1300年以上もの歴史を持つ伝統文化、美濃焼。かつて「美濃国(みののくに)」と呼ばれた岐阜県の一部の地域で栄えた焼き物文化からうまれたのが、美濃焼タイルだ。大正3年に始まったという美濃焼タイルは、伝統の技をしっかりと受け継いだクオリティの高さとカラフルでモダンなイメージで人気となった。

しかし近年、時代にともなう住宅の造りの変化や、「古い」というタイルのイメージによってその需要は低下。それを今、アクセサリーという新しい形で蘇らせているのが、美濃焼タイルのアクセサリーブランド、popoloだ。美濃焼という伝統文化と、今風の可愛らしいアクセサリーの掛け合わせ。生み出したのは、まだ20代の3人だった。

ウィルソン 麻菜
1990年東京都生まれ。製造業や野菜販売の仕事を経て「もっと使う人・食べる人に、作る人のことを知ってほしい」という思いから、主に作り手や物の向こうにいる人に取材・発信している。刺繍と着物、食べること、そしてインドが好き。

美濃焼タイルのアクセサリーができた理由

 

「最初は『かわいいな』。そこから『美濃焼ってなんだろう』って調べてもらうだけで、全然違うと思うんですよね」(中島さん)

 

 

美濃焼タイルを使ったアクセサリーブランドができたのは2017年7月。まだ1年も経たないうちに急速にファンを増やし続けているpopoloを立ち上げたのは、若い3人だ。戦略や文章を考える中島悟さん(トップ写真:中)、主にアクセサリーの製作を担当する小林佑衣さん(トップ写真:右)、そして写真撮影をする日比野秀美さん(トップ写真:左)。バラバラの経歴を持つ3人が、美濃焼を中心にブランドを立ち上げたのには、偶然とも呼べるつながりがあった。

 

始まりはカメラマンの日比野さんが、知り合いの窯元さんに廃タイルをもらいに行ったことだった。

 

「友達のお母さんが、美濃焼の窯元さんだったんです。捨てなきゃいけないものだから、もらってくれるなら嬉しいと言ってもらって」(日比野さん)

 

厳しい検品ではじかれた美濃焼の廃タイル。今まで気にしたこともなかった伝統的なタイルだけれども、現状はどうなんだろう。もともと地域に貢献できる活動をしたいと考えていた3人は、自然と窯元さんのところへ向かった。

 

話を聞くと、想像していたとおり需要が減っていることを知る。住宅内装の流行の変化や、安い海外製品との競争などにより、美濃焼タイルの需要は激減していた。さらに東日本大震災では割れたタイルで怪我をするなどの被害が相次ぎ、タイル需要の減少に追い打ちをかけてしまっていた。

 

「しかも私たちの世代では、タイルって“すこし古いもの”というイメージもあったんです。積極的に生活に取り入れたいものではなかった」(日比野さん)

 

たしかに白壁に水色のタイルが並ぶお手洗いの壁は、インスタ映えしにくいかもしれない。「おばあちゃん家みたいな感じだよね」と3人は笑った。どうにかして需要を増やせないか。美濃焼タイルの良さを伝えるにはどうすればいいのか。

 

そんななか生まれたのが、アクセサリーという美濃焼の新たな切り口だった。

 

「ダサいなと思っていたタイルが、アクセサリーにした瞬間、すごくかわいくなるんです」(小林さん)

 

そう言って小林さんが耳元のピアスを見せてくれた。独特の分厚さや、表面のツヤ感がオシャレな黒いハート型のシンプルなタイルだ。直接仕入れている多治見市の窯元でしか作っていないというハート型のタイルのピアス。

 

実はpopoloのアクセサリーは、窯元がつくったそのままのタイルを、壁に貼る代わりにアクセサリーに生まれ変わらせている。タイル自体には加工を施さないのがpopoloのスタイルだ。

 

 

地域や人々を巻き込んでいく、ということ

 

popoloを始めた当初、窯元さんからも「少しでも美濃焼タイルを若い人たちに知ってもらえるなら」と快諾してもらった。

 

「でも正直、あまり期待はされていなかったと思います」(小林さん)

 

窯元さんからも、お客さんからも「今、流行りのハンドメイド」という視線を感じていたと、小林さんは言う。ところが始まってみると、そのストーリーと商品のかわいらしさからpopoloには急速にファンがついた。「美濃焼タイルを知ってもらえる。欲しいと言ってもらえる」ということは窯元さんたちにとっても、喜ばしいことだったに違いない。

