今回の主役は「岩村大志」この名前を聞いてピンと来る方がいれば、かなりの情報通、もしくは高知にお住まいの方だろう。

岩村さんのプロフィールは、



「高知県観光誘致のスペシャリスト」

「大型観光農園経営者」



という肩書き。

幕末の志士達のような、激しく胸焼けするような熱さの人に違いない。そう妄想を膨らませながら、羽田から高知に飛び立った。



空港からタクシーで岩村氏の経営する西島園芸団地へ。

運転手さんに「西島園芸団地に行きたいのですが・・・」というと、「あー、西島園芸団地さんね!すぐわかります」と言われ、現地での認知度の高さに不意打ちを食らう。

現地に到着すると、熱帯に咲くような美しい花々に囲まれたエントランスが私を出迎える。従業員に案内され、いざ岩村氏と対面。



東京から取材にきた私を不思議そうな表情でみつめる岩村氏。

「どのようにインタビューをすすめよう・・・」と、とまどっている私を、農園内のカフェに案内してくださり、インタビューがスタートした。



開始してからわずか10分、いつのまにか

「もっと岩村氏のお話が聞きたい・・・」

と前のめりになっている私がいることに気がつく。



幕末の志士達とは正反対の、おっとりし、時にみせる笑顔が素敵な岩村氏。しかし、その瞳の奥には静かな熱いものを感じる。その熱さは、燃えたぎる赤い炎ではなく、静かに燃え続ける青い炎。

もしや、幕末の志士たちも熱い男達の集まりだったわけではなく、冷静に未来を見据えていた、岩村氏のような青い炎を持つ人々の集まりだったのではないかと考えさせられた。



インタビュー中の岩村氏の言葉が今も耳から離れない。



都会にいて、仕事で疲弊してしまうということは、その仕事自体に無理が生じている。そして、その仕事の結果が見えてこない構図になっている。一方で農業は自分が育てたものがそのまま大自然からの賛辞というカタチで返ってくる。



今回は、岩村氏の人生の歩み、そしてそこから見えてくる新しいカタチの働き方をお届けする。



※トップ写真:岩村大志氏。観光農園の再生、地域活性、広域観光組織形成などを手がける高知の観光仕掛け人

決して順風満帆な人生ではなかった―後悔から始まった高知移住

‐現在岩村さんはどんなことに取り組んでいるんですか?

現在は大きく分けて3つのことをしています。

・観光農園の経営

・地域活性化のプロデュース

・広域観光組織の会長

大きく分けると、この3つになります。ただ、それぞれがつながり合っているので、広い意味では高知県を元気にする活動を行っていると考えています。

‐高知の高校から東京の大学進学後、映画会社勤務、と華麗な経歴ですが、地方活性、創生など高知県を元気にすることには当初から興味があったんですか?

こんなことを言うと幻滅されてしまうかもしれないから、こういったインタビューで言うことではないかもしれないけれど、実は志があって高知に戻ってきたわけではないんです。むしろ都落ちに近いかもしれない

大学を卒業してから偶然の縁があって映画会社に勤めることになりました。そこでは営業戦略のようなことをやっていたんです。どの映画が、どのくらいの収益を上げるのか、なぜ収益が上がったのか、どうすれば収益があがるのかなど分析を行い、計画をたて、実行するという仕事でした。ひたすら数字ばかり追っていました。今思うと自分に合っていたんだと思います。そういった仕事が好きでした。

‐今のお仕事とはだいぶ毛色が違いますね。

 

ええ(笑)。しかし、その映画会社が事業所を閉鎖することになってしまったんです。ちょうどそうしたタイミングの時に高知で企画コーディネーターのような地方活性の仕事を募集していて、高知に戻ることが決まりました。そういった流れなので、決して「高知を盛り上げよう!」「自分が高知を変えるのだ!」という志があって帰ってきたわけではないんです(笑)

‐高校まで高知で過ごしていたということもあるので、移住に対して抵抗は薄そうです。

帰ってきた時は正直、後悔しました

‐そうなんですか!?

高知に帰る前は東京で新たな職を探していた時期もあったのですが、自分がやりたい仕事なのかどうかもわからない職につくのであれば、高知に戻って自分の力を活かせることをしたほうが良いと思って帰ってきました。でも、実際戻ってきたら待っていたのはカルチャーショックでした。

‐それは?

