杉原千畝(すぎはら ちうね)をご存知ですか?
ナチス支配下のポーランドから逃げてきたユダヤの「難民」たちに、日本通過のヴィザを発給しつづけた外交官であり、「日本のシンドラー」とも言われています。
杉原の出身校、早稲田大学では「千畝ブリッジングプロジェクト」という団体が立ち上がり、彼の活動や功績を伝え続けています。
去年取り上げた、湘南学園のヒストリー・ツアーでも、「千畝ブリッジングプロジェクト」がコーディネーターとして大きな役割を果たしました。(「怖さがなかったことが怖かった」アウシュビッツ―15歳が体感した「戦争」)
今回は、「千畝ブリッジングプロジェクト」にスポットを当て、大学生にとっての「平和」に迫ります。
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http://www.waseda.jp/inst/wavoc/
杉原千畝を知ってもらうために、学校に赴いて講義をする「出張講義」を中学生と高校生を対象に開催。毎年夏はリトアニアに足を運び現地の学生と交流をしており、杉原千畝をよく知るための「ガイドブック」の作成にも取り組む。
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早稲田14号館の横にある記念碑と「千畝ブリッジングプロジェクト」
‐そもそも、なぜ「千畝ブリッジングプロジェクト」に参加しようと思ったのですか?
小薗(おその):もともと私自身が「海外」や「ボランティア」に興味があったことと、早稲田のことを知れるので選びました。私は、高校がカナダだったので、早稲田のことを知らずに帰国子女枠で入ったんです。
せっかく入ったなら早稲田と縁のあるところ、かつ海外やボランティアにも縁があるところ、と思って選びました。
‐そうだったんですね。高井さんは?
高井:僕は、父と兄が早稲田だったんです。早稲田を選ぶことに迷いはなかったですね(笑)。
高校までずっと野球一筋だったから、大学に入ったからには、自分の視野を広げないといけないなぁって思っていました。
そんなあるとき、教養科目の授業で先生が杉原千畝について、早稲田出身だということと、14号館の横に記念碑があることを授業内で話していたんです。
「あ、こんな人がいたことを知らなかったな」って思ったのが最初でしたね。
それから杉原さんのドラマや本を読みだしたりして、杉原さんのことを知っていくうちに気づいたらネットで検索していて、「千畝ブリッジングプロジェクト」という団体を知りました。
‐学内のことを、ネット経由で知ったんですね(笑)。
高井:そうなんです(笑)。だから1年目の4月から入っているわけじゃないんですよ。
ただ、「千畝ブリッジングプロジェクト」は、杉原さんについて研究するし、リトアニアにも行けるし、僕が今までやってきた野球とは全然違うけれども、新たなところで視野が広がるんじゃないかな、とは思いました。
‐なるほど。参加の理由も様々ですね。
小薗:今でこそ杉原千畝に興味があって入る人も増えたけど、私の代は、リトアニアが好きで入った子とか、本当に様々でした。
考えてもらうことを大事にする、出張講義
‐入った当初はどんな活動をされていたんですか?
小薗:2012年に大学1年で、その年に入りました。福井の敦賀に記念館があるので、そこを訪れて、合宿をして杉原千畝のことを勉強しました。
リトアニアとポーランドに行きましたね。今はどちらも毎年の行事となっています。私が2年生の2013年のときには中学校や高校への出張講義も始まりました。
‐出張講義とは?
高井:中学校や高校へ出かけていって杉原千畝に関しての講義をするんです。
最初の高校では2時間をもらっていたので、1時間目はリトアニアと杉原千畝の紹介、2時間目は「自分だったらヴィザを発給するかしないか」の問いを投げかけて高校生たちに考えてもらい、いろんな意見を出してもらっていました。
僕たちは「なぜ発給するのかしないのか」を問いかけたり、一方的に授業するのではなく双方向になるような形式でやっていました。
帰るまでが遠足、事後報告までがヒストリー・ツアー
‐湘南学園とのツアーでは、アウシュビッツからの帰りのバスでモデレーターを担当したとのことですが、高校生に伝えるために工夫したことはありますか?
高井:歴史用語はその都度解説しましたね。アウシュビッツの帰りに結構質問が来たんですよ。
「なんでヒットラーってああいうことをやったの?」とか生い立ちとか、「他の収容所ではどうだったの?」とか。そういったとき、用語の解説があることは必須でしたね。
アウシュビッツを訪れた後は一気に質問が増えましたし、歴史について関心を持ってくれるようになりましたね。
‐湘南学園の生徒たちとは今もやり取りしているんですか?
高井:学生たちが今回のツアーについて、歴史、文化面についての最終発表を先月したのですが、そこまでは足を運んでサポートしました。
やっぱり事後学習が大事で、何を感じて何を思ったのかをまとめておくまでがあっての「ヒストリー・ツアー」だと思います。
‐湘南学園のみなさんはアウシュビッツのことを、自分の身に引き付けて考えられていました。事前学習では、現代の問題と絡めるような工夫を常にされていたんですか?
