「良く生きる」をテーマに、大学の役割を問いかけてきた連載企画。
これまでの2回では、大学を卒業して経営者として生きる酒向さんと、研究者として大学と外側の社会とのちょうど間の立ち位置から語る大橋さんとそれぞれの視点からの対話を行ってきました。
第3回となる今回の対話相手は、大学生活真っ只中の大学1年生たち。高校を卒業し、学生生活の中でどんな「大学の役割」を実感しているのでしょうか。
【今回の登場人物】
ゲスト:聖学院大学1年生(ライフデザイン講座受講生)*取材時
今野果林さん(写真左から2番目)
近藤彪斗さん(写真左から3番目)
鈴木将太さん(写真左から4番目) ※学年は2019年12月時点
ホスト:
清水均教授(聖学院大学人文学部教授)
ファシリテーター:
岡山史興さん(ウェブメディア『70seeds』 編集長)
僕たちはなぜ大学に行くのか
高校を卒業した若者たちの進路は、大学だけではありません。専門学校に行ったり就職したり、最近ではそのまま起業する人も少なからず現れているように、生き方の選択肢が広がっている時代。彼らはなぜ、大学進学という道を選んだのか。今回の対話は、そんな話からスタートしました。
三者三様の進学理由は、一口に「大学生」と括れない多様さを投げかけます。
「私は3人きょうだいの真ん中で、姉も就職していたので就職しようかと思っていたのですが、親が大学進学を勧めてくれたのがきっかけで大学に行くことにしたんです」(今野さん)
「高校は工業系で周りは9割以上就職するのがあたりまえだったんですが、正直なところ僕は電気や電子といった領域から離れたかったんです。将来教員になりたいという気持ちがあったので、大学に行きたいなと」(近藤さん)
それぞれ動機は違うものの、共通していたのは家族、学校といった周りの「あたりまえ」と違う道を進もうと決めたこと。そんな道の選び方がもっとも色濃く表れていたのが、3人目の鈴木さんでした。
「中学時代から勉強が嫌いで高校にも行く気がなかったんです。さらに高校では、それまで好きだったものが急に好きじゃなくなって進路がわからなくなってしまった。それでも唯一残ったのが『妖怪』というテーマで、大学に行けば何かできるかもしれない、と期待したんです」(鈴木さん)
鈴木さんが「急に好きでなくなったもの」、それは「絵を描くこと」でした。周りのレベルの高さに劣等感を抱いてしまったことが、好きな気持ちを奪っていってしまったのです。
鈴木さんのエピソードに、清水教授は自身の体験を交えてこんな視点を示します。
「私は高校まで男子校だったから、大学は共学というだけで自由を実感しました。好きじゃない科目のつまらなさより、やりたいことをできる満足度の方が高かったんですね。友達と舞台を作ったり、矢沢永吉のライブで照明機材運びのアルバイトをしたり。今、大学で文学を教えていますが、それも元々好きなことでしたから、やりたいことと生きていることがつながっているなと感じますね」(清水教授)
好きでないことよりも好きなこと、やりたくないことよりもやりたいことを追いかけられる大学の「自由」。3人の学生たちは、どんな「自由」に向き合っているのでしょうか。
「やりたいこと」が見つかったなら
きまりの多かった高校時代までの生活から、いきなり大学で自由と向き合うことになり、逆に「どう生きればいいのか」「何を“やりたい”」にすればいいのか悩んでしまう学生は少なくありません。SNSなどを通じて、あまりにもたくさんの選択肢が見えてしまう現代だからこその悩みとも言えます。
今回対話した3人も、大学を選ぶ時点で明確に「やりたい」ことがあったわけではない、とそれぞれの思いを語ります。
「(やりたいことは)特にきまってなかったんですよね。今は『神話』に興味があります。木下先生の授業がおもしろかったので」(今野さん)
「僕が教員になりたいと思ったのは、高校時代の先生の影響が大きいです。哲学や思想だとか、高校で習うこととは違う視点を得られて。生花を始めたのもその頃だし、今はスポーツや趣味とか大学でやりたいことを見つけたいなと思っています」(近藤さん)
大学に期待していた「何か見つかるかもしれない」という気持ちを、入学後に経験するさまざまな出会いの中で形にしている学生たち。そんな出会いについて清水教授からはこんな投げかけが。
「新しい出会いもそうだし、これまで好きだったことについて今まで知らなかった部分を発見できるのも大学の良さなんだと思います。大学生というのは半分大人で半分子どもの存在。だから、振れ幅が大きくても許される時期ですよね」(清水教授)
