小瓶に光を閉じ込めたようなシンプルなデザインと、ソーラーパネルで明かりを灯すサスティナブルな仕組み。太陽光で充電した電気で、夜のあいだはやわらかい明かりをつくりだす、このソネングラスは瞬く間にヨーロッパ中に広まった。



もともとは、電力供給の不安定な南アフリカの人々のために作られていたソネングラスが今、世界中の人々の手に渡っているのにはあるドイツ人の存在がある。「ソネングラスに出会って人生が180度変わってしまった」と語る



Stefan Neubig(ステファン・ニュービッグ)さん。ただの旅行者として南アフリカを訪れたはずのStefanさんがソネングラスに懸ける思いを伺った。

ウィルソン 麻菜
1990年東京都生まれ。製造業や野菜販売の仕事を経て「もっと使う人・食べる人に、作る人のことを知ってほしい」という思いから、主に作り手や物の向こうにいる人に取材・発信している。刺繍と着物、食べること、そしてインドが好き。

「眠れなくなった」ソネングラスとの出会い

Stefanさんが生まれたのは、人口4000人ほどのドイツの小さな町アブシュタット。両親がワイナリーを営んでいたため、ほとんど旅行に行くことができなかった。20歳でアメリカを旅行するまで外の世界を見ることは、ほとんどなかったという。

 

「高校を卒業してからも、なかなか旅行には行けませんでした。卒業後1年間はホームレスの人たちのために働いていたんです」

 

 

当時のドイツでは、高校を卒業すると1年間の兵役に行くか、そうでなければ社会奉仕活動をしなければいけなかった。Stefanさんはホームレスのために活動をしながら、その中の1人に焦点を当てたドキュメンタリーを制作した。

 

「もともとカメラや映像、表現手段としてのメディア全般に興味がありました。だからそのドキュメンタリーで大学にも応募して、写真を勉強し始めました」

 

大学で写真を勉強する傍ら、StefanさんはITの会社を立ち上げる。学生と起業家という二足のわらじを履く生活では、もちろん旅行に行く時間などなかった。

 

 

「2年くらいしたらビジネスが軌道に乗ってきて、これなら自分が少し離れても大丈夫だろうという状態になってきた。そのとき、やっとドイツを出て旅行ができるなら、できるだけ遠くに行きたいと思ったんです」

 

それでもドイツでのビジネスを見ながらになるため、同じ時間帯の場所を探したという。同じ時間帯でありながら一番遠いところ。それが偶然にも南アフリカ、ケープタウンだった。

 

「ドイツ人が旅行を考えるときの行き先は、アメリカやアジアが一般的。アフリカは典型的な旅行先ではなかったから、より冒険的だと感じましたね」

 

そして、この旅行がStefanさんと南アフリカ、そしてソネングラスを出会わせた。

 

南アフリカでよく行われるというバーベキューに参加したとき、Stefanさんの目に止まった照明があった。電気のない町を照らす、やさしい明かりの小瓶。

 

 

「写真家として、照明そのものが好きだったのもあるかもしれません。そのアイディアとデザインの素晴らしさに心を奪われてしまって、その日の夜は眠れなくなってしまったんです」

 

誰によって、どこで作られているのか。その背景までも、とにかく知りたくなったStefanさんは、2日後には原型を製造する現地ガラスメーカーの扉を叩いていた。ソネングラスはそのガラスメーカーの慈善事業の一貫として、電力供給の不安定な村に寄付するために製造されていた。

 

「彼らは長期的な販売などは考えていませんでした。私はとにかく、このアイディアは素晴らしいと伝えたんです。必ずヨーロッパの人々にも気に入ってもらえる。だから持続可能なビジネスとして一緒にやらせてほしい、と」

 

 

現地の人々とともに

 

数百個ではなく、数千個のソネングラスを作って世界中に広める。それは言葉にするのは簡単でも、実現させるためにはたくさんの壁があった。

 

「一番の課題は、『本当に全部、現地でできるのか?』ということでした。当時、何かを製造するとなったらまずは中国に外注する必要がありました。中国には工場も労働者も、揃っていましたから。南アフリカには、そのどちらもなかった」

 

失業率が40%とも言われている南アフリカで、経験のない人々を雇うことは大きな挑戦だった。それでもStefanさんが中国への外注を考えず、現地生産にこだわったのには理由がある。

 

「南アフリカの人々は本当に温かくて、素晴らしいんです。私は南アフリカという場所も、人々も大好きになってしまった。だから現地で作るということが難しくても、それを乗り越えて彼らとともに作りたいと思いました。そしてそれ自体が、ソネングラスの価値になると信じていたのもあります」

