしたいふたりなら、目の前にいるお互いも幸せにできるはず」と伝える場面があった。結婚式に散りばめられた「エシカル」に対して、お父さんなりに受け取ってくれたからこその言葉に、加唐さんの心も震えた。
「ウェディングを通して、エシカルが伝わった!と感じたときに喜びを感じますね。まずは世界の現状と、それに対してできることを知ってもらうこと。伝えるのに、最大限に効果を発揮できるシーンとしてウェディングを選んでいるのかもしれません」
そんな加唐さんの周りには少しずつ仲間が増え、プロデュースしてもらった自分たちの結婚式をきっかけにWalk in Beautyのスタッフになった人もいる。現在は、エシカルウェディングを広めるイベントの開催や団体設立もおこないながら、認知を広げているところだ。
「新郎新婦も、ウェディングのスタッフも、エシカルな世界を一緒に作って生きていく仲間。その第一プロジェクトとして結婚式を作っている、という感覚なんです。だから、結婚式当日だけなんとかすればいいやとは思わないし、彼らが未来に希望を持てるような日にしたいですね」
エシカルを広めていく手段として、ウェディングじゃなかったな……と思うことはないんですか?と、率直に聞いてみると「ない」と即答する加唐さん。迷いはないようだった。
「自分たちの幸せと、世界の幸せがつながっている。こんな素晴らしいことはないと思うんです。新郎新婦やゲストだけでなく、地球や世界の人々にとっても負担のない、最高の日。だから、私のなかでは“Why not?”(やるしかないでしょ!)なんですよね」
世界の苦しい現状と、私たちの人生を祝うウェディング。まったくの対極にあるようで、やはり世界はどこかでつながっている。だからこそ、優しいウェディングをやらない理由がない、と加唐さんは本気で信じている。だから前に進める。
「世界はこんなにつらい場所なんだ」と忘れないために、少女は“戒め”を持ち歩いていた。大人になった今、彼女はエシカルウェディングを作っている。
「世界はこんなに美しくもなれる」という“希望”を、人々と自分自身に届けるために。