 

「だんだんと窯元さんの方から、いろいろと提案してくれるようになりました。知り合いのカフェに置いてみないかとか、窯元さんのHPにpopoloのHPを載せてもいいか、とか。今では私たち専用の発注シートをつくってくれて、協力してくれています」(日比野さん)

 

窯元さんをはじめとする地域の熱い協力を受け、popoloの3人にもさらに力が入る。写真撮影を担当する日比野さんも、「必ず撮影は朝に」というこだわりようだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

「写真を見た人に、単純に『おしゃれ』と思って買ってほしいんです。やっぱりタイルってダサいイメージがあるし、写真が素敵じゃないと売れない。愛情を注げないものは撮れないんですけど、popoloの商品は心の底からいいと思って撮っているし、作り手の人に会っているのも大きいですね」(日比野さん)

 

 

自分のやりたいことが、「みんなのもの」に

 

popoloでは、その製作や配送を部分的に就労支援施設の人々に任せている。「注文が増えてきたら、いつか就労支援の方々にもお仕事をお願いてきるといいね」。そんなふうに話していたのは、まだ数ヶ月前のこと。中島さんが持っていたつながりから実現したことだ。

 

 

「僕が昔、別のことで携わらせてもらっていた方々なんです。こんなふうにお仕事を頼めるようになって、全部つながったという感じですね」(中島さん)

 

普段は地域のゴミ袋の袋詰などをしている就労支援施設の人々にとって、アクセサリーづくりは人気の仕事になっているそう。

 

「手が空いたらお願いしますって頼んでいても、popoloの作業を優先させてくれたりするんです。『私もこういうお仕事が、いつかできるかな』ってポロッて言われたりして、お願いできている私たちも嬉しい」(小林さん)

 

成功するのが難しいと言われる伝統文化のリメイクや、アクセサリー製作や販売。そんな中で、就労支援施設に外注できるくらいにpopoloは成長した。popoloが人々の心を掴むのはなぜだろう。

 

 

 

「ただアクセサリーが売りたい、というわけじゃない。古いものを良くしたいとか、若い子に美濃焼を知って、そして持ってほしいとか。そういう思いの部分が、買ってくれる人にも伝わっているのかな」

 

日比野さんの言葉にあとの二人も頷きながら、中島さんが言葉を継いだ。

 

 

 

 

 

 「そして、自分たちのやりたいことから派生して、窯元さんを含めた地域が元気になったり、就労支援の人たちに仕事がお願いできたり。そういう幅が広がっているのがpopoloの強みでもあると、最近思っています」

 

 

「ひとり」ではできなかったから

 

「ひとりではpopoloはできませんでした。自分が苦手なところをやってもらっているから、あとの2人にはいつも感謝しながら仕事をしています」(小林さん)

 

ストーリーを大事にしながら文章で伝えることが得意な中島さんと、実際に手を動かしてアクセサリーをつくる小林さん。そして「背景も大事だけどやっぱりおしゃれじゃないと」と商品写真を撮る日比野さん。3人と話していると、お互いの仕事を尊敬していることが伝わってくる。

 

「3人がそれぞれの得意分野を持ち寄ったからできた。今度はそれを、他の人たちにも伝えていきたいと思っています」(中島さん)

 

そう語る3人がこれからやろうとしているのは、popoloをモデルケースとした他の地域や商品のお手伝い。美濃焼がアクセサリーに生まれ変わったように、地域の工芸品や古いものを蘇らせたいと考えている人たちに、3人それぞれの分野からアドバイスをする。

 

「例えばタイルなんてどこにでもあるものだけど、こうやれば変わるんだっていうチャンスとしてpopoloを見てほしい。これは美濃焼タイルだけじゃなくて、他の工芸品にも応用できると思うんです。popoloができたなら、他でも同じことができる。そう思ってもらうきっかけになったら嬉しいです」(中島さん)

 

日本中で伝統文化や工芸の衰退が叫ばれている今、それをさまざまな形で食い止めようと奮闘する人々がいる。そしてpopoloは、この3人にできる形で地域、人々をつないでいく。

 

「お気に入りの美濃焼アクセサリーで、あなたもつながれる」というメッセージを、オシャレにかわいく伝えながら。

 

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