広島・長崎の原爆投下日に合わせた、「被爆者の人生と出会う」をテーマにしたブログ「the pigeon voices」との連動記事を展開します。



第2回では広島で被爆した小日向さんの「人生」を紹介します。



山口県の看護婦養成所で学んでいた15歳のとき、原爆投下直後の広島へ救護活動に赴いた小日向テイ子さん。



その後、看護婦としてのキャリアアップを目指して上京しましたが、結婚・夫の急逝を機に嫁ぎ先の布団屋を切り盛りすることになります。そして女手一つで、看板を守り、娘二人を育て上げました。



その人柄には強さだけではなく、人を喜ばせたり安心させたりすることに喜びを覚えるという慈しみ深さ、優しさが垣間見えます。



大好きだったという看護婦の仕事で実践していた小日向さん流の人を喜ばせる工夫や、困難を乗り越える原動力をお聞きしました。(写真は娘さん・お孫さんと)

岡山 史興
70Seeds編集長。「できごとのじぶんごと化」をミッションに、世の中のさまざまな「編集」に取り組んでいます。

 

「いまが幸せ」

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‐階下で娘さんが小物・雑貨のお店を開いています。小日向さんも店番するとか。

娘(正子) 私がお店を始めたころは、母のお友達が来ない日が無いくらいでした。

母を頼ってちょっと話を聞いて欲しいみたいな人は本当に多いんですよ。

‐看板娘のような感じですね。このごろは日中デイサービスを利用するようになったそうですが、そちらはどうですか?

小日向 以前、歩行訓練がありまして、杖をついて歩いていたらデイサービスの職員が手を繋いでくれたんです。

それがすっごく歩き良くて、「あ、私も人の世話にならないと生きていけないのね。

もう80歳だから甘えても良いのかしら」って考えました。

それですごくスーッとして、デイサービスにいることが楽しくなってきたんですね。だからいまが幸せです。

 

看護婦から布団屋のおかみへ

‐いくつまで布団屋さんを?

小日向 73歳まで働いていました。

‐看護婦から商売に入ったわけですが、戸惑いませんでしたか?

小日向 「商売は正直に、お客様のためを思ってやれ」というのが義父からの教えでした。親の七光りと言いますか、これは遺言のような言葉です。お客様から教えられ育てられて来たような気がします。

‐背伸びせずにお客様の懐に飛び込んで、お義父さんの言葉通りにやってきたのですね。

小日向 お義父さんがすごく良い人で、結婚して一年も経ってないうちに「貧乏所帯をあんたに任せます」って、台帳とか金庫を私にくれたんです。

本当にびっくりしちゃいました。信じてくれたお義父さんを裏切りたくなくて頑張ってきました。

 

借金を背負い、店を切り盛り

正子 でも、おじいちゃんは私が生まれてすぐに、父も五年で亡くなっちゃうんですよ。

小日向 家を建て直しているところで、借金が全部残ったんですよ。

だから、車の運転を習って、ライトバンを買って、前に勤めた病院や友達に月賦で売りに行きました。本当に夢中になって働きました。

‐30歳ぐらいのときですから、いまの私たちの年齢です。小さい娘さんを抱えて、苦労されたでしょう。

小日向 ですから娘二人がお嫁に行ったとき、初めてほっとして、「頑張ったよ」って一人で叫びました。

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‐やりきった原動力は何でしょうか?

小日向 広島での体験は私の強さをつくってくれたみたいです。恐ろしい、いろいろなことを体験したでしょ。

だから、「負けるものか。こんなことで負けちゃだめだ」っていつも思ってました。

「あんなことができたんだから、こんなことはできないわけない」って、それがずっと私を引きずってくれたみたいですね。

 

人生を変える義父との出会い

‐ところで、嫁ぐ数年前、山口県下関市で働いていた23歳のとき上京を決意されますが、そのきっかけは?

小日向 下関に映画館ができてフランス映画を見たんです。初めて西洋人を見て驚きました。自分が田舎っぺで何も知らないことに衝撃を受けたんです。

‐東京に何か伝手があったのですか?

小日向 たまたま看護雑誌に東京の結核療養所、清瀬病院の求人が出ていたので、「もっと大きい病院でいっぱい勉強して、立派な看護婦にならなくちゃ」と東京に出て来ました。

‐バイタリティがありますね。旦那さんとはどのようにお知り合いに?

小日向 退院の挨拶に来られた義父が、息子の嫁にと強く望まれました。

必要とされるところで生きていくのも良いかと思い、来てしまいました。馬鹿ですね…

 

「真心は必ず通じる」

‐看護婦としての働きぶりが素晴らしかったので、見込まれたのでは?

小日向 あの当時、結核って栄養失調が多かったんです。

特別医療は無いですけどね、精神的な治療、支えみたいなのってすごく必要だなって思って、患者さんの精神的な面に食い込んでいって、面白い仕事を沢山しました。

‐例えばどんなことですか?

小日向 私は害の無いお腹の薬をいつも持ってて、「眠れないから薬ください」って患者さんに言われると、これを少し包んであげて「あなただけ内緒よ。

これを飲んだら絶対治るからね」って飲ませて、「朝まで眠れるからね」って言ってあげるんですね。そして「人に言っちゃだめよ」って。

‐特別感を演出していますね。男心がよくわかっていらっしゃる(笑)

小日向 患者さんの頭を洗うのも看護婦の仕事でしたけど、お湯はバケツ一杯って決まってたんです。

私は柄杓に少し残しておくんです。それで、洗い終わると「これ、あなただけおまけよ」ってそれをかけてあげる(笑)そういうのをいっぱい考えてやってました。

‐看護婦の勉強は短期間でしたが、精神的なケアについても習ったのですか?

小日向 勉強としては二年しかしていません。あとは独学で、自然と仕事の中で身に付けていきました。

私の仕事で最初の看護が広島の救護活動だった影響はすごく大きいですね。

‐単純な優しさというよりは、小日向さんの編み出した方法で患者さんのケアをしていたんだなと思いました。

小日向 患者さんって、自分の苦痛があるときは優しさにすがりつくような気持ちになるじゃないですか。

そういうのを少しでも満たしてあげて、喜ばれると、すごく嬉しいですよね。

それが看護婦の仕事の一環でもあると私は思ってたんです。

人間ってみんな同じですよね。それに、真心は必ず通じると信じております。