前後編でお送りする、産地直送のお米販売専門ウェブサイト「Komenoma」の紹介記事第一弾。



出身地でも地元でもない二人の「よそもの」女性が横根の限界集落に受け入れられるまでのストーリーをお届けした前編。一度は感じた地域の人との距離や温度差を継続的な関わり合い、コミュニケーションによって家族同然の関係性になりました。



大学生たちの研究からスタートした横根集落の地域活性化事業はやがてKomenomaに発展するも、木村さんは悩みます。後編では、良好な関係を築けていた彼女だからこそ生じたジレンマが明らかに・・・。



前編の「何もない」と言い張る地域の人の言葉の裏に隠された想い、そしてKomenomaができることに迫った後編です。

藤田 郁
京都出身。IT企業、戦略PR会社を経て、2016年より70seeds編集部に所属。主なテーマは、地域、食、女性の生き方、ものづくり。"今"を生きる人たちのワクワクする取り組みを追っています。

好きなだけでは解決できない

‐どんなジレンマがあったんですか?

木村:好きだけじゃできないところが出てきました。ビジネスとか事業の話になると、集落の人が生計を立てているお米を実際に売るとか、それを続けるには通う資金が必要だったりとか。

今まで好きだけで通っていたものが、ビジネスパートナーになった途端に生まれるギャップが辛かったです。

 

お米農家さんとKomenomaについて会議

(写真:お米農家さんとKomenomaについて会議)

 

‐それはあるでしょうね・・・。

木村:例えばお米をいくらで買って、いくらで売って利益を出しますよとか。私としては地域の人たちが喜んでくれればそれでいいのに、事業の成功面ではお金をとらなければいけなくて

地域の人たちが今までしてこなかったこと、例えば袋詰めなんかも負担がかかりますよね。ビジネスパートナーとして当たり前のことなんですが、自分の口から「こうしてくださいね」とか「こういう契約ですよ」とか言うのはためらわれるというか、ジレンマがありました。

嫌われちゃうんじゃないかって。事業が失敗して地域の人たちががっかりしちゃうんじゃないかなとか。

 

「この子たちだから」と言ってもらえる関係に

大野:実際にじゃあどうするって話を集落の人たちとお話ししたときに、やっぱりこのタイミングで(自分たちのあり方を)変えなきゃいけないっていう声があったんですね。私はそれに感動して泣きそうになりました。

それが1年前とか2年前とかだったら、間違いなく「やめよう」とか「よくわからない人たちにそんなこと」っていうのはあったと思うんですけど、1年目から来て関係性を保ってきたから、この子たちだったら一緒にやってもいいかなって思ってくれて

地域の方たちが自ら何かをしようと言ってくれたのは、彼女たちのおかげだと思っています。

木村:嬉しいです。地域活性化とか地方の事業はたくさんありますが、売れてきたら関係性が崩れて破たんしちゃう事業ってよくあるって聞きます。

集落が本当に求めているのは、何百、何千万の稼ぎではなくて、ほんの少し豊かになればいいかなとか、お米を地域のお米として売れるプライドの部分だったりとか、お金儲けだけではないところはたくさんあるので、そこをはき違えちゃいけないと思います。

 

お米が売れることは、「誇り」を買ってくれる人がいること

‐なぜ、お米だったんですか?

木村:集落のみなさんに、自分の地域のことを大声で好きって言えるようになってもらいたい、と考えたときに出会ったのが、横根の地場産業のお米だったんです。

今までお米にこだわったことがなかったので、結構な衝撃を受けたんですよね。つながりのある地域だからというのを超えて「お米ってこんなおいしかったんだ、いろんな人に知ってもらいたいな」と思いました。

大野:今年の横根のお米を新しい炊飯器で炊いたら本当においしかった。旦那さんとの会話を途中でさえぎって確認しちゃうくらい(笑)。

komenoma収穫

‐遠くにいる人もKomenomaを通してより多くの方に知っていただけるといいですね。

木村:地域のお米を地域のモノとして売るというのは、これまでになかったことだと思っていて。横根地区のお米がほしかったら直接農家さんに行くしかないんですよ。

従来の卸販売だと、ひとまとめにされた“魚沼の米”になってしまう横根地区の米を横根米としてそのまま売れることで、自分たちの「誇り」を買ってくれる人がいることになる。それってすごく嬉しいことじゃないですか。

