北海道ライターの橋場です。私が住む札幌は、グルメにとっては堪らない土地です。新鮮な野菜・魚介類があり、ジンギスカン・ラーメン・スープカレーという3大名物が確立されています。

特にスープカレーはここ十数年で急激に人気が出てきた料理で、最近では石を投げればスープカレー店にあたるほどの激戦区に。そんな中スープカレーだけでなく、インドカレー(自然派のサラサラ)、ヨーロピアンカレー(ルー)の「3種のカレー」を手掛ける料理人がいます。

高瀬昭則さん、66歳。道東・帯広市の南、強風で有名な襟裳岬近くの様似町出身で、専門学校進学を機に上京、関東で修業を積み27歳で北海道へ戻り31歳で『パークポイント』という洋食店を立ち上げました。

その高瀬さん、「幻の玉ねぎ」と出会い『パークポイント』を洋食店からカレー専門店へとチェンジ、現在は3種類のカレーを提供しています。

「幻の玉ねぎ」とはどのような玉ねぎなのか、そして高瀬さんのカレーへの思い入れについて伺いました。

橋場 了吾
1975年、北海道札幌市生まれ。 2008年、株式会社アールアンドアールを設立。音楽・観光を中心にさまざまなインタビュー取材・ライティングを手掛ける。 音楽情報WEBマガジン「REAL MUSIC NAKED」編集長、アコースティック音楽イベント「REAL MUSIC VILLAGE」主宰。

中学時代に気づいたカレーと玉ねぎの黄金律

‐高瀬さんはもともと料理人志望だったんですか?

はい。僕、中学時代からカレーを作っていたんですよ。

‐早い!

どういうわけか、家族の中で、カレーは僕の役目で(笑)。時間をかけて玉ねぎを炒めるのがいいのか、さっと炒めて水を入れてコトコト煮るのがどちらがコクが出るのか、その頃から研究していました。で、出した正解は『じっくり炒める』ことでした。

‐それが原点ですか。

カレー以外にもホットケーキミックスを使った料理もしていましたね、高校を卒業するタイミングで料理人になろうと思って東京の専門学校へ1年間行きました。在学中からアルバイトでレストランで働き始めて、卒業してからも東京の洋食レストランで修業していました。カレー以外にもハンバーグやフライもやっていました。

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‐カレー以外も作っていたんですね。

そうです。あ、そういえば埼玉県のゴルフ場のレストランにいたこともありました。そこには2年間くらいいたんですが、天国でしたよ。週に1回必ず休みがあってゴルフ三昧(笑)。こんなことしていたらダメになると思って、また東京で修業を再開しました。

‐北海道に戻って来たのはいつですか?

 27歳のときですね。4年くらい修業をして、31歳の時に最初の『パークポイント』(現在は中島公園近くだが、最初は大通公園近くにあった)をオープンしました。それから35年ですね。

‐いやあ、お元気ですよね。

体だけは元気なんですよ、いつも(笑)。

 

10年前に出会った札幌黄がきっかけでカレー中心のメニューに

‐最初からカレー中心のメニューだったんですか?

いや、札幌黄に出会ってからですよ。今から10年くらい前ですかね。

‐え?そうだったんですか?

札幌のとあるお店でインドカレーを食べてはまっちゃって……それまではヨーロピアンカレーだけだったんですが、インドカレーを研究したんです。いろいろなレシピも調べて。それでスープカレーも加えて3種類のカレーを出すようにしてからです、札幌黄と出会ったのは。

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‐お店の外でも売られていましたが、「幻の玉ねぎ」と言われている品種ですね。

はい。お客さんが札幌黄を栽培している農家さんと懇意にしていたので紹介してもらったんですよ。その農家さんに行って試食させてもらったんですが、これまで使っていた玉ねぎとは甘みが全然違って、すぐに札幌黄に切り替えました。

 

※札幌黄はかつて北海道中で栽培されていましたが、太平洋戦争中の統制経済・作物の強制割り当てにより北海道自体の玉ねぎの生産量が激減。その後、札幌黄の改良による増産化が計画され、昭和40年代のピーク時には年間70,000tという統制経済下の9倍もの生産高を記録するも、F1種と呼ばれる病気に強く大きさがそろっている品種が昭和50年代に導入されると、病気に弱く粒がそろい辛い札幌黄の生産量が激減。最近、味の良さが注目され、「札幌黄を絶やさない」という使命感を持って札幌黄農家が生産し続けています。

 

‐札幌黄はほかの玉ねぎと何が違うのでしょうか?

