演劇の街といえば下北沢。
そんな下北沢を代表する劇場「本多劇場」にて、今月23日まで、劇団「柿食う客」の舞台「天邪鬼」が上演されている。
「よく学び、よく遊び、よく殺せ。今、壮大な“戦争ごっこ”が始まる。
荒廃した世界、混沌とした時代の中で、無邪気に仲良く“戦争ごっこ”に熱狂するこどもたち。両手を拳銃に見立て、互いの急所を撃ち合ううちに、やがて指先から虚構の弾丸を放つようになる。イマジネーションが生み出したその弾丸は、ホンモノの人間を撃ち殺し、戦車を破壊し、戦闘機を落とす。大人たちは、こどもたちのイマジネーションを操る能力に注目し、能力開発の為に新たな教育システムを採用する。その為に採用されたのが“演劇”。今やすべての教育機関で、こどもたちは強制的に演劇を学ぶ。ホンモノの“戦争ごっこ”の為に。」(公式サイトより)
演出家・中屋敷法仁は、アフタートークにて、「演劇は日本語で作るから、どうしても日々、日本語に敏感になってしまう。“内部被爆”という言葉はどうしても聞いた人をざわりとさせる。一方で、リズミカルですぐ覚えてしまう言葉もある。演劇というものが、現実世界で何が起ころうと、舞台上ではそれと関係が無いというか、現実世界から守られていると思った。そこから出て、どうやったら現実世界や劇を観に来た観客たちと舞台上で関係を持つことが出来るか。言葉を使ってその挑戦をしたかった」と語った。
本作では、子どもたちはイマジネーションで、ごっこ遊びを始める。
字面上では、なんだか可愛いらしいものと思えるが、私は劇が進行するとともに、子どものイマジネーションでのごっこ遊びに怖さを感じるようになった。
桃太郎のごっこ遊びに興じる場面では、「鬼を殺せ殺せ、殺しまくるんだ」と桃太郎が言う。
その迫力に押され、舞台上で起きているのは単なるごっこ遊びなのか区別が出来なくなる。
ごっこ遊びというカモフラージュを通じて私たちが見ているのはもっと怖いもの、惨忍なものなのではないのか。
一年半前から本作品の構想を練っていたという中屋敷法仁。
アフタートークからは、今の社会動向とリンクさせる意図やメッセージはあるのか。という質問も挙がった。
ただ、劇を観終わって思ったのは、いつも戦争の始まりには、仮想敵の存在とそれに対する「底の浅い憎しみ」があるのだと。
底の浅い憎しみというのは、実態を伴わない頭の中で勝手に倍増された憎しみのことだ。
そして、戦争が始まれば、個性は回収され与えられた役割と同一化してしまう。
それらは、ごっこ遊びと共通する要素があるのではないか。
ごっこ遊びをしている最中、私は私じゃなくて「桃太郎」なのだ。だから鬼を殺すのだ。
イマジネーションで作り上げた底の浅い憎しみに何の疑問も持たずに、盲目的に邁進していく。
私にはこの劇が、どうしても忠告のように感じられた。
ごっこ遊びはこんなに出来るんだよ。
戦争ごっこはこんなに簡単なんだよ。
そして、ごっこ遊びからホンモノになるのもすごく簡単なことなんだと―。
なお、25日からは兵庫、30日からは岐阜公演もある。
編集部・ゆう