兪 彭燕
1989年、上海生まれ日本に根を下ろしてはや20年。音楽とサッカーが好き。バイブルはスラムダンクと寺山修二の「書を捨てよ、町へ出よう」

【写真:湘南学園 吉川先生(左)、松井先生(右)】

 

戦争に向けて国威が発揚されていく1933年、時代の流れとは逆行するかのように、「自分たちの学校を創ろう」を合言葉として湘南学園は創立されました。

 

SGH(スーパーグローバルハイスクール)アソシエイト校であり、平和や国際的な連携を実践するユネスコスクールにも選ばれている湘南学園中学校・高等学校では、今年の夏季休暇に、「ポーランド・リトアニアヒストリーツアー」を開催。中学3年生と高校1年生の希望者4名が、負の歴史遺産の代表格でもある、アウシュビッツ=ビルケナウ強制収容所(以下、「アウシュビッツ」)を訪れました。

 

参加した生徒たちのインタビューを紹介した前編に続き、後編となる今回は、同ツアーを企画、実際に参加した先生2名へのインタビューをお届けします。一風変わった、湘南学園の成り立ちから「観光」や「英語学習」を目的としない同ツアーを企画した背景、同校が考える学校のあるべき姿や思いを伺いました。

 

 

「人道的な部分と非人間的な部分」対極的なものを見せるツアーにしたかった。

‐国威が発揚されていく1933年のなかで、「自分たちの学校を創ろう」と、湘南学園が設立されました。その当時のことを伺えますか?

吉川:湘南学園がある鵠沼は別荘地として開発されたのですが、当時は小田急や江ノ電ができて交通アクセスが良くなり、定住する人も増えていました。

そこで、新しく学校が欲しい、となりました。

しかし、どうも近辺の学校に心惹かれなかったみたいです。そこで、自分たちの子どもを育てる学校を自分たちで創ろう、と決めて、玉川大学を創った小原國芳氏をお呼びして、自分たちの理想の学校を創りました。

その後、PT共同経営を始めて、教員と保護者が一緒に力を合わせて子どもを育てていこうという流れになります。それは、現在でも続いています。

‐究極のDIYですね。PT共同経営とは、具体的にはどのようなことをされているのですか?

吉川:保護者から学校経営に携わる理事を出す、教員からも理事を出す。保護者と教員で理事会を構成しています。

理事の任期は2年、完全無給、ボランティアです。ただ、厳に慎んでいるのが、学事介入です。

学事は教員が行う、そこに保護者がある特定の考えを持ってねじ込むということは一切ありません。

‐PT共同経営にも、「自分たちの子どもを育てる学校を自分たちで創ろう」とする当初の考えが受け継がれていると言えそうですね。

今回、「ポーランド・リトアニアヒストリーツアー」を企画した理由は何でしょうか?

吉川:このツアーは、私が企画したものでした。

鎌倉で、杉原千畝研究をしている白石仁章さんの講演にお伺いして、杉原千畝(1900‐1986、早大出身、外交官。政府の許可を待たず、ユダヤ難民に日本通過ビザを発給。多くのユダヤ人の命を救った。)が鵠沼に住んでいたことを知りました。

さらに、彼の子どもは湘南学園に通っていた。杉原千畝を題材とした海外ツアーが出来ないか、と考えたことがきっかけです。

‐訪問する国をポーランドだけでなく、リトアニアまで含まれたのも彼と縁のある場所だからでしょうか?

吉川:はい。彼は、リトアニアでビザを出しました。だから、そこは外せません。そして、そういった人道的な行為の対極としての「アウシュビッツ」も外せない。

両方行くツアーです。人道的な部分と非人間的な部分、対極的なものであるから、それだけ陰影が濃く、生徒に考えるきっかけを提供できるだろう、と思いました。

‐このツアーには早稲田大学の学生さんも同行していましたね。

早稲田大学との繋がりはどこから生まれたのでしょうか?

吉川:杉原千畝について調べていくうちに、早稲田大学に「千畝ブリッジングプロジェクト」があると知りました。

早稲田の学生さんが、杉原千畝を顕彰しようとしており、なにか協力を得られないかな、と連絡をとったところ、じゃあ一緒にやりましょう、と実現しました。

‐杉原千畝と鵠沼の縁、杉原千畝の子どもが偶然にも湘南学園と通われていたこと。

そして、早稲田大学との繋がり。縁が広がっていきますね。それにしても、吉川先生はアクティブですね!

吉川:(笑)。「千畝ブリッジングプロジェクト」の方々が毎年リトアニアを訪問していて、お互いに交流があったので、今回のツアーはそこにのっけて貰った面はあります。縁と出会いに助けられました。

 

 

「過ちは繰り返しませんから」を言うのが嫌だったんです。

‐松井先生もこの企画に携わり、吉川先生をサポートしていたのでしょうか?

松井:全然関係ありません(笑)。ただ、私は人生の中で一回は「アウシュビッツ」に行ってみたかった。

どのように生徒が感じたにせよ、私が行ってみないことには始まらない。なので、ぜひ行かせてくださいとお願いをして、付いていきました(笑)。

 

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‐そうだったんですね(笑)。ツアーに参加してみて、どうでしたか?