地方は人とのつながりの比重がとても大きかったんです。何をするにしても、まず、人ありき。僕は下地もなく、よそ者だったのでまったく認知されなかった。僕が入った組織が「地域雇用創出推進協議会」という組織だったので地元の方々からの第一声は「何その組織?」「あなた誰?」という始まりでした。

「何か難しいこと言ってるけど、何してくれるの?」

「何かするにしてもお金出してくれるの?」

といった状態でした。なので、なかなか受け入れて頂けなかったんです。私には行政の大きな枠組みの中で細かく動いていくスキルも人脈も当時はなかった。なかなか自分の思うようには進まず、当時の仕事場だった2畳ほどの部屋で一日中「どうしたらいいんだろ・・・」と頭を抱え考えていました。行く先もなく、何を行えばいいのかも見えていない暗い迷路に入り込んだようでした。

 

地方に来たから何でも好き勝手にできるというのは大きな間違い

 

高知にUターンし、そこから華々しい経歴がスタート・・・。というわけではなかった岩村氏。自分への自信も失い、周りからの信頼も得られない状況。東京から地元に帰ったものの、そこに自分の居場所はなかった。普通ならばここで心が折れるに違いない。しかし、岩村氏の元にチャンスが舞い降りる。

 

‐苦しい時期を打破した、きっかけがあったのでしょうか。

自分が何をしたらいいのかわからない。でも、認められないといけないと思っていた矢先にちょうど、岡豊山(おこうやま)という長宗我部元親(ちょうそかべもとちか:四国統一した戦国武将)の住んでいたお城の歴史民俗資料館がリニューアルオープンするということで祭り企画の依頼があったんです。

「これだ!」と思いました。ここが自分の勝負どころだと思ってひたすら行動しました。足を使ってひたすら動き回り、多くの方の協力の元、祭りを何とか成功させることができたんです。高知の食をテーマにした企画がヒットし、今でも続く大きなお祭りになりました。

 

(写真:岩村氏の手がけたこの祭りは、各種メディアで取り上げられ、今も続く伝統的なお祭りになる。)

 

‐この成功で何が変わりましたか

まず、地方活性化の1つの成功事例を作ることができました。こうやれば集客ができるという事例を出すことで、同じ形式で他の地方活性も出来るという前例を作ることができました。さらに、それまで暗闇の中にいた心の曇りが一気に晴れました。成功することで、まわりの方からの見る目も変わったんです。皆さんが受け入れてくださり、話を聞いて頂けるようになりました。頂いた勝負どころで必死になって行動し、その結果として成果を収めることができたという経験が本当にありがたいことでした。

‐地方に移住をしたら、黙っていても成功が確約されているわけではないということですね。

高知の方は本当に人が良い。皆さん純粋で、計算高いことがない。そして、今は移住がブームになってきて、高知も移住を促進しています。ただ、その高知の人や土地柄におんぶに抱っこで何でも自由気ままに出来るかと言ったらそうはいかないです。移住してきたからと言って、何もかも自分の思うように生活や仕事が進むという考え方は正直甘いと思います。

自分は何者なのか、何ができるのかという強みをしっかりと出し、実績を出すことが大切だと思います。もちろん、どういった働き方をする、どういったカタチで人と関わるなどで違うとは思いますが、何かを乗り越えなければ道は開けない。これは地方でも都会でも同じことだと思います。

結果の見えない仕事は苦しい。自然はすぐに結果を教えてくれる

‐今、都会では仕事で疲弊してしまっている若者が増加しています。

仕事で疲れてしまう、疲弊してしまうということは仕事そのものに無理が生じているんだと思います。そして、都会は会社の規模が大きいから、自分のやったことが結果として非常に見えにくい。また、給与や役職としてすぐに反映されるわけでもない。そうした構図です。だから、自分の強みもやりたいことも見失ってしまい、疲弊してしまう。

そうした構図の中にいてしまい、運良く理解のある上司がいたとしても「頑張ったね」の一言で終わる。それだと中々モチベーションが上がりにくいのは当然だと思います。その点、高知は会社の規模が小さいこともあり、自分のおこなったことがそのまま結果として返ってくることが非常に多い。

特に農業は、自分の頑張りがそのまま「作物」というカタチで返ってくる。頑張れば頑張った分だけ大自然からの賛辞というカタチで返ってきます。そして、その賛辞はとても美味しい。大地からの贈答品というカタチで結果を実感しやすいのです。そうした点は高知を始めとする田舎はとても有利なのかもしれません。

