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【第1回】お嬢様芸人は「お不良」だった!? たかまつななさんに聞く「お笑いジャーナリスト」という生き方

「フェリス女学院出身」の煽りで颯爽とデビュー、2013年に日本テレビのお笑いコンテスト番組「U-20お笑い日本一決定戦 ワラチャン!」グランプリを獲得した、「お嬢様芸人」たかまつななさん。自ら名乗る「お笑いジャーナリスト」は、芸能界でも異色の肩書き。その肩書きが生まれた背景から生い立ち、お笑いという仕事の魅力まで、全3回で赤裸々に語る特別インタビュー。第1回は、生い立ちから意外な「お不良時代」に迫ります。

 

 

はじまりは、富士の樹海での一言だった。

 

 

okayama(以下、岡):早速ですが、「お笑いを通して社会課題を解決したい」という夢をお持ちであると。そもそも幼少期の頃から、素地があったんでしょうか…?

 

たかまつ:そ、素地…!?なんか、堅いですわ!(笑)

 

岡:(笑)。何を考えたら、そのような道を歩かれるのかな、と思って。

 

たかまつ:小学校4年生の時に、アルピニスト・野口健さんの環境学校に参加したのが、きっかけでしたね。元々、山が好きだったので。富士山に6日間くらい宿泊して、自然を体験しようというプログラムでした。

 

1日目は、まず富士山の一般道ではないところを通って、苔とか一面に広がっている姿を見て、感動したんですね。やっぱり富士山って、ほんとうに綺麗だし、誇れるものだと。

 

けれども、翌日、健さんが「ゴミ拾いに行きましょう。」と。最初は何を言っているのかな。と思いました。「あんなに綺麗なのに」と。

 

でも、青木ヶ原樹海に行くと、その意味がわかったんです。

 

岡:というと?

 

たかまつ:バスやトラックが捨てられていたりとか。

 

岡:え、バスとかトラックが?!

 

たかまつ:捨てられているんですよ。今は、たぶん清掃されてそんなにないと思いますが、注射器とか医療器具が散乱していたり。落葉樹の下を掘ると、葉っぱの下にいっぱいオモチャやゴミが捨てられていて、衝撃を受けて…。

 

その時に、健さんが「大人は見て、見ぬふりをしてしまうことがある」とおっしゃって、「こういうのは君たちみたいな、純粋な子どもたちが伝えて行った方が、インパクトがあったり、解決されることもあるから、がんばってほしい」というメッセージをくださって、「ああ伝えなきゃ」と思って。世の中の問題に興味を抱いたのは、そこからですね。

 

岡:それは、野口さんの言葉だから刺さったのか、それとも富士山の意外な裏面を見た、という感じだったんですか?

 

た:両方だと思いますね。なんとかしたい、という気持ちがありましたね。特にゴミなんて、捨てなければいいだけの話だから、なんとか変えたいという思いがありました。

 

岡:その時は、すぐに何か行動したんですか?

 

たかまつ:そうですね。最初は模造紙で「こんなゴミが捨てられていました」と壁新聞を作って、学校で掲示してもらいました。でも、これじゃあなかなか伝わらないな。と思って、もっと大きく伝えなきゃと思った時に、読売新聞子ども記者募集という記事を見つけて。この記者になって伝えればいいんだ。と思って、読売新聞の子ども記者(※1)になりました

 

岡:なるほど。

 

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新聞記者からお笑い芸人への転身

 
岡:子ども記者時代にはどんな記事を書いていたんですか?

 

たかまつ:70本記事を書かせて頂いたので、本当に幅広く書きましたね。同世代の子どもが行う「高文祭」という高校生の文科系が競う甲子園みたいな大会へ、取材に行かせていただいたりとか。著名人では、乙武洋匡さんやアグネス・チャンさん、白石康次郎さんやはやみねかおるさんを取材させて頂きました。

 

岡:楽しそうですね。大変なことはありましたか?

 

たかまつ:結局、環境の記事は、なかなか書けなかったんですよね。

 

岡:え、なぜですか?

 

たかまつ:企画書を持って行っても、読売新聞文化部の中のジュニアプレス部という文化部に所属していたので、「そんな不法投棄なんて社会部がやればいい」と。「もう少し子どもらしいことを」と言われると、なかなか企画書を通せなくて。ようやく自分の書きたかった環境の記事を書けたものの、全然友達から「読んだよ!」と言われる事がなくて。

 

反響があったのは、ご学友のお母様方から「ななちゃん、この間の記事読ませていただきました」と。これじゃあ、興味がない人に伝えたかったりするのに、意味がないんじゃないかなと思い始めて。

 

:あー。

 

たかまつ:そこで、いろんな表現方法を模索している時に、お笑いと出逢って、お笑い芸人になろうと思いました。

 

岡:その出会いはちなみに、どの芸人さんだったんですか?

