8月1日(土)より、ヒューマントラストシネマ有楽町ほかにて公開。
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若月治監督の「筑波海軍航空隊」の試写会に参加しました。
特攻隊に迫ったドキュメンタリーを観るのは初めてだったこともあり、観る前は怖さと不安を感じていました。
感じていた怖さは、特攻隊に居た人たちの想いを理解できるのか、受け止められるのかがわからなかったからです。
戦後70年経って、今を生きる私が、国の為家族の為に敵へ突っ込んでいた人たちの生き様をどう理解すれば良いのか、自分の気持ちを整理できませんでした。
感じていた不安は、「筑波海軍航空隊」の美化に対して。
国の為家族の為と聞けば美しいが、敵へ突っ込めば敵も死ぬ。
いくらそこに大義名分があっても殺されていった人たちはどのように思うの?と。
ましてや、敵に突っ込む前に撃ち落される確率も高い。
陳腐に共感して美化だけはしたくない、それだけは、強く思っていました。
そもそも、生き残った私たちが特攻隊に志願した彼らの想いを推し量るなんて出来ない。独りよがりなんじゃないかと思っていました。
そんな複雑な思いを抱えていたため、映画を消化していくのにも時間がかかりました。
今の私から理解できるところもあれば、理解できないところもある。
登場する人たちの話に、ううん?と思うこともある。
なので、映画を観終わって、感想を聞かれると実は少し困りました。
ただ、映画を見て気付かされたことが一つあります。
スクリーンを通してみた人たちの表情や、心から湧き上がる言葉を、今を生きる私たちは知る必要があるということ。
この映画を通じて「証言」を聞くことは出来るし、しなきゃいけない事なんじゃないかと。
ドキュメンタリーにはもちろん編集が入っています。
監督の思惑もあるだろうし、伝えたいこともある。
しかし、この映画を通じてしか聞けない話や見えない表情がありました。
90を過ぎた方達が言葉を探して何も言えない様、涙をこらえる様。
話される言葉。
「あと一カ月早く終戦だったら、死ななくて済んだ人たちが大勢いた」
「戦争は、やっちゃいけませんな。」
戦後70年目の今年の夏に、なぜこの映画が公開されたのか。
どのような人たちが見て、どのようなことをこの映画から見つけ出していくのかはわかりません。只、映画に登場する人たちの言葉に耳を傾け、その表情をしっかりと目におさめる必要があるのではないかと思います。
編集部・ゆう
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