‐そうした結果として見えてくるものがある上で、さらに高知は人の良さがあるわけですね。

そうですね。高知の方々は本当に人が良い。純粋で優しい方ばかりです。嘘をついて騙そうとしたり、駆け引きをしてくるような方はいないです。皆さん本音で心を開いて話をしてくださる。

そうした、人の良さという点も都会からの移住者の増加につながっているのかもしれません。ただ、人の良さや計算高くない所というのは、裏を返すと商売下手、PR下手ということになるのかもしれませんが(笑)。

また、人の良さも勿論そうですが、1次産品の美味しさもとても水準が高いです。もちろんお店次第では当たりハズレがありますが、基本的にどのお店のものも美味しい。そういった点も魅力のひとつですね。 

 

(写真:名物カツオは勿論、ウツボなども非常に美味しい。)

 

(写真:仕事の本質は根底で全てつながっている。農業も、映画も、全部。)

 

‐最後になりますが、高知に移住を考えている読者にむけて、一言頂きたいです。

 厳しい言い方になるかもしれないですが、東京でダメだったから高知に楽園があるかと言えばそうではないです。仕事は基本的に何をやっても大変ですし、どこに行っても大変です。地方だからと行って軽い気持ちで来ると、違うな・・・とすぐに思うことになるかもしれない。乗り越えないといけない壁は必ずあります。

‐まさに岩村さんが乗り越えてきたような。

しかし、「都会から高知に来る」という選択肢をもった時点で皆さんは大きな武器を既に手にしています。それは「都会」を知っているということです。地方の人間は地方の本当の良さというものを実はしりません。山や川といった自然が良いということは知っていても、実感値として感じることは中々難しいのです。それは、自然というものは住んでいるものにとって当たり前のことだからです。だから、そうした強みを客観的に感じることは困難であり、ましてそれを外に向けてPRしていくということは非常に難しいのです。地方と都会を比較できるというのが大きな1つの強みになります。

‐たしかにそれは外から来る者、ならではの強みですよね。

そう、そして仕事の本質というものは、全て根底でつながっています。それは、「物を作って、売る」ということです。自分たちで付加価値をつけ、それを気に入っていただいて対価を得るということが仕事の本質です。そのためには、常にまわりのことに対して客観性をもっていないといけない。有機的につながりをもっている社会の中で、自分がやっていることと他のことがどのようにつながっているのかを敏感に感じる必要があります。どういったところにアンテナを張り、そこから何を得るのか、その得たものをどのように解釈するのかということがとても大切になるのです。

都会から地方に移住する場合、そのアンテナの感度が高くなりやすいです。都会と比較した地方の良いところなど地元の人がみえない情報が入ってきます。そうした情報を自分自身で解釈し、活かすことが大切です。そこに付加価値が生まれ、仕事になります。挫折や、苦しい経験を通じて自分自身の強みに気づき、それを活かして価値を生むことで感謝されます。そうした循環から生きがいが生まれるのだと思います。

 

(写真:どこまでも広がる青い空と、季節の果物のビニールハウスの前にて。)

 


 

岩村氏は何度も「自分は本当に普通の人間。自分よりも凄い人は何人もいる。ただ、自分は何が強みなのかがわかり、それを活かせる場があっただけ」と話していた。あらゆる逆境に立たされながらも、いつも自分にできることは何かと問い続けた結果、今の岩村氏がある。

 

疲弊した現代人にとって、自分自身を振り返ることはなかなか難しい。自分の強みを意識せず、気がつけば忙しい毎日に忙殺される。目の前のことに精一杯になるも、仕事の結果はわからないという状況を繰り返し、最終的に心がすさむ。

 

だから、私たちはこうした循環を断ち切ろうともがく。

 

この循環の中から客観的に自分を捉え直し、強みを見つけなければならない。誰もが平等な環境を与えられ生まれてきたわけではないが、誰にも平等に強みは備わっている。誰もが最初はただの人である。そこから戦いに挑み、負け、悩み、進化する。同じ場所でとどまっているだけでは負けも進化もない。学び続け、挑戦し続け、進化し続ける先にきっとアナタの生きがいがあるに違いない。

 

そんなことを考えさせてくれた、岩村さんとの出会いだった。