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人生を変えるきっかけになったチェルノブイリ原発事故 【絵本作家 葉祥明さん インタビュー vol.1】

戦後70年の今年、7月で69歳を迎える葉祥明さん。絵本作家・画家・詩人である葉さんが描くやわらかなあたたかい画と、そっと寄り添う言葉の作品は、幅広い世代に愛されている。

葉さんは、メルヘン画家としての顔を持ちながら、社会問題を扱ったテーマの絵本も数多く出版されている。40歳の時に起こったチェルノブイリ原発事故が、人生を変える大きな転機になったというが、1986年に制作した「福島の事故を予言したような」絵本「美しい朝に」が出版されたのは、実に25年後の2011年8月10日、3.11の大震災がきっかけだった。

戦後1年目生まれの葉さんに、チェルノブイリの経験が葉さん自身に与えた変化と、ライフ・ヒストリーについてお話を伺った。

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葉祥明【本名:葉山祥明】(絵本作家・画家・詩人)1946年熊本市に生まれる。創作絵本『ぼくのべんちにしろいとり』でデビュー。1990年創作絵本『かぜとひょう』でボローニャ国際児童図書展グラフィック賞受賞。1991年鎌倉市に北鎌倉葉祥明美術館開館。2002年故郷の阿蘇に葉祥明阿蘇高原絵本美術館を開館。
『地雷ではなく花をください』『心に響く声』などをはじめ、人間の心を含めた地球上の様々な問題をテーマに創作活動を続けている。http://www.yohshomei.com

 

感性からの出発—それは、美しいか

 

– 葉さんの描く色や世界は、現実の世界にはない「どこか」を描いているのだと思っていました。ところが、第二次世界大戦の爪痕が今なお残り、水爆実験が何度も繰り返された南の島で、うつくしい青い海と空を見た後、葉さんの描く世界は、実際にこの世にある色や風景を描いているのではないか、と思うようになりました。葉さんはいつも、どのような世界をイメージされて、絵を描いていますか。

 

葉:僕も、美しい南の島の青い空や海の色が大好きです。しかし、一方人類の暗部とでも言える世界各地の悲しい歴史や、様々な問題にも深い関心がある。地球上の色んな問題をみたとき、自分の中の感性が刺激される。僕は知性と感性のバランスをずっと心がけてきた。

 

– それは、物心がついたときからですか。

 

葉:そうですね。美しいとは、造形的な美ばかりではなく、美しい行為のことも指します。人がそれらを傷つけたり、破壊したり、汚すことは、美しくない。美しくないものや状態を見ると、胸が痛む。それが、僕の創作の原点でもあります。

なぜ、この世界はこんなに美しいんだろう?
なぜ、汚されてしまったのだろうか?
この世界から美がなくなってしまったら、どうしたらよいのだろう?

僕は美しいものと美しくないものの二つのフィルターで、世の中を見ています。そういう観点、感性から出発して、戦争、犯罪、差別などいろいろな問題に辿り着きます。

 

 

転機は、チェルノブイリで直面した地球の破滅危機

 

 

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葉:チェルノブイリ原発事故前は、絵本作家・画家・葉祥明と個人・葉祥明を意識的に分けていました。それは、「この世を生き抜くための手段として選んだ職業・絵本作家が美しい画を描くには、そのスタンスをとるのがよい、と思っていたから。光と陰が同じ時空にあるというのがこの世だけれども、それまでは僕のプライベートな生活と社会生活をきっちり分けて生きていた。

 

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葉:しかし、チェルノブイリ以降、分けていられなくなった。プライベートな生活と、世界の出来事はつながっている。戦時中、若者たちは戦地へ行かされるようになった。プライベートな生活と国民としての義務を分けることはできなかった。でも、戦後は分けることができるようになった。日本は平和で、戦争をせずにこれたから。幸い日本の若者は、人生を左右するような出来事に遭遇せず、70年間無事に来られたことは、すごく大切に思っている。一方、1986年4月に起きたチェルノブイリ原発事故(これはエコロジーの問題でもある)は人類初、地球規模、惑星規模で起きた深刻な問題だった。

 

− そのように思われるに至ったのは、いつ頃からですか。

 

葉:僕は、子どものころからSF小説が好きだったの。地球がだめになったらどうするのか、という事に対する恐怖感と関心がずっとあった。地球があって、我々は生きているから。
ところが40歳の年、チェルノブイリ原発事故で、ついに僕が恐れていたことが起こった。それは、この地上のひとつの地域を超えて、まさに惑星規模の大事故。本当の破局だった!

