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地方の「ゆるやかな衰退」、防ぐのは“よそもの”―『大槌食べる通信』の挑戦

2011年の東日本大震災で甚大な被害を受けた東北地方。その復興の過程で立ち上がった「東北食べる通信」という取り組みがあります。

 

東北地方の農業や漁業の生産者と消費者を定期購読という形で直接つなぐこの仕組みは、多くのファンを生み出し、東北地方以外の様々な地域で各地域版の「食べる通信」が立ち上がるほどに育っています。

 

そんな中、東北地方のある一地域で、東京から来た「よそもの」が現地版の「食べる通信」の立ち上げに動き出しました。それが「大槌食べる通信」です。

 

震災の復興支援を機に東京から移り住み、「大槌復興刺し子プロジェクト」などの立ち上げを経て行き着いた今回の取り組み。そこに至る道のりは様々な出会いと想いが積み重なったものでした。発起人の吉野和也さんの想いから、日本全国の「地方」に共通する課題解決のヒントまで。前後編でお伝えします。

 

※後編記事→「東北へ移住した”よそもの”が見つけた、コミュニティの可能性-『大槌食べる通信』が挑む地方創生」

 


 

はじまりは、「おばあちゃんを泣かすな」

 

―吉野さんは「大槌刺し子プロジェクト」の立ち上げなど、震災後の大槌で様々な復興支援に取り組んできたわけですが、出身はどちらなんですか?

 

千葉です。今の実家は東京都内にあります。震災が起きるまで東北に行ったこともありませんでした。

 

―震災のとき、すぐに東北に駆け付けたんですか?

 

いえ、最初の1ヶ月くらいは実はどこか他人ごとになっていたように思います。ただ、その頃ネットで見たあるブログがきっかけで、現地に行ってみようと思ったんです。

 

―それは?

 

ある避難所での話で、ニット帽をかぶって避難してたおばあちゃんがいたんですけど、そのニット帽がもう汚れてて。そのとき避難所に新しいニット帽がたくさん支援物資で届いたと。でもそのおばあちゃんは管理人から「(あなたに帽子を支給するのは)ダメだ」と言われてしまった。それでおばあちゃんは泣いてしまった。

 

―えっ?あげればいいのに、と思っちゃいますね。

 

はい。「あげればいいじゃん」って思いました。その理由を管理人に聞いたら、人数分無いと不公平だから渡せないと。それを聞いて、私は「おばあちゃんを泣かすな」って思ったんです。でも現地には現地の事情があるだろうから行かないとわからないと思って、4月の9、10日の土日に会社の休みに自分の車に支援物資を積んで陸前高田に向かったんです。

 

―単純に義憤からの行動というわけでもなかったんですね。

 

きっと、通常だったらおばあちゃんの気持ちを汲んで、帽子をあげていたと思うんですけど、でもそれを汲めない現地の事情があって、それは行ってみないとわからないと思ったんです。

 

―実際に現地に行ってみてどうでしたか?

 

率直に言って、最初は「よくわからない」という感覚でした。瓦礫だらけで街並みもなくてそこで何が起こったのかよくわからない。リアリティを持ち始めたのが、その現場をまわって体験した人達の声、それこそ「生き地獄だ」とか。それを聞いて、何があったのかを理解してからです。

 

 

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―どんなお話があったんでしょう?

 

すごくリアリティを覚えたのが、高田分団という消防団の屯所で話を聞いたときです。消防団長のオオサカさんって方がいて、その方自身、自分の奥さんと子供を津波で亡くしていると。それでも消防団の任務として様々なことをやらなくちゃいけない。小学校の空いてる教室に家族を亡くしたりした、最悪な状況の消防団員の人たちをまとめて泊まらせていたり。

 

―それはなぜですか?

 

その消防団員たちが自殺しないように、です。他にも知り合いの女性が、長年の不妊治療の末にやっと授かったお子さんと旦那さんを津波に流されて、そういう人になんて声を掛けたらいいかわからないだとか。あとは目の前で歩いてるおばあちゃんを助けられなかったりとか。あとは自分たちは車で逃げて助かった話とか。

 

―壮絶です・・・。

 

そういう話がたくさんあって、それを聞いてものすごく、こう現地であったことがイメージできたりとか。でも、その一方で自分にできることを見つけられたのもその時でした。

 

―というのは?

 

たとえばAmazonの「欲しいものリスト」ってあるじゃないですか、それを誰にでも見られるようにできる機能があって、それ使って高田分団で欲しいものリストをつくってたんです。例えばレトルト500個とか、バーっとやるんです。そうすると瞬く間に売り切れて、現地にすぐ届くみたいなことが、被災地で丁度動き出したときだったんですね。

 

―ああ、ありましたね。

 

で、その高田分団ではパソコンが得意な人があんまりいなかったからその対応で苦慮していました。欲しいものリストに掲載した、1000個のレトルトが2.3日後に配達されるのだけど、もう受け取る場所がない、みたいな状況があったわけです。そうすると、何かできることありそうだな、とわかってきますよね。

 

―確かに。

 

そういった状況を見て、東京に戻ってきたんです。

 

 

経験はわからなくても、一緒に泣いたり喜んだりすることはできる

 

―東京に戻った後はどう過ごしていたんですか?

 

東京に帰って普通に仕事をしながら、どうしようかなって思ったんです、これからどう関わるか。たぶん2つ方法があって。1つは仕事をしながら終わった時間にできることをやる、もう1つは環境も全部変えてやる。現地にはいって何かできることを見つける。

 

―どちらを選んだんですか?

