2010年、イギリスのガーディアン紙で日本で唯一「世界で一番美しい本屋」に選ばれた本屋がある。その名は、『恵文社一乗寺店』。

創立は1975年で、新しい試みを続ける京都の本屋の中でも長い歴史を持ち、読書家のあいだで有名な本屋だ。京都駅から40分ほどバスに揺られる必要があるが、そんなことは苦にならないだろう。この本屋に来るために海外から足を運んだ人もいるほどだ。

バスの中には噂を聞きつけた人もいれば、アート系の大学が多い土地でほかの本屋で出会えない本に出会うことを期待している人もいる。

バスを降りると、まずレトロな店構えに魅せられる。左京区・一乗寺の雰囲気を味わいながら中に入ってみると……。

出迎えてくれたのは、書籍担当の涌上(ゆのうえ)昌輝さんとギャラリースペース『アテリ』の展示を担当していて、今後は広報分野の仕事もしたいと話す藤林沙樹さんだった。

「ギャラリースペース担当」

そう聞いただけで『恵文社一乗寺店』がしていることの幅広さが想像できる。

ふたりによると、Twitterではリアルタイムで今「していること」を、インスタグラムには新しいニュースや新入荷のお知らせだけでなく、前後の投稿の関連性を意識した発信を心掛けているそうだ。

そう、『恵文社一乗寺店』は常に本を売りながら、何かを「している」店なのだ。

若林 理央
読書が好きなフリーライター。大阪に生まれ育ち2010年に上京。幼少期からマジョリティ・マイノリティ両方の側面を持つ自分という存在を不思議に思っていた。2013年からライターとして活動開始。取材記事やコラムの執筆を通し「生き方の多様性」について考えるようになる。現在は文筆業のかたわら都内の日本語学校で外国人に日本語を教えている。

本、イベント、展示……来る人の目的が違っていても

藤林さんは言う。

「店内に入る人たちの目的はそれぞれ違います。本を買いに来る人、展示を見に来る人、イベントに参加する人……本屋とギャラリー、そしてイベントスペースはそれぞれ流動的に営業しています。だからこそ本を買いに来た人が落語のイベントの声や音を聞いたり、展示を見終えた人がイベントスペースで開催中の1日喫茶にコーヒーを飲みに行ったりするという相乗効果が生まれるんです」

店内だけを見ても、書店を挟んで生活用品が置いてある『生活館』や、一番大きなギャラリースペースがある『アンフェール』、書店とアンフェールを繋ぐ中庭にはキッチン付きのイベントスペース『コテージ』がある。ギャラリーで展示と言うと原画や写真が思い浮かぶが、藤林さんによると展示する「モノ」はさまざまらしい。

「今(2022年9月)私の担当するアテリで開催しているのはアクセサリーの展示で、ほかには洋服や革小物の展示をすることがあります。私は務めてからまだ1年半で書店員の経験はここが初めてなのですが、今回の広報もそうですし、やりたいことをさせてもらっています」

基本的に全国チェーンのメガ書店でない限り、本屋は狭いところが多く、スタッフも少ないイメージがある。しかし『恵文社一乗寺店』は広く、スタッフもアルバイトを含めると現在13人だそうだ。

本屋に来るためにかけた時間以上の価値を

藤林さんは続ける。

「ここは決して利便性の良い場所じゃなくて、京都駅からも時間がかかります。海外からの観光客もいらっしゃいますし、時間をかけて来ただけの価値があるものを持って帰ってほしいと思っていますね」

お客さんは観光で来た人だけではなく、地元に住む常連の人も多い。

「おひとりで静かに本を選んでくださるお客様が多いので、積極的にお声がけするということはないのですが、なにげない会話をすることはありますね。”中庭に野菜を植えたの”と言われて”私は唐辛子植えたんですよ”とか」

その一方で、有名な本屋なので緊張しているお客さんも見かけるそうだ。

「そういったお客様にはイラストレーターのひろせべにさんがデザインした栞型のショップカードを渡しています。レジで買われたお客様のお連れの方にもお渡ししたりとか、そういったさりげない接客を心がけています」

