キラキラと色鮮やかに輝くタイルが壁一面を美しく彩っている。魚や鳥、船など、そのモチーフは様々。見ているこちらまでがワクワクしてくるような、明るい色づかいだ。



ここは宮城県女川町の「みなとまちセラミカ工房」。素焼きの生地にカラフルな色をつけ、1000度近い窯で焼く「スペインタイル」の工房だ。



みなとまちセラミカ工房を設立したのは、女川町で生まれ育った阿部鳴美さん。「東日本大震災で色を失ってしまった女川の街を、タイルで彩りたい」と2012年に工房を立ち上げた。



「震災や、工房設立をきっかけに多くの人とのつながりができた」と語る阿部さん。その思いを伺った。

吉田 瞳
神奈川県出身。2017年より70seeds編集部。旅と自然が好きです。

タイルで外の世界と女川をつなぐ

 

みなとまちセラミカ工房が取り組んでいるプロジェクトのひとつに、「メモリアル体験」がある。

 

(写真:みなとまちセラミカ工房の皆さん。左から3番目が阿部さん)

   

タイル作りのワークショップで、お客様にスペインタイルを2枚作成してもらい、1枚は自分用、もう1枚は女川に来た証に街に残してもらうというものだ。そうして作ったメモリアルタイルは、現在街中に800枚以上設置されているという。

   

「観光で女川を訪ねた方や、何かの形で女川を応援したい、つながりたいという人たちの思いを、タイルに乗せて残していきたいと思っています」(阿部さん)

 

(写真:きぼうのかね商店街のタイル。600枚程度のタイルが集まっている。1枚7.5cm四方だが、集まるとパッチワークのように壁を彩る)

 

タイルには、記念に自分の名前や目印を入れてもらう。自分でそのタイルを自分で見に来たり、自分が作ったタイルを家族や友人に見せに来たり。女川を何度も訪れるきっかけになるのだ。

 

「実際、家族で毎年夏休みに来て、子どもたちとご両親で1枚ずつタイルを作っていかれる方もいらっしゃいます。そんな形で10年、20年後もタイルを通して女川と外の世界をつなげることができたらいいですね」(阿部さん)

 

そんな話を聞きながら、ふと疑問が湧いた。

 

「なぜ、タイルなんだろう?」

 

そんな率直な疑問に、阿部さんが語ってくれたのは「心をわくわくさせる」タイルとの出会いだった。

 

「女川の街をタイルで彩りたい」 スペイン研修で芽生えた思い

‐タイル作りは震災前からの取り組みだったんですか。

もともと、震災前からサークルの仲間6人で陶芸をやっていたんですが、津波で施設も自宅も流されてしまいました。

震災から半年後、ようやく住まいが落ち着いてきた頃「もう一度陶芸サークルをやりたい」という話が持ち上がったとき、スペインのガリシア地方と女川町との異文化交流のお話が持ち上がっていたようなんです。

‐ガリシア地方?

スペイン北西部にある地域で、女川と地形が似ているんです。「リア」というスペイン語は「入り組んだ」という意味があり、リアス式海岸の語源になっているそうです。

津波の被害を受けて立ち上がった歴史も持っています。女川との共通点を多く持つ地域です。

その異文化交流のお話がきっかけで、スペインタイルと出会いました。当初は、「趣味で楽しむには良いかな」という程度の気持ちでしたね。

‐スペインタイルへの思いが強くなったのは、何がきっかけだったのでしょうか?

実際にスペインに研修に行ったことで、思いが強くなりました。私が実際に訪ねたのはバレンシア近郊です。

街のあちこちをタイルが彩っていたんです。レストランやお店の看板、教会の入り口……。色々な場所でタイルがキラキラと輝いていました。すごく明るい気持ちになって、わくわくしたんです。

‐中でも印象に残っている作品はありますか。

博物館に行った時に、100年以上前に作られたタイルが展示してあったんです。

作品を見ただけで、当時作った人の姿がよみがえったような気がしました。1000度で焼き上げるので、色鮮やかさはそのままなんです。

その時に、「女川の街をタイルで彩りたい」という思いが湧き上がってきました。

震災前の女川の風景をタイルに描いてよみがえらせることもできるかもしれないですよね。そうしたら、見た人が私のように元気になるんじゃないかと思いました。

‐しかもおしゃれですよね。

そうなんです。震災前の女川は何もない田舎の港町で、おしゃれなものは一切なかったんですよ。

おいしいものや豊かな自然はあるんだけれども、なかなか若い人たちに自慢してもらえるようなことがなくて。タイルなら若い人にも「かわいい」と言ってもらえると思いました。