‐そうですね。

木村:1年目に私が新米をどうしても食べたくて自宅に送ってもらって、「おいしかったです」と伝えると「ありがとうね」って言ってくれて。

そういう意味でも農家さんと食べる側、どちらにも影響が与えられるようなものができればいいなと思っています。

実は、横根の月ごとの様子をまとめたものを“よこね通信”としてお米と一緒に送っているんです。お米のファンから地域のファンにもなってくれたらなって。

お米を売るだけじゃなくて、地域を一緒に元気に、明るくさせられるような取り組みができればいいなって思っています。

 

「ここには何もない」に隠れた親心

‐実際、昔と比べて横根の人たちの「ここには何もない」から意識は変わってきたのでは?

木村:私に対して、横根のこういう所がいいとか、地域について話してくれることが多くなったという変化はありますね。

「横根のどういう所が好きなんですか?」って聞くと「ないよないよ」と言いながら結構話してくれるんですよ(笑)。

「緑は綺麗だよなぁ」、「お米がおいしいかなぁ」、「水は綺麗だよ」とか。そういうところを無邪気にぽろっと出してくれたりして。

komenoma-yokonearchive

大野:でも、新しく来た人には同じように「何もない」って言うと思うんです。逆に地域に関わったり住んでる人には「何もない」とは言わないですね。

10月に新しく入ってくれた渡邉さんという男性の協力隊の人が来たときには「雪はごーぎ(魚沼の方言で「大量」の意)だぞ~」とか言いつつ、「でも大野さんも3年住んでるから大丈夫だよ」って言ってもらえたりして。

雪が降ると逃げ出すと思ってたみたい。実際、魚沼市の雪がすごくて「こんなに大変だとは思わなかった」って出ていく人が多いからこそ、予防線を張っていたのかなとも思います

‐予防線もありつつ、新しく来る人への優しさのようにも感じました。

大野:昔の人は山や川から獲れたものを食べてたから山から順々に発達していった。今は逆じゃないですか。

山の方には人がいなくて都市部に集中する。雪下ろしも大変だし、子どもに帰ってくるなって言うのは単純な親心ですよね。それを知るとせつない気持ちになります。

親は本心では出ていってほしくないし、子どもももしかしたら帰りたいかもしれないのに帰りづらい。

‐そう言ってる当人たちはそこに住んでるのに・・・。

大野:そう。「じゃあなんで横根に住んでるんですか?」って一回聞いたことがあるんです。そしたら、「広い全世界の中で、自分の住んでいる場所が自分の土地なんだ」「自分の土地はここにしかないからここに住む」って言ってて、かっこいい!って思いました。

‐東京では持てない感覚ですよね。

大野:そうなんですよ。普通に東京でも家を建てたらその人の土地ってそこにあるはずなんですけど、何か違う。

田や畑だったり、また都会とは全然違うところで住む場所は自分のものだっていう誇りがあるんだなと感じました。

木村:ここが自分のルーツ、起源だって言えるのっていいですよね

私は転勤族だったので自分のルーツがわからないんです。憧れもあったし、そう言い切れる集落のひとたちは素敵だなって思います。

 

つながって、好きになって・・・お互いの存在

‐大野さんは横根、木村さんは東京を拠点に女子二人三脚で横根を盛り上げてきましたが、それぞれお互いにとってどんな存在ですか?

