戦後70年経ち、第二次世界大戦は過去に―。


しかし、はたしてそうなのでしょうか?


戦後70年、私たちを取り巻く環境、メディア、私たち自身は変わっていったのでしょうか?
元NHKアナウンサーで現在はNPO法人「8bit news」を運営する堀潤さんへお話を伺いました。


-----  堀潤さんプロフィール:ジャーナリスト/キャスター。市民投稿型ニュースサイト「8bitNews」主宰。「みんなの戦争証言アーカイブス」では多くの方から証言を聞いている。  -----

SNSで世の中は変わらない。

‐堀さんは、SNSでの発言も活発ですが、今のメディア環境をどのように考えていますか。

いまのメディア環境は、開かれている分、混沌としていて、僕たちは最も警戒をしないといけない時期になっています。

インターネットの発展で、極めて低いコストで誰でも情報発信が出来るようになりました。限られた層の特権だったメディア発信力を市民が手に入れた。

そして、そのことから、情報発信の民主化のように言われていますよね。

でも、僕は今のこの状況を懐疑的に見ているんです。

‐それはなぜでしょうか?

市民レベルで誰でも発信できるということは、言い換えると市民を装った発信もできるということ。

それは同時に、プロパガンダのような恣意的な情報発信も容易になったということでもあります。

‐私たちの日常にプロパカンダが巧妙に入り込んでくるんですね?

そうです。例えば、イスラエル・パレスチナの関係性においても、イスラエル国防軍は絶えずプロパカンダとして、自分たちの攻撃の正当性や、主張をSNSで出していくし、パレスチナとしても自分たちがどれぐらい被害を受けたのかを演出する都合の良いツールとしてSNSを見ていると言えます。

‐インターネットやSNSの出現でメディア環境が変わったことを好意的に受け止める声の方が一般的ななかで、新たな気付きでした。

メディアの民主化なんて言うんだけれども、それはたしかに民主的でしょう。
でも実は、民主主義は、平和とは程遠いもの。

情報を開く、場を開く、参入者が広がる。その分リスクも高いんです。

安易に、SNS=民主主義、民主主義の発展=みんなが幸せな社会という、それこそステレオなタイプのプロパカンダを崩したほうが良いと思っています。

-一概に良いわけでは無いんですね。

でもそのような状況の中で、いかに努力してより良い世の中を築けるかに我々の技量が問われていると思います。

‐その際、何がキーポイントとなるのでしょうか?

当事者性です。
SNSが世の中を変えるわけではありません。SNSは一つのツール。

いかに当事者性を芽生えさせるか、自分の中で当事者性を自覚できるかにかかっていると思います。

 

 

「みんなの戦争証言アーカイブス」から気付く「無関心さ」

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‐「みんなの戦争証言アーカイブス」はどのようにして始まったのでしょうか?

「みんなの戦争証言アーカイブス」の背景は、日米開戦に至るまでの人々の日常を伝えたいと思ったからです。

戦争証言って、どうしても戦争の一番過酷な状況に収斂されてしまう。

空襲をうけた、原爆をおとされた、特攻機でつっこんだ、命を失った、大怪我をした、ひどい惨状を見た、これらも戦争証言として非常に大事。

でも、そういったシーンは、人々に非日常的な空間を与えてしまうことになってはいないか、戦争を戦争というカテゴリーで見ていないか、日常とは別のところにある戦争のストーリーを描いていないか、はたして自分事として置き換えられているのか、ずっと疑問を抱いていました。

‐実際、第二次世界戦中、人々は戦争をどのように見ていたのでしょうか?

多くの人の日米開戦までの日常を聞いていると、なんら今の状況と変わらない。

当時も政治の話は家庭でするような話じゃないと思われていました。

社会で自分がこういうスタンスを持っていると発言したらレッテルを貼られてしまうから、怖くて言えないし、どちらかいうと大事なのは、自分の身の回りの生活。

国はそんなに悪いことをしないだろう、とみな思っていたんです。だから日常に没頭する。

‐それが日米開戦までの日常ということは、満州事変後もそのような日常があったということですか?

その通り。つまり、自分が爆撃を受けて、自分の家族が戦争で死んだときに、初めて戦争だったんだ、と思う。

例えば、女優の赤木春恵さん、満洲に渡って、引揚げてこられた方だったけれど、彼女が京都から満洲に渡ったのは昭和20年(1945年)の2月。

女優としてのチャンスを探して満洲に行ったんです。
京都でもちらほら空襲の音が聞こえてきたので、それだったら満洲に行こうと、と。

着いたら街中ではティータイムにはみんなで紅茶飲んでクッキー食べたりするような優雅な世界が待っていた。

劇団の座長に就いた後は、劇団をどう維持するのかが最大の課題で、ソ連軍が満洲に攻め入り、「ドーン!」という爆撃音を聞いてはじめて、あ、やっぱり戦争だったんだ、と。

‐戦争に対しての当事者意識が無かったんですね。

はい。ミッドウェー海戦のときも、農村部の人に聞くと、「ああ、大変だったみたいですね」という温度差。

戦後の僕らが思うよりも、日本人にとっての究極的な戦争体験というのは、非常に限られた期間だったんです。

しかも、大衆社会においては開戦に至るまでの政治情勢に対して、多くが無関心だったことに驚きを感じました。

‐その無関心さは今も続いているのでしょうか?