‐現地に行ったからこその思いなのでしょうか。

そうです。現地に行っていなければ、こんな気持ちにはなっていなかったでしょうね。現地でその街の中に溶け込んでいるタイルを見た時に文化を感じました。

地元で作っているものが街を彩っている。それを見ながら町歩きを楽しんで、ハッピーな気持ちになれるという。すごいことだなと思っています。

‐帰国してからタイル作りを本格的に始めたんですか?

はい。地元の仲間に「タイル作りを始めましょう」と声を掛けたんですよ。「作ってみたい」と陶芸の仲間たちや子育て中の若いママさんが集まってくれました。6人でタイルを作り始めたんです。

でも、その6人全員が被災して家をなくしていたので、「趣味で遊んでいる場合じゃない」という思いがありました。なんとか収入につなげたい、というのが6人共通の願いでしたね。

タイルを販売して収入をあげ、さらに女川の新しい魅力として体験をしていただく、という目標を立てたのです。

‐「趣味を楽しんでいる場合ではない」という意識も持ちつつ、タイルを作り続けてきたのですね。大変なことだったんじゃないかなと思うんですが……。

ゼロからのスタートだったので、設備を整えることと、場所の確保に苦労しました。女川は本当に平地がなくて、仮設住宅も野球場のスタジアムの中や、陸上競技場に仮設住宅を建てていた状況だったんです。

「きぼうのかね商店街」という仮設商店街の一角の、サッカーチームの事務所を半分間借りさせていただくことができました。そこに電気の窯を置いて、スタートしたんです。

 

震災で気づいた人とのつながり

‐実際に女川を訪れたお客様との印象的に残っているエピソードを聞かせてください。

うちが取り上げられたラジオを聞いて、タイル絵付けのワークショップに来てくださった東京のご夫婦のお話です。

ご主人は目が見えない方だったんですが、ラジオの放送があった翌日に来てくださったんです。

‐すごい行動力ですね。

奥様がご主人の隣で絵付けをして、その様子をご説明しながらワークショップを体験していました。

ご主人はできあがったタイルを指でなぞりながら、「こんなにぷっくりと、立体的になるんだ」なんてお話しされていましたね。

‐見えなくても、そうやってタイルを楽しむ方がいらっしゃるんですね……。感動しました。そのとき、どんな思いでしたか?

タイルを通して遠くの方をつなげる役割ができているんだな、と実感した瞬間です。

わざわざ遠くまで来てくださったことに感動しましたね。震災で多くのものがなくなってしまったけれども、新しい財産が女川に増えてきていると日々感じています。

‐新しい財産というのは、やはり人ですか?

そうですね。何もないところからのスタートだったので、皆さんに助けていただいているんですよ。タイルを焼くのに必要な窯もそのひとつ。

震災をきっかけに女川にいらっしゃった京都造形芸術大学の千住博先生から寄付をいただいたものなんです。大勢の方に支えられています。

‐今後やりたいことはありますか。

スペインタイルの女川教室を2018年4月にオープンする予定です。私が東京で通っているタイル教室の宮城女川校という形で運営します。

NPOでお試し移住というプログラムをやっています。1週間〜1ヶ月間泊まってみて、タイルを集中的に勉強する、というようなやり方もできますよ。

‐そうやって女川に関わりやすい機会をつくることは、まさに必要な役割ですね。

無料で街の宿泊施設が使えるんです。女川の情報発信をすることが参加条件。それがきっかけで本格的に移住してくれる若い方がいれば、また嬉しいことですね。

‐女川と外部をつなぐような役割を担っていくのですね。

そうですね。何かの形でつながっていただきたいな、と思っています。タイルを使って交流人口を増やすような取り組みをしていきたいですね。

‐最後に、記事を読んでくださる皆さまに向けてメッセージをお願いします。

今の復興途中の街は今しか見られないと思っています。「今しか見られない女川」をぜひ見にきていただきたいですね。