OLYMPUS DIGITAL CAMERA

木村:恩人であって、先輩ですね。本当に大野さんがいたからこそこの事業が始まったし、繋がりが始まったし、起源みたいな存在の方だなと思っています。

あとは、地域への入り方も大野さんを見て真似ているところもあって。地域の人との話し方とか「こういう風にしゃべればおじちゃんとも仲良くなれるかな」とか。それに、実際にその地域に住んでいるので。

大野:学生たちのなかで木村さんは唯一、一年目から横根に関わってるメンバーで・・・。

木村:さっきの、「なんで来たんだ」時代からのですね(笑)。

大野:そうそう、だからこそより強い想いがあって。何より、自分が好きになった土地を好きになってくれたのが本当に嬉しくて

しかも東京出身で東京ど真ん中で育った子ですよ?そんな彼女が第二の田舎って言ってくれるのはありがたいなと思います。

その土地の人たちを好きになって、今の事業を始めるまでの流れを作ってくれた木村さんの協力があったから、地域の人たちも変わらなきゃと思ってくれたんだと思います。

だからKomenomaの事業をこれからもサポートし続けていきますよ。

‐協力隊は確か期間限定でしたっけ。

大野:はい、3年間です。来年度以降は協力隊としてではない立場で横根に住み続けます。

Komenomaと地域の橋渡し役などをしつつ、横根の集落の方が戻ってくるきっかけづくりとか、他の地域や色んな人たちが来られる集落にしたいなと思っています。

木村:実は大野さん、協力隊の期間中にご結婚されたんですよ(小声)。

‐それは素晴らしいことですね!おめでとうございます!

大野:旦那さんもIターン者で市内の別の地域に住んでいて。私が横根に連れてきました(笑)。

でもまだ最近のことで横根の人にちゃんと紹介できてなかったんです。でも噂だけは広がっていて。

だからこの間、(地域おこし協力隊の)渡邉さんを連れて行って「紹介したい人がいるんです」って言ったら、おばあちゃんが「旦那か!?」って(笑)。二人で「違う違う」って。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA

‐一気に広まりそうですもんね!

大野:そうですね。私が田舎にいて思ったのは、田舎の噂はSNSよりも早い(笑)。

木村:本当に(笑)。聞いたよ!みたいな。

‐笑。将来的には子どもも横根で育てたいとか?

大野:そうですね、まわりの期待値も高いです。

木村:ここで子育てできるって最高ですよね。

大野:最高だよね。それに、子どもたちには自分の地域を好きでいてほしいと思っていて。自分も外に出てから実家の良さがわかったので、それをもっと小さいころから言ってもらえると、大人になって出ていった後に地元に誇りを持てるのかな。

「こんなとこだめだから出てけ」って言われて育ったのと、「すごくいいところだよ」って言われて育ったのだと大きく違うと思うので、今後は伝えていきたいですね。

 

集落の外にも「好きになってくれる人」を増やしたい

木村:私は当面Komenomaで、地域の人たちが横根のお米を横根地区のものとして売ることを達成して事業を確立させるために、自分が東京にいるからこそできることをしっかりやっていきたいと思っています。あとは、人を巻き込むこと。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA

‐具体的には?

木村:今年、子ども神輿やったんですよ。十数年振りに。

大野:そうでしたね。

木村:集落のお祭りで子ども神輿ってあったんですけど、子どもがいなくてずっと中止してたんですよ。

でも、最近子どもが増えたので、復活したんです。研究室の大学生も行って盛り上げたんですけど、お盆で戻ってきてる人も参加してくれたり、集落の人たちが道に出てきて神輿を応援してくれたり。

その瞬間を見て、集落ってこういうものなんだな、地域のみんなで盛り上げてるってこういうことなんだなっていうのが分かったんです。

‐その光景が目に浮かびます。

木村:なので、集落を超えて、外に住んでる人も、出ていった人にももっと話を聞いて巻き込んでいけたらなと思っています

人口が減ったとしても地域を好きになって応援する人は広げられるので、そんな人たちにアプローチできればいいなと思ってます。

‐Komenomaもそうですよね。

木村:はい。地域に貢献したくてもどう応援していいかわからない人も多いかと思うんですけど、記事をシェアしたり、周りにここのお米っておいしいんだよっていうのを広げてもらえることが小さな応援になると思うんです。そんな仕掛けづくりができればいいなと思ってます。