カタカタカタ・・・と音を立てて布と布をつなぎ合わせていく機械、「ミシン」。小中学校時代、家庭科の授業で扱ったことを覚えている方も多いのではないでしょうか。このミシンという機械、昭和の頃に少年時代を過ごした私の周囲では一家に一台あるのが当たり前、ちょっとした衣類や繕い物に活躍する様を見て育ったものでした。



しかし大人になった今、よく考えてみると布や糸を買って服をつくるのは、材料費や労力がかかる非合理的な作業だったのではないかと思うようになりました。そもそも、数多くの一般家庭にミシンがあるのが当たり前になっていたこと自体、不思議な話です。



そんな「なぜ?」について、ファッションオタクが高じて、金融関係の仕事を辞めてファッション分野で起業したスタイラー株式会社の小関翼さんが解説してくれました。

岡山 史興
70Seeds編集長。「できごとのじぶんごと化」をミッションに、世の中のさまざまな「編集」に取り組んでいます。

koseki

 

 

―――――――――

小関さんプロフィール:

スタイラー株式会社代表取締役社長。

“つながり”でファッションを楽しくするSTYLERおよび、STYLER MAGを運営。テレビ、新聞等にも多数掲載

―――――――――

 

 

ファッションは時代を映す鏡

‐小関さんは起業してしまうほどのファッションオタクだそうですが、どのようなところに惹かれたのでしょうか?

服というのは単に体を保護したり、寒さから守るだけではなく、着る人の社会的な位置づけも周囲に伝えるメディアなんです。

例えば、僕はベンチャー企業を経営していますが、この文化圏では多くの人がTシャツで働いています。一方、大企業の人はスーツで働いているイメージですよね。

これは単なる機能性の問題ではなく、「どのように見て欲しいか」という外部に対するコミュニケーションだし、着る人の性格にも内面化されます。

僕は映画や漫画が好きだったので、各時代の服の移り変わりから社会的な考察もできる点にも興味を惹かれたんですよね。

‐確かに、国や時代が異なれば全く違う服装をしていますね。

もちろん、これは僕のオリジナルの考え方ではなく、昔から考えられてきたことです。

日本の民俗学の祖として有名な柳田國男も『明治大正史 世相篇』で衣服の移り変わりから社会の変遷を描いています。

‐たとえば、戦後日本ではどのような社会の変遷が読み取れるのでしょうか?

21世紀に消費社会を謳歌している私たちだと気づきにくいんですが、戦後の日本は普通に貧しかったんですよね。

例えば、1955年に開かれた第1回のアジア・アフリカ会議には先進国に対する後進国「アジア・アフリカ」側として日本は出席しています。

その後、1956年にはGNPが戦前の水準まで回復し、「もはや戦後ではない」と成長の道を辿っていきますが。

‐なるほど。ファッションにおいてはどのような転換があったのでしょう?

まず、和装から洋装への変化は大きいです。もちろん、戦前から明治の近代化の波の中で洋装を日本の社会に取り入れる動きは多くありました。和魂洋才みたいな。

今の人からするとモンペは古臭く見えると思いますが、和服からすると動きやすい。実はモダンな服装なんですよね。

‐モンペを洋装として捉えたことはありませんでした。

 

ミシン普及の裏にあった「良妻賢母」像のマーケティング

また、アメリカから進出してきた当時のグローバル企業であるシンガーミシンの功績はよく語られるところです。

同社は、近代的なセールスマンという仕事を日本に定着させ、日本家庭の中にはミシンを使いこなして家計を管理する良妻賢母思想のようなものをもたらしました。

今からすると古臭く見える性的役割分担も、当時はアメリカからの輸入思想が土着化したものだったと言われています。

実はアメリカの専業主婦像も20世紀前半から50年台にかけて完成されたのだそうです。

詳しくはアンドリュー・ゴードンの『ミシンと日本の近代』にも書かれています。

‐ミシンが日本に普及した裏には、そんなマーケティングがあったんですね。

はい。1950年代には多くの日本の家庭が自宅にミシンを持ち、1日2時間も服の作成に時間を費やしていました。

今は服を買うのが普通になっていますが、当時は既製服を買うのは恥だったんです。

当時の雑誌には型紙がついているくらいでした。

しかし、日本の経済成長に伴い、女性がミシンを踏む機会は激減します。

豊かになり、普通に買ったほうが合理的という時代が到来するんですね。

‐おや。

1982年に糸井重里さんの有名なキャッチコピーで「おいしい生活」というものがありますが、象徴的だと思います。

というのも、それまで「生活」という言葉は明るい意味があまりなかったんですよね。みんな貧しいながらも、苦労して、身を寄せあって生活していた。

『三丁目の夕日』みたいに笑。だから、生活がおいしいというキャッチコピーが映えるとともに、社会の変化を捉えたものだと見なされたんだと思います。

‐その後のファッション業界では何が起こったのでしょうか?