松井:世界観が広がりました。「アウシュビッツ」のひんやりとした感じだとか、行ったからこそ伝えられることがあります。

私、小学校時代は広島で過ごしていて、慰霊碑に書いてある、「過ちは繰り返しませんから」を言うのが嫌だったんです。

‐というのは?

松井:「原爆を落とされて、私たちは悪くない」と思っていたから。

でも「アウシュビッツ」に行ってからは、どの国の人だとかは関係なく、人類の過ちとして我々は振り返るべきなんだと思えるようになりました。

生徒も感想で言ってましたが、「関係ない」としてしまう傍観者の残酷さについて考えさせられましたね。

‐このツアーで、参加者たちはホームスティをしますが、先生もホームスティを経験されたのでしょうか?

松井:はい。それに、嬉しいことに日本人だからと優遇して貰えました。

教会で結婚式が挙げられていたのですが、普段は見せないものなんだそうです。

そこを、ホームスティのお母さんが「日本人がたまたま来ていて、あんな遠いところから来ているんだから見せてあげてほしい」と頼んだら、「日本人か、しょうがないな。

ちらっとだけだぞ」と(笑)。

‐(笑)。微笑ましいやりとりです。ちらっと結婚式を見られたのでしょうか?

松井:はい(笑)。これも、杉原千畝のおかげであり、凄いと思いましたし、「しょうがないな、日本人か、じゃ良いよ」としてくれるこのリトアニアの人達の懐の深さを肌で感じました。

‐この温かさは子どもたちにとっても嬉しいものだったと思います。

松井:そうですね。子どもたちは、「アウシュビッツ」など精神的につらいところを回って大変だったと思いますがそれでも、「楽しかった」と言ってくれたのは、多くの人に子どもたちは大事にしてもらったという思いが強くあったからでしょう。

何も知らない日本人が行っても、「あ、よく来たね」と言ってもてなしてくれることが良かったんじゃないかな、と。

 

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‐吉川先生が、企画を考えて頑張ったかいがありましたね。

吉川:そうですね、ここから裾野が広がっていければ良いなと思います。

今後は、リトアニアの学校との姉妹校提携を考えています。

湘南学園は、ユネスコスクールに選ばれているので、僕個人の意見ですが、「心の中に平和の砦を作る」というユネスコ憲章を体現する学校であってほしい。

今回も、「心の中に平和の砦を作る」ツアーにしたいと思っていました。

このツアーをもとに、リトアニアとポーランドと繋がっていく、それが平和的な状況の一助となるのかな、と。

 

 

学校ってどうあるべき?学校での教育ってどうなる?

‐最後に、教育というと、教える側と教えられる側、上下の関係性をイメージします。湘南学園での教育とは、どういうものなのでしょうか?

吉川:ユネスコスクールとなったことは、湘南学園の軸を可視化するのに良い機会でした。

「持続的な社会の担い手をつくる」ことを打ち出したわけです。

僕は、学校で基礎的な知識を教えることも必要ですが、今はネットで調べたら解決できてしまうことも多いので、知識を教えるだけじゃ学校として用はなさないのだと思います。

これからの学校というのは、持続可能な社会のためには何が必要か、今どういった問題があってどう対応すれば良いのか、そのような新しい事態に対して、対応できる「構え」をつけさせることが求められています。

だから、色んな体験と経験を積み重ねて、「あ、自分はあのときこういう形で対応したから、こうできるかも」、と将来的に引き出していけるように、色んな素材を散りばめておきたいな、というのが僕個人の願いです。

色んな変化に対応できて、自分らしく幸せに生きていける。生徒自身が幸せな人生を送れるような「構え」を作らせ、それがイコール持続可能な社会の担い手であれば最高です。

‐今回のツアーもその助けとなれば、ということでしょうか?

吉川:はい。多様性と人道性を基本にした杉原千畝の行動を学ぶことで、周りがどんな状況であれ、自分の判断で正しいことに進んでいける、「正しい個人」であって欲しい。

それは、独り善がりの正義じゃなくて、色んな経験をするなかで、彼ら一人ひとりが自分の本当の正義を形作って欲しいですね。

限られた経験だけだと偏りますから、色々な経験を積んでいって欲しいな、と。その一つに今回のツアーがあれば嬉しいです。

‐教育とはそうであると?

吉川:はい。最近、よく言われますが、教員というのは、ファシリテーターだと。つまり、案内役です。

電子機器だとか生徒のほうが知識ある場合もありますし、教員が絶対的に上にいて、教えてやるという形は成り立たない。

だから教員というのは、案内役。でも教員だけの力、学校だけの力だと足りないので、地域の力も巻き込みながらやっていく。

このツアーも、杉原千畝が地域の偉人であったことがきっかけでした。地域に関心を持ってほしいとの願いもあるんです。

 

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‐松井先生にとって、教育とはどういうものであると思いますか?

松井:そうですね。学校を卒業して、大人になると、誰も教育をしてくれないので自分自身を教育する力を身につけないといけないのかなと思います。

学びたい、知りたいと思ったときに、とっかかりを教えてくれる人がいれば楽だけど、大人になったらそうじゃないと思うんです。

まずは中高の間に色んな経験をして、自分自身を学び高めさせられるような生徒たちになってほしいと思って教育にたずさわっています。