なんといってもその甘味ですね。しかも、ほかの玉ねぎより炒めた時に糖度が上がってくるのが早いんですよ。15kgの札幌黄を2日間火を絶やさずに飴色になるまで炒めて、糖度を30度まで上げて使用しています。

‐甘みが全然違うんですね。

はい、でも9月に仕入れて翌3月までは100%札幌黄を使用していますが、ほかの期間はほかの玉ねぎとブレンドになっちゃいます。やっぱり、札幌黄の甘味に魅せられた者としては100%札幌黄のカレーを食べてもらいたいですね。

‐そんな歴史があったんですね。

橋場さんが初めて来られた時はまだ洋食メニューがあったでしょ?

‐確かに…僕はカレーばかりいただいていましたけど(笑)。

そうでしたっけ?(笑)店を初めて15年くらいでインドカレーに出会って、それからさらに10年経って札幌黄に出会って……ここに移って来たのは6年前ですが、ずっと札幌黄を使っています。今は定食はメニューから外してカレー専門で。昔からのお客さんは、今でも「ハンバーグ定食作って」って言いますけど(笑)。

 

最後の最後で加える「あの調味料」がカレーの命

‐高瀬さんがカレーを作る上で一番大切にしていることは何ですか?

(少し考えて)やっぱり、お客さんに出す直前の塩加減ですかね。特にインドカレーは、本当に微妙な塩加減で味が大きく変わってしまうんです。作っている最中にちゃんと塩で味を整えるんですが、熟してくるとどんどん甘くなってくるんですよね。それで、最後の塩で微調整するという戦いをしているんです。

‐奥深い世界ですね…。

インドカレーは完成したときはスパイスが効いているんですが、どんどん玉ねぎの甘みが出て味が変化していきます。なので、塩で調整しないと同じ味にならないんです。スパイスと玉ねぎペーストだけで作る自然派のカレーなので、毎日味が変わっちゃうんですよ。だから塩加減は難しくて、本当はダメなんですけど毎回同じ味ではないかも(笑)。その味の変化も楽しんでもらえればいいなと思います。

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‐高瀬さんが厨房からお店を見ていて、どんな時に喜びを感じますか?

友達がたくさん遊びに来てくれるときは楽しいですけど、それだけだと商売にならないですよね。あ、やっぱりレジのときかな。お客さんがお店を出るときの顔を見れば、どれくらい美味しく感じてもらえたかがわかるので。

‐料理人は一生続けていきたい仕事ですか?

僕は組織が苦手なので、料理人以外考えたことがないんです。実は地元の様似の観光地から、手伝ってもらえないかという話が来ているんですよ。ひょっとしたら、地元に戻って料理を作ることになるかも。体が続く限り、一生料理人でいたいですね。僕は、満足そうな顔をしているお客さんの顔を見るのが一番嬉しいですから。

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【取材を終えて】

私が『パークポイント』でインドカレーを初めていただいたのは17年前。新卒で入社した会社の上司に連れて行ってもらったことがきっかけでした。

 

それまでは「カレーは家で食べるのが一番」と思っていた私。その考えをたった一口で破壊してくれたのが、高瀬さんのカレーでした。甘さと辛さの調和、初めての食感、スイスイご飯が進む味付け。どれを取っても、これまで食べたカレーの中で最高のものでした。

 

以後、私は『パークポイント』に通い続け、店舗が移転してからもたびたびお邪魔しています。通い始めてからすぐに仲良くなりいろいろな話をしてきた間柄ではありますが、ここまで踏み込んだ話を伺ったのは初めてでした。

 

やはり、何かしらの“城”を構える方には生涯貫いてきたものがあります。中学時代から50年以上、カレーを作り続けてきた料理人の作品は本当に味わい深いものです。

 

札幌市中心部のオアシス・中島公園の西側にある素朴なカレーショップ『パークポイント』。札幌に来られた際は、ぜひお立ち寄りいただきたいお店です。

 

【ライター・橋場了吾】

北海道札幌市出身・在住。同志社大学法学部政治学科卒業後、札幌テレビ放送株式会社へ入社。STVラジオのディレクターを経て株式会社アールアンドアールを創立、SAPPORO MUSIC NAKED(現 REAL MUSIC NAKED)を開設。現在までに500組以上のミュージシャンにインタビューを実施。 北海道観光マスター資格保持者、ニュース・観光サイトやコンテンツマーケティングのライティングも行う。