今も、現に中東で戦争が起きていますよね。僕たちも戦争を知っているんです。

でも、僕たちも戦争に目を向けていないだけ。第二次世界大戦のときと変わらないと思います。

戦争は知っている。だけど、被害者になったときに初めて戦争だと実感する。

戦争の過ちを繰り返さない最大の策は、我々が無知で無関心な大衆でないことだと思うんです。

-「無知で無関心な大衆」・・・。ショッキングな話ですね。

いつの時代だって、つい日々の暮らしが大事で、物事が見えなくなりがちです。

でも、戦時中と基本的な社会構造は変わっていないことを自覚すべきですね。

今も昔も格差社会ですよ。そして、昔も今も、戦争に目をつぶっている。

問題の解決策を生み出せていない社会に僕たちは生きているんだ、ということに立脚すべきだと思います。

だから、戦時中の日常を聞くことが大事なんです。

‐戦争の悲惨さではなく、日常の話を知ることでなにがわかるのでしょうか。

今と全く変わらないということがわかりますよね。

でも、そこから、ちょっとした時代の「ゆらぎ」を捉えて欲しいんです。

その「ゆらぎ」を見過ごしたらどういうことになるのか、過去からの教訓をしっかりと学び、次の選択をしたいと思っています。

 

 

入社動機は「NHKの落とし前をつけたい。」

‐NHKに入る前からそのような問題意識をもっていたのでしょうか?

そうですね。僕は、卒業論文を、ナチスドイツと大日本帝国下のNHKのプロパカンダについて書いたんです。

大日本帝国下の日本放送協会というのは、大本営発表を吹聴して回るプロパカンダ機関だと言っても過言ではなかった。

それなのに、日本のメディアというのは、戦前も戦後も主要プレーヤーが全く一緒なんですよ。

そういった点から、日本のメディアは本質の部分でそんなに変わっていないんだろうなぁ、と。

だからきちんと落とし前つけた方が良いんじゃないですか、という思いで、NHKに入りました。

‐NHKはよく採用しましたね(笑)。

その辺はNHKの懐の深さだと思います。当時の理事たちもそういったお話を大変面白がってくれた。

「君はどうするんだ?」と尋ねられたので「一生懸命説明をすればわかってもらえると思います。」と答えました。

そしたら、ずいぶん性善説なやつだなぁって大笑いされて(笑)。

でも、「君がそう信じるんだったら、やったら良いよ」って言ってくれましたね。

‐NHKを離れて変わったことはありますか?

テレビでは出来ないことをやっています。

「みんなの戦争証言アーカイブス」はいい例ですね、テレビだと時間の制限があり、一人の話を3時間まるまる流すなんて出来ません。

僕自身、NHKに居たときは、時間を気にしていました。取材もコンパクトさを心掛けていました。

今は、取材3時間したなら、もう3時間まるまる流そう、と思っています。

‐そのように変わったのはどうしてでしょうか?

NHKのときは、ひたすら悲惨な状況が大事だと思って聞いていました。今は日常の話が大事だと思っているので、その違いと関係あると思います。

日常の話だとコンパクトに出来ないですよ。でもそこに時代のゆらぎが垣間見えると思うんです。

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メディアと個人の関係は、協業体制へ。

‐最後に、メディアと個人の関係はこれからどうなるのでしょうか?

理想は、協業体制ですね。それは、8bitNewsの理念ともなりますが、最近の例だと、東京都の元福祉担当の女性が、都の職員を辞めて、クラウドファンディングでお金を集め始めたことを知り、8bitNewsで取り上げました。

彼女には、福祉作業所での賃金が低すぎて搾取の構造に近い現状を、どうにか変えたいとの問題意識があったのですが、彼女の取り組みはどこにも報じられていませんでした。

‐なるほど。

だから、僕らがお手伝いし、一緒にネットの番組をやって、そこでのインタビューを動画に。

また、記事にもして8bitNewsで出しました。そしてそのニュースは、8bitから、ハフィントン・ポストとヤフーニュースにも転載されて広がっていきました。
特に、ハフィントン・ポストでは、記事が英訳されて海外にまで配信されました。

‐それは凄いことですね。

はい。まさに、これからのマスコミと個人の発信の関わり方の理想だと思います。

個人が発信する、仲介者が現れる、仲介者が次のマスメディアにつなげる。

従来の「まずマスメディアが取り上げないと知られない」という状況がなくなってきているのです。

でもそれには実名での情報発信が必要不可欠だと思っています。自分は何者で、何が必要か、という当事者性が必要。

‐匿名文化が根付く日本だと難しそうですが、これは、SNSのメリットとも言えそうですね。

誰かに石を投げるだけのSNS文化からはもう脱却しないといけないんですよ。
当事者意識をもって、社会を変えていくために自分で行動を起こす。そのために使うSNSは武器となりますよね。

‐SNSを自己満足ではなく、より建設的に使うことで未来は広がるんですね。

でも、こういった変化はゆっくりで良いんですよ。急激に変わっていったことは壊れやすいので。

当事者性を意識するのも簡単なことじゃないと思いますが、ゆっくりとした良い変化が社会で徐々に広がって欲しいですね。そのために、僕もずっと頑張っていこうと思います。