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戦時中の「四畳半」に思いを寄せる―『ヨーソロー!!』インタビュー(2)

僕らだけが知っている未来を君たちはまだ知らない――

 

そんなモノローグで始まる、マンガ『ヨーソロー!!―宜シク候―』は、ある零戦搭乗員の若者を主人公とした、戦時の「日常」を描いた物語。いわゆる「戦争モノ」でありながら、激しい戦闘や悲惨な光景の描写ではなく、文字通り当時の最前線にいた若者たちの暮らしを細やかな視点で捉えたこの作品は、なんとなく身近な印象を読者に与えます。

 

作品ができたきっかけや独自の視点について語った前編に続いて、今回の記事ではその世界観の奥深くに迫ります。

 

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「四畳半」で起きている戦争を描く

 

―前編(リンク)では戦時中の人々の多様性に対する思いを伺いましたが、何か印象的なエピソードはありますか

 

今の戦争作品はメッセージありきが多いという話をしましたが、私の父親が子供の頃の写真を見ると、飛行帽を被っていたりするんです。当時(昭和30代)はまだ、兵隊は子供にとって身近なものだったということ。今より戦争映画も沢山やっていたと聞きます。現在は戦争というともっと極端な捉え方をされますよね。

 

―そこには時代的な背景も関係してくるんでしょうか。

 

背景というよりも、時代の空間のスケール感の差が、物語を捉える差になっていると思っています。家や生活のスケール感を見ても、昔のコンパクトな生活と今のLDKのつくりはまったく違います。大き過ぎるし、物があり過ぎるというか。それが当たり前の感覚だったので、私なんかはサザエさんを見ながら「何で家に車がないんだろう」と疑問に思っていましたから(笑)。

 

―そもそも時代のスケール感がちがうことで、身近に感じにくくなっている、ということでしょうか。

 

はい。物作りの世界では「四畳半」という言い方をよくするのですが、人ひとりの生活の範囲「四畳半」で捉えていきたいなと。どこか遠い物語になる前に、「お話」になってしまう前の今のタイミングで描いていくことが必要なんだと思っています。なので例えば派手な戦闘シーンとかは、視点が俯瞰になりすぎてしまうかなと。

 

―そういえば「ヨーソロー!!」1巻の戸澤の着替えシーン、あの描写がとても好きで。ああいった何気ないところに、そういった世界観が現れているように思います。

 

着替え2

 

そうなんですよ。現在の紳士服ってベルトで留めるじゃないですか。でも当時はサスペンダーで吊るんですよね。そんなところから、すでに概念が違っている。身近なことでいうと、自分の伯父がステテコを履く様子にも同じものを感じます。今の男の方ってズボンの下にステテコとか履きませんよね?

 

―履きませんね(笑)。

 

それが昭和の男性の身だしなみ、なんですよね。あとは帽子なんかもそう。帽子が揃って身だしなみが完成する。これはファストファッションでは表現出来ない格好良さです。こういったところも野球と通じるかもしれません。インナー、アンダーシャツなど、面倒くさそうなのに着方にこだわるという。

 

―なるほど。

 

あとは、当時予科練(「海軍飛行予科練習生」のこと)には「総員起こし」という起床の制度があって、起こす5分前に「これから起こすよ」という放送があるんです。で、布団の中で準備して時間通りに起きられるようにすると。この「準備する段取りの重要さ」というのも軍隊という団体生活の所作の1つですね。

 

―現代人だと相当意識の高い起床方法になりますね。私には難しそうです。

 

 

「自分だったら」にこだわることで人を描く

 

―日常には共通することも異なることもあると思いますが、戦時中を描くためには、当時のことをしっかり理解していなくては難しそうです。

 

自分が本当に体験したわけではないので、昔の事を完璧に再現出来るはずはないだろうと自覚しています。ですが、感情面では自分に嘘をつかないように、ということを意識して描いています。

 

―それは主人公に感情移入できるように、ということですか。

 

そうですね。『ザワさん』のときは、自分の高校時代を振り返りつつ、自分を群像劇のゲームマスターの視点に置いて描いていましたが、今回(『ヨーソロー!!』)では、1人の人間としての感覚を軸に描いています。自分を主人公の立場に置いて、腑に落ちることしか描かないように。

 

―だからこそ、読み手も身近に感じることができるのかもしれません。

 

遠くの話として受け取られないように、という意識はあります。上から目線の説教じみた話だったり、戦争の悲惨さだけを伝えるのではなく、「自分だったら」を大切にすることで読者の方にも共感してもらえるように。例えば、「和を乱すことはしないが、休みは一人でいたい」とか「制服のセンタープリーツが気になる」とか。そういう現代でも身近にあるような感覚を。

 

着替え

 

 

やがて訪れる、「絶対的な価値観」がくずれるとき

 

―度々話に挙がる『ザワさん』ですが、『ヨーソロー!!』と世界観が重なる部分があるように思います。

 

共通点としては「価値観」の話があると思います。

 

―「価値観」ですか?

 

はい。高校野球って、甲子園という目標に向かって一色に染まることができる期間ですよね。それこそ他のことは一切考えられないような。でも、負けてしまうことによって一瞬にして違う価値観に放り出されてしまう。ものすごく自由度は高いんだけれども、次の日から何をしたらいいのか分からない。玉音放送を聞いて、泣き崩れて、途方に暮れてしまった戦後の人々と重なると思うんです。勿論悲惨さの次元は比べようがないですが、次の日から全く違う価値観に放り出されるようなところが。

 

―なるほど。

 

『ヨーソロー!!』の主人公たちは、まだ「戦時中」の価値観の中にいて、ある日その価値観が崩れ去ってしまうことを知らない人たちです。私自身も終戦を経験したわけではない。

 

だからこそ、そこを想像することに今を生きる意味があるんじゃないかと思っています。

 

―自分自身経験していないからこそ、の部分も重要だと思います。

 

「価値観」というのは洋上に浮かぶ木の葉のように頼りないものなのだと思います。敗戦後にそれらがガラッと変貌していくことを、作中の彼らは知らないまま生きている。何となく予想はしている人もいるけど、全く想像がつかない。それでもとりあえず前進してみよう、明日が来たから1歩ずつ進んでみよう、そんなものを描きたいなと思っています。

 

―まさに「ヨーソロー」の精神ですね。

 

ただ、戦争中だからといって常に全ての人が「砂の上の城」であることを毎日ひたすら考えて怯えているわけではなく、世俗的なところにも思考が向かう瞬間もあったんじゃないかと。自分だったら戦争は絶対に嫌なので、突き詰めて考えてしまってきっと病んでいただろうと思いますけど・・・。

 

―最後に読者の方へメッセージをお願いします。

 

マンガなので、絵から感じることも含めて、気楽に楽しんでもらえればと思います。好きなように、屈託なく読んでほしいです。でも、遠い物語ではなく彼らを等身大に見てもらえたら、作者としては嬉しいです。

 

 

 

三島衛里子先生作の『ヨーソロー!!―宜シク候―』第2巻は8月6日より発売中!