「チェルノブイリ原発事故 放射能汚染」と新聞一面に書かれた大きな見出しを見た時、僕は愕然とした。その時、一番強かったのは、悲しみかな。「ああ、本当にこの世は終わりだ。」と思った。それと同時に、「もう個人・葉祥明としての人生を送れないな」と。だから生き方を変えなくちゃとね。人間は、変わる準備ができている人は、変われるの。変われない人は、変われない。

この惑星規模の問題は、人間が起こした問題であるけれど、人間以外のものにも、放射能という目に見えないものが降り注いで汚染する。事故発生から一週間後には、放射能は日本まで来た。チェルノブイリ以前にも、日本にはビキニ環礁の核実験で被爆したマグロ漁船があり、その前には広島、長崎、と放射能について考える機会があった。僕はチェルノブイリ以降、世界と自分との関係を模索し始めた。これまで分けて考えてきた自分自身と、この世界を一体化させるにはどうしたらよいのか、と。

 

 

ひとりだからこそできること

 

 

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葉:70年代は、ベトナム反戦運動、ヒッピー、学生紛争が盛んだったけれども、僕はそういう大きなムーブメントからは、一歩遠ざかっていた。共感はするけれども、そこに飛び込む事はしない。それは、子供の時からそうだった。群れると、自分を失うからね。もちろん、協調性も必要だけれども、冷静な観察者でいようと皆から遠ざかる癖は、持って生まれた性格だと思う。

なぜなら、一人でいるからこそ、空や雲や自然に集中できる。絵を描く、本を読む、詩を書くことができる。それらは、みんなひとりでする作業。一人じゃないとできない作業だ。ものを考えるってこともそうだよね。一方、人と接する時は、やっぱり自分を半分か、あるいはゼロにしないといけない。

僕の育ってきた環境は、実は群れの中。7人兄弟の僕は6番目。家はレストランをやっていたから、従業員が30、40人といる。自由放任の家庭で育ったこともあり、自由を自然に得られた環境と、僕自身の自由な意識とのバランスは、幼い頃からとれていた。そのおかげで、学校や社会の中でとらなくてはいけないバランス感覚を、子どもの時から家庭や日常の中で身につけられたね。自分をキープしながら、人とうまくやるバランス感覚が身についた。

 

 

幼少期から培った「バランス」感覚−それを崩したチェルノブイリ

 

 

葉:7人兄弟(男4人、女3人)の中で、戦前生まれが4人、戦後生まれが僕と弟。戦前の名残がいっぱい残っている昭和21年に、僕は生まれている。軍国主義、兵隊が一番偉いという時代から、民主主義、平和憲法を小学校で習った。でも、先生は変わっていない。戦前は「鬼畜米英」と言っていた先生が、戦後は「民主主義」と教えている。

戦前、戦中、戦後の平和が混沌としているけれども、僕が生まれた年には、もう敵がいないわけ。アメリカと言えば、ディズニー映画。米軍の兵隊(G.I)がチョコレートくれたり、町中にジャズが流れる進駐軍の占領地区の経験もした。

昭和20年代は、戦争経験者の記事がたくさん紙面に溢れていた。そういう意味では、戦時中の空気、情報もいっぱいある。それと同じくらい、これからの未来、というものもみんな見ている。ぼくたちはまさに、そのような混沌とした時代の中で、「バランス」感覚を自然と培うことができたから、物事を見るときには、多面的な見方をする。その中で自分の立ち位置を知って、自然に考える癖がついたんだ。

ところが、チェルノブイリで一転。これは、うまくバランスをとって生きるという話じゃない。「世界」と「自分」は一体なんだ!だから、世界全体と自分は無関係じゃないんだ!と、僕は苦悩しました。

 

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葉:とにかく、核や放射能ついて僕は猛烈に勉強した。それから25年後、福島で原発事故が起こったけれども、僕は以前から、自分の生き方と世界の問題と、どう折り合いをつけるのか、考え続けて来て、僕は絵本作家だから、その当時、「ぼくのあおいほし」という原発の恐ろしさを伝える絵本を作ったんだ。(つづく)

悲しい歴史や様々な問題から自分の感性が刺激され、チェルノブイリ原発事故以前は「自分」と「世界」とを幼少期から培った「バランス感覚」によって意識的に分けていたと語る葉さん。ところが、チェルノブイリで「世界」と「自分」は一体なんだ、と「バランス」をとって生きる姿勢が一転。絵本「ぼくのあおいほし」が生まれる背景に迫りました。

 

第二部では、「ぼくのあおいほし」をはじめ、より「自分」と「世界」を一体化していく中でうまれた作品への想いを伺います。

 

【写真】okawa・yu
【取材同行】yu

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okawa

南国帰りの行動派

1988年、神奈川県生まれ。 大学卒業後マーシャル諸島で3年間働いて帰国。夢はマーシャル人も驚く大家族の肝っ玉母ちゃんになること。