福島県の名物といえば今の時期だと桃が有名ですが、実は隠れた酒どころだと知っていましたか?



震災前から高い評価を受け、今年発表された全国新酒鑑評会では史上初の6年連続金賞受賞数日本一という偉業を達成しているのです。



この記事を書いている私も、復興支援の仕事で福島に移住して来るまでは全く知りませんでした。



そんな福島には、地元の日本酒の魅力を発信する『fukunomo』という月定額制のサービスがあります。



現在130人を数える会員に、月替わりでおすすめの日本酒1本とおつまみ、情報誌を送るシステムを発案した編集長の小笠原隼人さん(以下、隼人さん)は、実は地元出身ではなく関東からの移住者。いったいどんな想いで運営しているのか、同じ移住者として聞きました。

山根 麻衣子
"神奈川県横浜市生まれ。 2014年、東日本大震災の復興支援業務のため、福島県いわき市に移住。 2016年から「いわき経済新聞」 https://iwaki.keizai.biz/ を運営。福島県浜通り地域(主にいわき市、双葉郡)のニュース・インタビューを発信。 ほかに「福島TRIP」 https://www.fukushimatrip.com/ 「docomo東北復興・新生支援 笑顔の架け橋Rainbowプロジェクト」 http://rainbow.nttdocomo.co.jp/ などで執筆。 福島と県外の架け橋となるライターを目指しています。"
庄司 智昭
編集者 / ライター|東京と秋田の2拠点生活|inquireに所属|関心領域:ローカル、テクノロジー、メンタルヘルス|「おきてがみ( note.mu/okitegamilocal )」というローカルマガジンを始めました

きっかけは福島で出会った人たちの「ストーリー」

 

2016年3月に創刊したfukunomo。毎月1回の発行を続け、2018年8月で通算30号を迎えました。

 

隼人さんが2018年3月まで勤めていた、震災後の福島の課題に取り組む個人や団体を支援する「(一社)ふくしまチャレンジはじめっぺ(以下、はじめっぺ)」の事業として始まり、現在は隼人さん自身の会社「(株)エフライフ」が引き継いでいます。

 

仕事で関わるまでは、福島の日本酒に大きな関心はなかったという隼人さん。

 

しかし、福島県内の50を超える蔵元から毎月1軒を取材していく中で、その美味しさと、作り手のこだわりや覚悟に出合い、福島の日本酒に込められた想いを伝えたいと思うようになりました。

((株)エフライフ代表取締役社長 小笠原隼人さん)

 

隼人さんは2015年に発足したはじめっぺの職員として、fukunomoのほかにも、風評払拭を目的とする、福島県産の生産物をPRするイベントを多く担当してきました。

 

「AKB48をゲストに呼ぶような1000人規模のPRイベントや、全国各地で福島県産品をPRするイベントなどを手がけました。その中で、僕が大事にしたいのはイベントや商品そのものよりも、生産者たちのストーリーだと気付いたんです。まず人がいて、その想いのアウトプットがお酒や生産物になっていく。商品に価値があるのはもちろんなのですが、届けたいのは、福島の人たちのストーリーなんです」(隼人さん)

 

ですが、隼人さん自身の思いとは裏腹に、福島の生産者たちは震災と原発事故の影響で、生産方法や生産する場所を変えることを余儀なくされたり、風評被害がいまだに続いている現状があるのも事実。

 

三菱総研が2017年11月に発表した、東京都民への「福島県産の食品に対する意識」では、「福島県産かどうか気にしない」という回答が6割を超えましたが、依然として3割以上の人は「放射線が気になるのでためらう」と回答しています。

 

そうした現状について、生産者を近くで見ている隼人さんはどのように感じているのでしょうか?