 

家庭の性質が変わったとはいえ、ミシンが一般化したことにより強化された、国内の生産基盤は日本のファッション業界を支える要因の1つとなりました。

クリエーションに注目しても、国内で服を生産できる人と拠点が多かったからこそ、日本のスタイルを示すことができたんだと思います。

文化服装学院や杉野服飾大学といった専門的な教育機関も、もともとシンガーミシンが洋裁を根付かせるために設立した学校です。

日本ブランドを代表する川久保玲(ファッションブランド「コムデギャルソン」の創始者)も旭化成出身だし、山本耀司(ファッションブランド「ヨウジヤマモト」デザイナー)も実家が洋品店を営んでいたことが知られていますしね。

 

現代日本のファッションとインターネット

‐現在は海外に生産が流出しているようにも見えます。

中国の人件費高騰と円安によって国内回帰しているといっても、昔と同じようにはいかないと思います。

一国内でも比較優位の産業に優秀な人材が流れるので。但し、消費に目を移すと日本は特異なポジションにいることが分かります。

‐というのは?

下の図は経済産業省が2014年に発表した、各地域のファッション産業の価格別ピラミッドです(経済産業省「日本ファッション産業の海外展開戦略に関する調査」(2014)。

下からファストファッション、ミドル、ラグジュアリーです。基本的に所得に応じていて、日本はミドル価格帯のブランドを多く楽しんでいます。

そして、この価格帯には数多くのブランドが存在するんですよね。それこそ人の数だけ好みが分かれているように。

‐つまり、社会の変遷によって、消費がクリエーションを支えるようになったと。

たまたま、「STREET」や「FRUiTS」の創業者青木正一さんと原宿のファッションについてお話する機会があったんですが、最近のファッションは面白いと仰るんですよね。

というのも、ベーシックに回帰している人たちを尻目に文法がめちゃくちゃな人が多いらしいです笑。

例えば、ストリートでボタンダウンを着ながら、70年代的なアクセサリーも持つみたいな。

日本は洋装の本流ではないので社会的コードが緩く、色んな服装を楽しめるんですよね。

そこにインターネットによって、文法とは関係なく、フラットに過去の服装が参照されますので、より自由な服の着方というのも生まれるのかなと思っています。

‐インターネットがファッションに与えた影響は、日本で特に大きいのでしょうか?

名称未設定

日本以外は、階級や生活スタイルとファッションが密接に関わっており、ネットの影響がそこまで高くありません。

逆に日本ではミドル(上図参照)の消費者をまとめにくいことから、インターネットをファッションに活用する「Fashion Tech」という分野で有利な立場に置かれています。

私自身も、そのような背景に注目してファッション業界でビジネスに取り組んでいる一人ですね。

‐その他に、現代のファッション業界について新しい話があれば教えてください。

業界で注目されているのは、やはり今ブームの人工知能についてですね。

同分野の研究者として著名な東京大学の松尾豊先生とお話した際に面白いと思ったのが、「人工知能の限界」についての話です。

‐人間の仕事がなくなっていく、という話題ですか?

そういった話に対する反論のようなことですね。

今注目されている「ディープラーニング」という技術は、簡単に言うと画像の特徴量を人工知能自体が学習していく技術です。

もちろん、ファッションのデザインは特徴量の抽出と密接に関わっているのですが、社会的なコードと関係する特徴の理解は苦手なんですよね。

そこには画像外の知識の獲得が必要になるからです。

そのような観点でテクノロジーのことをきちんと知ると、「人工知能が人間の仕事を奪う」というセンセーショナルな話に惑わされず、腰を据えてファッションとテクノロジーの未来を考えられるんじゃないかと思います。