 

たかまつ:爆笑問題の太田光さんです。

 

岡:へえ〜、テレビで見て?

 

たかまつ:いいえ。わたしは小さい頃、NHKしか家で見させてもらえなかったので、テレビとかお笑いに全然興味がなかったんですよ。その頃に、中沢新一さんの「憲法9条を世界遺産に」(※2)を読ませていただいて。

 

当時、対談相手の太田光さんを存じ上げなかったので「すっごくユニークな政策を言う学者さんだ!」と思って、巻末を見たら「お笑いコンビ」と書いてあって。「あっ芸人さんなんだ!芸人さんだからこんなにユニークな考えが出来たんだ。」と感動しまして、それで芸人さんは素晴らしいご職業だと思い、私もなろう、と。その本との出逢いからでしたね。

 

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岡:お嬢様らしい勘違いですね。(笑)その後、太田さんの漫才を見たりしたんですか。

 

たかまつ:いえ、テレビはダメだったので、太田さんの本をたくさん拝読しました

 

岡:そのあたりは、オッケーだったんですか?

 

たかまつ:そうですね。こそこそ買ったりしていました。(笑)

 

 

中学受験期は「お不良」でした。

 
okawa(以下、大):中学受験されましたよね。大変な時期もあって。

 

たかまつ:はい。受験期は死んでました(笑)週6日間塾に通わされていたので。直前は1日16時間くらい勉強してましたね

 

岡:おとなしく勉強していたんですか?

 

たかまつ:いや〜もう、すっっごい荒れていましたね(笑)お不良でしょう、もう(笑)

 

全員:あはは(笑)

 

たかまつ:そもそも、勉強全然できなかったんですよ。塾のクラスもずっと下の方で、フェリスの過去問解いても、一回も合格点出せなかったりとかして。それで、当時身体動かすのが好きだったので、サッカー選手になりたい。と実は思っていて

 

大:サッカー選手!?

 

たかまつ:サッカーの強い学校に行くか、プロサッカー選手を育成する全寮制の学校に行きたいと親に言ったら、「なんのためにこんなことを今までしていたんだ。」と、サッカーも全部辞めさせられて、塾の日数を増やされて。その間もずっと「嫌だ!」って反抗していましたね。向いてないし、勉強が。楽しくもないし。なんのためにこんなことしているんだろう、ってずっと思っていましたね。

 

岡:よくやり遂げましたね…。

 

たかまつ:そうですね。塾の洗脳ですよね(笑)「この問題解けた奴はフェリス受かる」って先生が言って、解けたりすると嬉しくなって、それだけですね。

 

直前の二ヶ月くらいはすっごい勉強しましたが、それまではただ塾に行くだけでした。急に自分自身でも、なぜだかわからないけれど行きたいと思い始めるようになってから、16時間勉強するようになって。歩きながらも勉強して、「磯子の二宮金次郎だ」とか言われたりして。(笑)

 

大:ちなみに、なぜフェリスを選ばれたのですか?

 

たかまつ:慶応一家だったので、親は慶応に行ってほしかったのですが、それが逆に嫌で…慶応以外学校じゃないみたいな。(笑)フェリスが神奈川の女子校の中で一番校則が緩く、自由な学校であること、家からも近く朝ギリギリまで寝られる、という理由です。(笑)

 

入ったら他の女子校が厳しすぎて全然自由ではなかったんですけれども。

 

岡:スラムダンクの流川みたいな理由ですね。(笑) でもハマったのは、お笑いだったと

 

たかまつ:はい。でも、私、お笑い向いてなかったみたいで…。

 

【第2回】につづく

 

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インタビュー:okayama・okawa(70seeds編集部)

写真:okawa

 

(※1)読売新聞が運営する子ども記者団「ヨミウリ・ジュニア・プレス」。公募で選ばれた首都圏の小学5年生から高校3年生が取材、記事執筆を署名入りで行う。

(※2)「憲法9条を世界遺産に」太田光・中沢新一著 集英社新書 2006年

http://www.amazon.co.jp/憲法九条を世界遺産に-集英社新書-太田-光/dp/4087203530