高井:そうですね、湘南学園の吉川先生から、「アウシュビッツをただ過去の問題として処理するのではなくて、現代と繋げるような形で問題提起をするほうが良い」と聞いていたので。
アウシュビッツは、ユダヤ人への差別の象徴ですが、いまも世界中で人種差別が起きていますよね。
ただ世界のことだと中高生にとってはイメージが湧きづらいので、日本のヘイトスピーチを事前学習で取り上げました。ヘイトスピーチの動画をみせて、いまでもこういうことが起きているんですよって。
その後実際にアウシュビッツへ行って、ガイドの方から「強制収容所での虐殺も最初は言葉による暴力から始まって、それがどんどんとエスカレートして物理的な力を行使するようになって、最後は害虫を殺すような毒ガスで人間を次々と殺していった」という説明がありました。
そこで、湘南学園の生徒たちが言葉による暴力の恐ろしさを感じてくれたのかなと思いますね。
「一人一人が歴史に真摯に向き合う必要がある」
‐日本の「戦後」についてはどう思われますか?
高井:去年は戦後70年だったけれど、僕たち一人一人が70年前をどう考えるかが大事なんじゃないかと思います。
日本では広島や長崎に行くけど、加害者意識はどうなのかなって思うときがあります。
ドイツだとアウシュビッツに毎年学校単位で行くんです。一方でイスラエルもアウシュビッツにいくので、ドイツとイスラエルの学生たちが一緒の場にいるという光景もみられるし、そういう場だからこそ感じ取れることがあるんだろうと思うんです。
日本でも、戦争を体験された方々がどんどんと亡くなっていく中で、今後あの戦争を忘れないためには、一人一人が歴史に真摯に向き合う必要があるんだと思いますね。
小薗:私は高校がカナダだったし、この間もちょっと海外に留学していて、日本の歴史は中学生の教科書までしか習っていないんです。
だから、「加害者」としての面を意識することなく大学に入って、だからアウシュビッツに行って驚くのは、ドイツがナチスのやったことを学んでいる点です。
難民に関しても積極的に受け入れていますよね。日本では、5000人が難民申請して11人ぐらいしか通っていないと言われています。
‐生徒たちと一緒に訪れたことで、新たな発見や考えさせられたことはありましたか?
小薗:これまで千畝ブリッジングプロジェクトで行ったときと一人で行ったときとあって、今回が4回目だったんですが、どれも違いましたね。
千畝のときはみんな大学生なので全然気を使わずに、自分のことだけ考えればよかったけれど、今回は海外が初めての子もいたので、引率をするような気分で常に気にかけていました。
‐アウシュビッツの後、生徒たちからいろんな質問が出たと話していましたが、そこで感じたことはありましたか?
小薗:そうですね。最初は子供だなと思っていたんですが、アウシュビッツで急に大人になったというか、変わりました。吸収の早さに気づきました。
‐それに影響されて小薗さん自身が変わったことがありますか?
小薗:スペイン語が主専攻なんですが、人に何かを教えたり、その人の成長の手助けができるという点で、日本語教育に関する授業を増やしたのはこれがきっかけです。
「戦争や差別のことを考えるプロジェクトであり続けてほしい」
‐「戦後70年」という1年を振り返って思うことはありますか?
高井:杉原千畝にスポットが当たったのが嬉しかったですね。杉原千畝を知った人が、目の前の命の大切さや自分の考え、信念をしっかり持つ、周りに簡単に流れてはいけないということが重要なのだと気づいてくれればと思います。
‐最後にこれからの目標や考えていることについて聞かせてください。
小薗:「出張講義」は続けてほしいなぁって思います。杉原千畝を通して戦争や差別のことを考えるプロジェクトであり続けてほしいなって思います。
高井:団体としてはもちろん存続していってほしいし、僕ら大学生だからこそできることがあると思うんです。
僕らが出来ることをどんどんと見つけていって、続けていきたいですね。
戦後70年に関しても70年前のこと、もっとさかのぼれば第一次大戦のことを忘れちゃいけない。自分自身の問題として考えていくことが必要だと思います。
歴史の年号や用語をただ覚えるだけじゃなくて、なんで起きたのか?どうしてこうなったのか?防ぐためにはどうしないといけないのか?といったことについて主体的に調べ、考えることが大事だと思います。
また、現在欧州が対策に追われる難民の問題についても、自分もそうですが文化や価値観が違う人たちが入ってきたときに拒絶をしないためにも、アウシュビッツの歴史から学ばないといけない。
異なる文化や価値観を受け入れる寛容さを、いろんな文化や価値観の人たちと交流したり、歴史を学ぶ中で身につけていきたいですね。