「安心して引きこもっていい」

そんな言葉に包まれることは、日常生活の中ではなかなかないことかもしれません。
ですが、人が人らしく、自分で主体性を持った生き方をしていくには、一度立ち止まる経験がヒントを与えてくれることもあります。

この連載では、「良く生きる」ことをテーマにした研究・講義を展開している聖学院大学の清水均教授とゲストとの対話を通じて、人生のなかでも特に可能性の広がる大学時代の時間をどのように形作っていくのかというテーマへのヒントを見出していきます。

第二回のゲストは慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科後期博士課程で「移動」の経験と「家族」のあり方に関する調査研究をしてきた、大橋香奈さん。
大橋さんが研究者として活動するきっかけとなったのは、著書「フィンランドで見つけた「学びのデザイン」 豊かな人生をかたちにする19の実践」でも語られている、フィンランドへの移住を機に出会った「豊かな生き方」でした。そんな大橋さんとの対話から見えてきた、「学生が豊かに生きていくための支えとなる大学の役割」とは。

【登場人物プロフィール】

ゲスト:大橋香奈さん(慶應義塾大学非常勤講師 ※2019年度現在)
ホスト:清水均教授(聖学院大学人文学部長兼アメリカ・ヨーロッパ文化学研究科長)
ファシリテーター:岡山史興(ウェブメディア『70seeds』編集長)

引きこもりから始まったフィンランド生活での気づき

大橋さんが「豊かに生きる」ことについて考えるきっかけになったのはフィンランドへの移住でした。研究者である夫がフィンランドで研究する機会を得たことを機に、大橋さん自身もフィンランドについて行くことを決意。

しかし、フィンランドに移住してすぐのこと。大橋さんに異変が訪れます。それまでメーカーで猛烈に働いていた大橋さんは退職をして会社員というラベルが外れたことで、自分は何者なのかがわからなくなってしまったのです。そこから抜け出すきっかけになったのは、学生時代からの経験でした。

「『なにもない』と家で悶々とする時間が3ヶ月くらい続いたころ、夫とフィンランドの『学校の外にある学びの場』を見に行くことになったんです。そこで、大学時代に学んだフィールドワークの技法が活きたんです。この経験を通じて、自分の知らない世界に行ったときは、その土地で出会った人たちから学ぶことが重要なんじゃないか、という思いを新たにしました」(大橋さん)

大学生のころ文化人類学ゼミに所属していた大橋さんは、自身のやりたいテーマで毎年夏に南米でフィールドワークする日々を送っていました。この経験が、フィンランドでの日々とつながり、「私には何もない」と引きこもる日々を抜け出すきっかけになったのです。

フィンランドには無料だったり安い料金で図書館や美術館、NPOが提供するプログラムなど、様々な学びの機会が得られる場があります。そのことを知った大橋さんは、そういった場での取材やインタビューを通して「豊かに生きる」とは何かを考えます。

「豊かに生きるって、学び続けるということ、そのためには、人生のいろんなフェーズで学び直すことができる『環境』があることが重要なんだなと、毎回お話を聞くたびに実感しました」(大橋さん)

「『移動』をテーマに研究し、自身も移動し続けているイメージの大橋さんが引きこもっていたというのは驚きでした。フィンランドで触れた様々な学びのあり方と、それによって学び続けられる環境があることが豊かに生きることにつながっているというお考えですよね」(清水教授)

大橋さんがフィンランドで実感した、良く生きる・豊かに生きるための環境。清水教授はそんな大橋さんの経験を入り口に、「教育」と「学び」の違いについて話題を進めます。

フィンランドの教育から学ぶ「よく生きる」とは

大橋さんの話から「学び」という言葉に注目した清水教授は、普段から「教育」ではなく、「学び・学習」という表現を用いると前置きし、こう問いかけました。

「大橋さんもあえて『学び』という言葉をお使いになりますよね。『教育』ではなく『学び』とこだわるのは何か理由がありますか?」(清水教授)