 

実は風評や風化を意識したことがほとんどないんです。

 

双葉郡浪江町の鈴木酒造店のように、津波で蔵が流されて、山形県という別の土地で一からやり直すことを決めた生産者もいますが、『震災があったから』というよりは、『続けたいか、そうでないか』という、一人一人の想いの差だと感じています。

 

続けたければどんなことがあっても続ける、好きだからやる。そういう生産者たちに、福島でたくさん出会いました」(隼人さん)

 

隼人さんが風評被害よりも問題意識を感じていたのは、福島の人たちが「魅力的な生産者やそこから生み出される食の豊かさをほとんど知らないのではないか」ということでした。

 

そして、それを伝えるにはこれまで取り組んできた大規模なPRイベントでは難しいとも感じていたといいます。

(郡山市内の農園で農作業をする隼人さんと、奥さんの香織さん)

 

地元の人たちに気付いてほしいこと 

 

はじめっぺでは集客を重視したPRイベントを手がけてきた隼人さんですが、少人数で食を囲むからこそ生まれる親密感から伝えられることもあると考えていたそうです。

 

本当に伝えたいことが伝わる人数は、せいぜい20人くらいだと思います。2012年に福島県に移住してから郡山市で運営しているシェアハウス『わげさこハウス』で、定期的に開催していた食事会で、特にそう思うようになりました。

 

地元の食や酒を、家族や友達と一緒に食べるのは自身の幸せの原点でもあります。亡くなった母がとても料理上手で、学生時代の体育祭の打ち上げなんかをいつも家でやっていたんです。

 

『オガの母ちゃん料理うまいな』とか言われても、いつも食べているから気づかなかったんですが、その料理の数々やもてなしの気持ちというのは母の愛情だったんだなと亡くなってから気付いて。

 

少人数で食卓を囲むことでつながりを作りたいと考えるようになったのは、母の気持ちへの恩返しなのかも知れません」(隼人さん)

(わげさこハウス主催で2015年12月に開催した食事会の様子)

 

そんな思いを形にするため、隼人さんは2018年8月に、fukunomoのデザイナーで、パートナーでもある佐久間(小笠原)香織さんと、郡山市に席数15席のローカルスナック『SHOKU SHOKU FUKUSHIMA(しょくしょくふくしま)』を立ちあげました。

 

「実は地元の人ほど、『福島なんて田舎で何もない』と思っている人が多いです。そのため、地元である福島の『食』とそれを作っている人たちの『職』を直に感じられる場所を作りたいと思い、ローカルスナックのオープンを決めました」(隼人さん)

 

私は福島県三春町の出身ですが、仕事で関わるまでは地元の食の豊かさを感じることはあまりありませんでした。それが普通だと思っていたからです。

 

生産者のみなさんが、自分たちの作ったものが食べる人にどのような影響を与えていくか、農業や酒造りを未来に伝えていくにはどうすればいいか、ということまで考えて生産をしていることに触れるようになり、食材への考えが変わりましたね」(香織さん)

 

SHOKU SHOKU FUKUSHIMAは、fukunomoで取り上げた福島の日本酒を中心に、ソフトドリンクも含め常時30種類以上のドリンクが定額で飲み放題。福島の「食」の魅力を存分に生かしたおつまみは香織さんが手がけます。

 

営業日は水・木・金・土で、ほぼ毎回、福島の食にまつわる生産者や関係者、地域の魅力を伝えてくれる人=「shoku-nin(職人)」をゲストに招いており、食(SHOKU)を楽しみながら、職(SHOKU)の話を聞ける場となっています。

 

隼人さんと香織さん、2人の取組は福島がつないだ縁からはじまりました。

 

東日本大震災での出会い 震災を機に変わった想い

 

2人の出会いは2012年6月。東日本大震災後、カウンセラーを目指すため一時的に無職だった隼人さんが、東京から郡山市内のコミュニティスペース「ぴーなっつ」(現・「福島コトひらく」)を訪ねたこと。

 

そこに集っていた一人が香織さんだったのです。

(シェアハウス隣の自宅で、笑顔でインタビューに応じる、香織さんと隼人さん)

 

「最初に福島を訪れたのは、叔父さんに『働いてないなら、東北に行くので一緒に行かないか』と誘われて、自家用車で岩手から沿岸部を南下して行ったのです。

 

当時はカウンセラーになるため大学院への進学を目指していて、仙台の志望校に過去問を取りに行きたいという目的もありつつ、大震災の被害状況を見るため、最後に福島に寄ったのが始まりでした」(隼人さん)

 