 

後者ですね。やるなら行こうと、現地に。自分の性格的に仕事が終わったあとに何かやるって続けられないなと思ったんです。そのためにはお金も必要なので、資金を出してくれる先を見つけながら現地に向かったんです。

 

―思い切った決断ですね。出資者といってもそう簡単に見つからなさそうですし…。

 

その時思ったのが、震災で家族を亡くした人の気持ちは全くわからないし、想像もつかない。自分の嫁を亡くした気持ちってわからないじゃないですか、その当人じゃないと。でも、わからないけど、その人たちのそばにいることはできると、そばに居ればちょっとは心も安らぐんじゃないかとか。

 

―なるほど。

 

一緒に泣いたり喜んだりすることはできるんじゃないか、そういうのがしたいんですって知り合いの経営者とかにお願いしたら、わかったと。月10万出す代わりずっといろって。それに「わかりました」という感じでお金を出してもらって、大槌に来られたんです。

 

―なかなかありえないような話ですね。吉野さんの発想も、受け入れてくれた方も。

 

はい(笑)。そもそも住める状況かどうかもよくわからなかったので、とりあえず行く、という感じでしたし。

 

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―大槌に入ってからは『刺し子プロジェクト』にすぐに取り組んだんですか?

 

そうですね、『刺し子』に取り組んだメンバーと3つくらいプロジェクトを検討してて、1つは『洗濯機プロジェクト』で、当時300人くらいいた避難所で1つも洗濯機がなくて隣市まで通っていたからそれを何とかしようと。もう1つは移動支援のプロジェクトでした。それぞれやっていく中で『刺し子』が残った形です。

 

―『刺し子』をやっていく中でどんなことが印象に残っていますか?

 

焼き鳥屋をやっていた勝子さんって人は妹さんを亡くして、本当に狭いスペース一畳くらいのところにいて、『刺し子』がなかったら寝込んでたっていうぐらいの状況だったんですね。『刺し子』始めてからぐわーってものすごい量つくりだして。『エース刺し子』って言われる人になったほど。そういう風に、旦那さん亡くしたり家族を亡くしたりって人が結構いて、やってる中でこうひとりきりにならないで、刺し子をしている間は辛いことを考えなくても済むから救われるって言ってくれました。

 

 

「緩やかな衰退」を防げ。大槌漁業のリアル

 

―そういった背景があって今回「大槌食べる通信」を立ち上げるわけですが、そこに至る経緯を教えてください。

 

まず漁協が破たんしたんですよね。漁師って組合に出資して組合人になるんですけど、そのお金が戻ってこない状況があって、一気に漁師が減ったんです。3分の1くらい減ったんじゃないですかね。2015年度くらいまでは国の補助金で、例えば養殖であれば全量買い上げみたいな感じで、給料制みたいな感じになってたんですけど、その制度も終わります。

 

―大槌の漁業ってどんな構成で成り立っているんですか?

 

養殖は結構フル稼働している感じです。あとは定置網という大槌の漁業があって、11月くらいの秋鮭が昇ってくるシーズンをピークに、漁協全体の売上の8~9割を占めています。

 

は~!鮭で8~9割!

 

鮭の街ですね。昔は川の色が変わるくらい鮭が遡上したっていう。いまは漁業の仕方が変わってきたので、そんなことはないんですけど。なので漁師に関していうと、養殖漁師は普通に回ってるし、定置網は鮭が取れなくなったら終了、むしろそれが取れなかったら大槌の漁業が養殖主体に変わり、大幅に規模が小さくなる感じです。

 

―完全に鮭に左右されているんですね。

 

あとは兼業漁師というのがあって、アワビとかウニの時期だけ漁をする人。漁師のボーナスだって言われてるんですけど、稼ぐ人は1年に100万とか200万とか稼ぎます。あとは担い手不足という状況がありますね。まぁそれは全国的な課題なんですけど。というところです。

 

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―担い手不足の件なんかは震災前からあった課題ですよね。

 

そうですね。担い手不足と、人口減少も元々進んでいたし、街の産業自体、お店がどんどん閉じて行ってるような現状があったり、震災が来る前から結構厳しい状況だったということは聞いています。

 

―そういった中で大槌の漁業をなんとかしよう、と考えている方もいるんですか?特に震災を経験して、先を見据えていくような。

 

たぶん先の事を考えてる人は多いと思います。あと漁協頼みだと漁協が無くなったときにどうにもならなくなるので自分で販路を開拓しようとしている漁師さんもいるという感じですかね。何かをしないといけないけど具体的に何をすれば良いのかわからない人もいると思います。

 

―なるほど。

 

何か緩やかな衰退というか。養殖をやっていればある程度収入はあります。大槌は岩手県でも世帯収入が低い方ですけど、漁師の中には一千万近い収入になる人もいるのですが、とはいえ担い手が少ないと色々と維持ができなくなってくる現状があります。

 

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―そこで吉野さんは「食べる通信」で何とかしようと考えたわけですね。

 

そうですね。そういう問題を考えていく上で「食べる通信」を選んだのには2つ理由があるって、1つは『東北食べる通信』の取り組みを見ていておもしろかったこと。もう1つは自分自身がそのとき復興支援員という立場で、特産品の販路拡大というミッションを持っていて、当時の副町長に「食べる通信」をやってほしいというオファーがあったことです。

 

―そして今に至る、と。

 

はい。

 

後編では、『大槌食べる通信』をきっかけにどんな「コミュニティ」のモデルを生み出そうとしているのか、そしてそのモデルが全国の地方にどんな希望をもたらすか、さらに突っ込んだ話をお届けします。

※後編記事→「東北へ移住した”よそもの”が見つけた、コミュニティの可能性-『大槌食べる通信』が挑む地方創生」


 

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※写真(すべて):藤村のぞみ