 

 

現在ソネングラスは、すべて南アフリカで現地の人々の手によって作られている。仕事がなかったおよそ70人もの人々が、今では工場で働き、生活している。ソネングラスが現地で雇用を始めたことによって、多くの人々の人生が変わった。その中に、イゴンという20代の女性がいる。

 

「イゴンは当時、学士を持っているにも関わらず自分の村でレジ打ちの仕事をしていました。自分が育った小さな村を出ることもできず、仕事がそれしかなかったからです」

 

工場の従業員として働き始めたイゴンは、働きながら夜間と通信の学校に通った。学校ではオペレーションマネージメントを勉強し、今では自分の家を持ち、子ども2人を育てているだけでなく、工場のスーパーバイザーとして活躍している。

 

 

南アフリカの良さを、そのまま伝える

 

「南アフリカでは、リサイクルやアップサイクルは当たり前。そこにあるものから、なんでも作り出してしまう。そんなところにも、私はどんどん惹かれていきました」

 

 

南アフリカには、使われなくなったワイヤーを使って動物などの形にしたアクセサリーを作り販売している人々がいる。Stefanさんはソネングラスを作るとき、彼らにも声をかけた。蓋の部分に取り付けられたソーラーパネルを光に変える、大切なスイッチ部分だ。

 

「彼らにソネングラスの説明をして、スイッチ部分を作ってくれないかって聞いてみたんです。そうしたらすぐ、実際に作ってみてくれた」

 

現在、工場内には「ワイヤー部門」と呼ばれる15人ほどのワイヤー職人がいる。ソネングラスのスイッチ部分は、彼らの手によってひとつひとつ作られている。

 

 

「機械でもできることですが、せっかく素晴らしいワイヤー職人がいるのだから手で作りたい」

 

それを聞いてから実際のスイッチ部分を見てみると、少し歪んだ形が愛おしい。南アフリカだからこそできることを、Stefanさんは探し続けている。

 

 

「こうでなければいけない」なんてものはない

 

世界中に広がっているソネングラスは、Stefanさん自身の人生も大きく変えた。

 

 

「ドイツをほとんど出たこともない写真家だった私が、南アフリカで製造業の会社をやることになるなんて、本当に思ってもみなかったですね。最初はソネングラスや南アフリカという国に魅了されて、とにかく彼らのために何かしたいという思いだった。それは大学に入る前に、ホームレスの人々を手伝っていたときの感情に近いものでした。社会的な問題に対して、熱意を持った人たちと何かができるんじゃないかって」

 

 

ソネングラスは、南アフリカ国内でも販売している。ヨーロッパやアメリカなど国際的な販売によって利益をあげることで、南アフリカの人たちも手に届く値段で販売できているという。いまだ電力供給が足りていない南アフリカでは、停電が頻繁に起こる。火を使う照明では、火事につながることもある。そんな人々にとって、太陽光で明かりの灯るソネングラスは必需品になりつつある。

 

「南アフリカだけでなく、アフリカ全体でまだまだ明かりの足りない人々がいます。そういう人たちにもソネングラスを届けたい」

 

安全で、そして消えない光を人々に。その思いが広がっていることを、ソネングラスの販売を通してStefanさんは感じている。

 

「ソネングラスを買ってくれる人たちは、物の作られる背景や、作り手のことを考えてくれています。労働者のこと、環境のこと。そういったことを考える消費者、『コンシャス・コンシューマー』が多くいる。その事実がとても嬉しい」

 

 

またStefanさんはソネングラスに、その先の未来も見ている。

 

「ソネングラスがちゃんと成功すれば、世界に新しいビジネスの形を提示できるんじゃないかと思っています。南アフリカの現地生産でもできる。フェアトレードでも世界中に広められる。何かをやるときに、こうでなければいけない、こうしなければ成功できないということなんてないと証明したいですね」

 

ドイツ語で「太陽」という意味だというSonnen(ソネン)。ステファンさんはこれからも南アフリカの人々と、太陽のような消えない光を作っていく。

 


【編集後記】

南アフリカやソネングラスの話を、熱く語ってくれたStefanさん。そのお話しから、本当に旅行先での出会いが大きかったことがわかりました。ふとした出会いから、その後の人生をこんなにも大きく変えてしまうことがあるんだ、と驚きました。出会い大切に、情熱を持って突き進むStefanさんのお話を聞いて、私も勇気づけられました。

 

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