隼人さんは福島のキーパーソンが集まるコミュニティスペース「ぴーなっつ」で出会った人たちと話をする中で、首都圏の若者をバスで福島につなぐ、という企画を思いつきます。東京に戻ってすぐ、その時ぴーなっつにいた全員に熱いメールと企画書を送りました。

 

その場にいた一人が香織さん。その頃の香織さんは被災地側の住民という立場で、支援活動などに積極的に参加するようなアクティブさはなかったと言います。

 

「当時の私は、ただ一緒にわいわいその場で話しているだけだったので、また熱い人が来たなぁと。その時は、私にできることはないなと、そっとメールを閉じました(笑)」(香織さん)

 

その後、隼人さんや多くの支援者との出会いから、香織さんの気持ちも変わっていきます。

 

「隼人さんはアイデアが次から次へと出てくる人なので、そういうアイデアがあるなら私が形にするよ、という感じで一緒にお仕事をするようになりました。私自身、福島県に住む人間として、たくさんのすごいスキルを持った人たちが福島に支援に来てくれるのを、もてなしたり、一緒に動いたりするうちに、だんだん自分が変わっていきました」(香織さん)

 

 

「初めて福島に訪問した際に出会った、当時『ビーンズふくしま』のスタッフだった鈴木綾(りょう)さんから誘われて、『チャイルドラインこおりやま』(18歳未満の子どものための電話相談)の仕事を請け負うようになって、2012年8月に福島に移住したんです。

 

その頃から香織さんと一緒に仕事を始めたんですが、描く世界観が近いのもあって、こちらの期待値をはるかに上回るものが上がってきて、すごいデザイナーだなと思ったのを覚えています」(隼人さん)

 

fukunomoなど、福島県の食に関する仕事や、シェアハウス「わげさこハウス」の運営などを共にしていく中で、2人はパートナーに。隼人さんにとっても故郷となった福島の「食」と「職」を伝えるSHOKU SHOKU FUKUSHIMAは、こうして生まれました。

(香織さんが手掛けた、SHOKU SHOKU FUKUSHIMAオープンに向けたクラウドファンディング用メインビジュアル)

 

ローカルスナックで出会う、自分の「可能性」と地元の「誇り」

 

隼人さんと香織さんがSHOKU SHOKU FUKUSHIMAで何より大切にしたいのは、福島の豊かな「食」と「職」に触れることから生まれる「誇り」です。

 

「地元のお酒や食、職人たちの思いを『伝える』だけではなく、自分の可能性を感じてほしい。福島には何もない、自分には何もないと思っている人たちに、いろんな生き方に触れて可能性を広げ、自分や地元を誇りに思ってもらえる場になればと」(隼人さん)

 

「誰しも得意分野があって、SHOKU SHOKU FUKUSHIMAの運営では『楽しさ』は隼人さん、『美味しさ』は私。役割分担して、来てくれる人に両方を味わってほしいと思っていますし、そういうものは誰にでもあるって気づいてもらえたらいいですね」(香織さん)

 

「オープンにあたっては、2人の大学生インターンが大きな力になってくれました。そういった若者たちの可能性を広げる場にもなれたらいいなと思っています」(隼人さん)

<編集後記>

 

印象的だったのは、福島県の食のPRと言えば「風評払拭」が大前提だと思っていたのに、小笠原さんからその言葉が全く出てこなかったことです。

 

確かに福島県内では、米は全量全袋検査をしていて、2015年以降は放射性セシウムの国の基準値(1キロ当たり100ベクレル)を超える米はゼロとなっています。また、基準値をクリアした商品しか店頭に並ばないことは周知の事実です。

 

そうであれば、商品の価値は「品質」「価格」、そして「ストーリー」。多くの生産者と出会ってきた小笠原さんだからこそ、特にストーリーを大切にするのは当然のことかもしれません。

 

大人数を相手にするPR業務からたどり着いた、「ローカルスナック」という顔の見える、想いの伝わる形。この先も、魅力的な福島の食を届ける職人たちをゲストにしたイベント予定が目白押しです! 隼人さんと香織さんの挑戦、心から応援したいと思います。

 

SHOKU SHOKU FUKUSHIMA


https://www.shokushoku.net/