「学びには主体性というのが重要な一方で、いきなり自主的に学べる訳ではないから、教育があって初めて学ぶ主体って出来上がっていくのではないかと。フィンランドにいる頃は、教育現場で「学びの主体性」を育む教育を目にし、自分自身に対しても学びの主体性を問うことが多かったので、学びに対しての関心が大きかったんじゃないかと思います」(大橋さん)

フィンランドにいなかったら「学び」という言葉にこれほど注目することもなかったかも、と振り返る大橋さんは、フィンランドの教育現場での学生の評価方法において興味深かった例を挙げます。

「フィンランドの基礎教育(7〜16歳)では、大学の修士以上の専門性が高い現場の先生がクラスのカリキュラムを年間で計画し生徒を評価します。核となるカリキュラムはもちろん存在します。基礎教育期間には全国統一テストはありません。先生の専門性や学校の地域性によってカリキュラムの余白を自由に使って授業を行うため、生徒には統一テストでは測れないような多様性が表れてきます」(大橋さん)

評価の枠組みが決められている日本の教育とは異なった、余白のある自由な教育。こうした教育のあり方を見てきたことが「学びの主体性」を推進するきっかけとなったようです。

清水教授は、「研究を続ける生活を見つけられた自分は、自分で見つけてきたあり方だと思っていたけれど、教育を受ける過程のどこかで与えられたものだったのかもしれない」と振り返ります。

「学生には、大学をリビングルームのようにしてゆっくりくつろぎ、いろいろなことを吸収して欲しい。私はその日常のどこかで刺激を与え学生が学びにのめり込む機会を生み出したい」(清水教授

清水教授は、自分自身が得た「学び」の喜びや経験を同じく学生にも感じてもらえるように、という思いを込めて大学のあり方について考えます。

「安心して引きこもれる環境」としての大学

SNSの普及によって「いいね」の数や再生回数など、今この瞬間に評価されてしまうものばかりが周りにある現代。常に社会的な評価を気にして、就職活動のためにインスタグラムを作り上げる学生もいるといいます。こうした時勢の中で評価にふりまわされている学生たちにとって、大学はどんな存在でいられるでしょうか。

大橋さんは「引きこもれる環境としての大学」であることが重要だと語ります。

「日本の教育の状況の中で、大学という場でどこまで学びの場を作ることができるのかというヒントを得たいですね」(清水教授)

「いい意味で社会から離れているっていうのが大学の重要な部分。常にスマホを触り自分ではない誰かと接続し、評価されている状態では健全に学べないと思います。歴史に耐えてきた古典的な知識にじっくり触れるとか、あるいは今の仕組みでは評価されていないものを尊ぶことができるのって大学の魅力で、今すぐいいかどうかわからないものの可能性に落ち着いて触れられることは、今の学生にとって非常に重要なんじゃないかと思うんです」(大橋さん)

社会からは距離をおいて引きこもってるけれど孤独ではないと安心して思える場所、安心して帰れる場所がいまの大学生にとっては必要なのだと、大橋さんは教員として学生をみてきた経験に基づいて話します。

「インターン先や学校外の活動、様々な場面で評価されるシーンが多い大学生にとって、その環境にうまくフィットできない瞬間だってある。そんな時に大事にして欲しいのが、大学にいれば違う枠組みや違う国や時代考え方に触れることができ、自分が今評価されてないとしても別の可能性があるかもしれないと安心して思えることなんです」(大橋さん)

学生が「良く生きる」ための大学の役割について、清水教授は日々の授業風景を振り返って語ります。

「授業の中でも、フィールドワークで初めて経験することや大人の社会に足を踏み入れる機会があると、学生たちは怯んだり、逃げようとしたりすることがあります。でもそんな時に、教員が「失敗していいんだ」と学生に対して言える、それを言うだけの度量が我々にも必要とされているわけですね。」(清水教授)

大学が、学生にとって「良く生きる」環境として存在するためにどうあるべきかという、今回の問い。情報に溢れ、インターネットやSNSによって常に誰かと接続し評価されている現代、「安心して引きこもっていいんだよ」と言える数少ない場所であること。それが大学の役割を考えるヒントになるかもしれません。