この「振れ幅が大きくても許される」という清水教授の言葉は、学生たちにある気づきを与えました。それは、自分には「やりたいこと」を選んだ結果、後悔しない人生を送れた経験があったこと。
自立を促す「一人を愛する」大学
近藤さんは中学から、バスケットボールに熱中していました。ところが、部活の仲間とは温度差があり、練習に自分一人しか来ないこともあったのだそう。それでも1人練習に取り組み続けたことで後悔せずに済んだと語ります。
「夏休み、自分以外誰も来ないときがあったんです。勉強と並行しながら、ほぼ毎日1人で3時間練習して。当時はしんどい気持ちもあったけれど、周りに流されなくてよかったと思っています」(近藤さん)
触発されたように、今野さん、鈴木さんも自身のエピソードを語り始めます。
「私も、高校の部活でキャプテンに選ばれたとき、自分に務まるのか?と思っていたけれど、やった結果、『自分だけが引っ張っていくわけじゃない』という気づきも得られて、やってよかったと思いました」(今野さん)
「僕は人生の分岐がバドミントンを辞めたときでした。家族がバドミントン一家で、姉と弟は全国レベル、僕は小学生とのときにやめて、妖怪に興味を持つようになったんです」(鈴木さん)
学生たちから語られた選択と気づきは、聖学院大学が提唱する「一人を愛し、一人を育む。」というコンセプトが活きる生き方だと、清水教授は被せるように続けました。
「聖学院大学の『一人を愛する』とは、自立してほしいという願いです。特に1年生のときはスムーズに学校生活に入ってもらうことが重要。だから、手取り足取りではなく、本人たちの好きなことを引っ張り上げたり、何か溜めていそうな顔をしていたら気にかけてあげたりしたいんですよ」(清水教授)
「先生と仲良くなってみたいと思わされることは初めてでした。高校までにはなかった感覚です」(鈴木さん)
大学は、素の自分に出会える場所
今回の連載企画のテーマでもある「良く生きる」。自分がどんな道を進むのか、そんな自分自身と向き合う機会でもある「ライフデザイン講座」を受けた3人は、どのような気づきを得たのでしょうか。それぞれがまず口にしたのは「大変だった」という率直な感想でした。
「自分で計画して、アポを取ってインタビューをしに行く、なかなかハードルも高いし嫌だったんじゃないかな(笑)」(清水教授)
「本当に嫌でしたね(笑)緊張するし、行く前は地獄のようでしたけど、行ったら『頑張ったな、自分』って、褒めたくなる気持ちになりました」(鈴木さん)
「不安でたまらなかったですよ。でもやったらできた(笑)」(今野さん)
「グループ分けも意識してつくった」という清水教授の狙い通り、壁を乗り越えた学生たちには、他では得られない経験になったようです。近藤さんからのコメントは、その経験を強く感じさせてくれます。
「高校までは同世代の人としか話す機会がなかったから、年上の人と話すことで、『大学生にとって必要なこととは?』と考えることも増えて、気づかされることが多かったなと思っています」(近藤さん)
そして話題は学校と社会の間で気づいた「本当の自分」というテーマに移っていきます。様々な相手との対話を通じて、改めて大学生である自分自身に目が向いていったようです。
「『本当の自分』ってないんじゃないかって。玉ねぎのように剥いても剥いても違う皮が出てくる感覚なんですよね」(近藤さん)
「ありのままの自分でいられる場所って、これまでは家しかなかった。でも、大学に入ると趣味が合う人もいたりして、話す内容が増えたな、という感覚はあります」(鈴木さん)
「私は、家でも、友達といるときも、テンションは違っても自分は自分という感覚ですね。玉ねぎの皮ひとつひとつが全部自分であるというか」(今野さん)
3人に共通していたのは、小中高と違う「素を出せる場」としての大学の存在。自分が自分らしくあるための場としての役割への気づきでした。大橋さんとの対話で挙がった「引きこもれる場」という文脈と通じる話に、清水先生が出した答えは、学生と学校双方の「気づきあい」です。
「『良く生きる』を実感できる中身はひとそれぞれだから、それぞれのそんな瞬間を持ってほしいと思っています。ライフデザイン講座で得た出会いや学びをきっかけにしていくのも、その1つですよね。関心や考え方は学生生活の中で変わって行くかもしれないけれど、4年生になった時点で「楽しかった」と思ってほしいのが一番です。いろんな材料、チャンスの中で、学校側も学生のことを知らなきゃいけないと思っています」(清水教授)
まるで玉ねぎのような「自分」。その人生をより「良く生きる」ための一つの選択肢として、大学という場を見つめてみるのは、今だけの特別な経験なのかもしれません。