藤林さんのやわらかい雰囲気からふだん接客する様子が伝わってくるようだった。

大切なのは「おもしろいことをしたい」気持ち

店長はいないが、スタッフ13人をとりまとめているのが書籍担当の涌上さんである。務め始めて6年、『恵文社一乗寺店』に入る前はほかの本屋も経験している。

「恵文社一乗寺店は、カルチャー色の強い左京区という立地やオーナーの意向もあり、売上を伸ばすことだけではなく、開店当初からおもしろいことをしたいという前提があったと聞いています。、90年代にできたギャラリーでの展示は当時全国的にもめずらしく、自由な雰囲気を感じて入ったスタッフたちが、それぞれの感性やバックグラウンドを生かし、本との関連性を出発点に雑貨や日用品、アパレルなども積極的に展開していった。すると売り上げにつながったんですよ。もちろん売れたのは本だけじゃありません」

イベントや展示もすると巡り巡って本にも良い影響が出たからこそ、今の『恵文社一乗寺店』が存在している。選書もスタッフほぼ全員でしているそうだ。

「スタッフがアンテナを張りながら体験したいろいろなことや持っているスキルや経験、人との繋がりを、恵文社一乗寺店の場所づくりにフィードバックする。本もそうです。アルバイトも含んだスタッフ13人みんなが、体験やスキル、興味やそれぞれの関心のあることをもとにどんな本を置くか提案し合います」

「アルバイトも含んだ」

学生時代、本屋でバイトをしていた私はこの言葉に驚いた。
バイト店員が仕入れる本のアイデアを出せる本屋なんて聞いたことがない。

うらやましいと思っていると「本を選ぶ基準はもちろんありますよ」と涌上さんが言った。

「どこでも手に入る本ではなく、ここでしか手に入らない本の組み合わせが店の強みになります。そのため、流通の希少度の高い本も多く取り扱いますただ、決してリトルプレス(自主制作の出版物)のみを置くということではなく、恵文社一乗寺店のトーンと親和性を持つ商業出版の本も選ぶようにしています」

本屋でできる思いがけない体験

本が届くと陳列にも工夫を凝らす。

イラストやビジュアルが際立つ本の隣に、同じテーマをより深く掘り下げた人文書を置いたり、手に取りやすい文庫本の隣に造本に趣向を凝らしたデザイン性の高い本やアートブックを置いたりして、全体のバランスを考えるそうだ。

本を買うために来る人は『恵文社一乗寺店』に置いてある本がフックになり、本以外の喫茶やイベントに目を向けて「この本屋ではこういう体験もできるんだ」と驚き、新しい世界を見ることができるという。

「場所があるということは、いろんな人に使ってもらえて流動性も上がる。一方でコントロールする工夫も必要なので、うちのスタッフはそれをしっかりと考えていかなければなりません。目的のモノやコトだけを見つけて終わりだと恵文社一乗寺店の個性につながらない」

そう話す涌上さんの隣で藤林さんがうなずきながら「目的がなくても来てほしいです」と笑顔を浮かべる。

「目的がなくても常に何かをしているので、そこでお客様にとって予想外のものが見つかる場所であれたらと思っています。本屋の両隣でしているイベントやギャラリーだけではなくて、置いてある本を見回しながら見覚えのある本の近くに関連した本を見つけて、こっちも手にとってみたいと思っていただけたらすごく嬉しいですね」

京都の本屋を巡り時代の変化を感じる

第1回の『CAVABOOKS』、第2回の『ホホホ座浄土寺店』、そして今回の『恵文社一乗寺店』。3店舗の取材を終えて気づいたことがある。

どの本屋も、「お客さんに店舗で予想外の出会いを経験してほしい」と考えているということだ。

新しいかたちの本屋は、リアル店舗ならではの本との出会いを大切にしながらもそこにとどまらず、イベントをしたり雑貨を置いたりすることで、客層を広げ、またそれぞれの個性をも打ち出しているのだ。

『CAVABOOKS』は複合施設で映画やカフェと共存し、『ホホホ座』は気軽に入れる公園のような本屋であり、『恵文社一乗寺店』は広い店内で展示とギャラリーをすることで、売っている本にも良い効果をもたらす。

本屋はこれからも変化を続けていくだろう。

本プラス何か。

現存する本屋にとって、その「何か」はイベントであることが多いが、時が経つとそれもまた変化していく。

5年後、10年後、20年後と、人々から求められる本屋のかたちは、どんどん変わっていく。
取材前、私はいずれリアル店舗がなくなるのではないかと不安に思っていた。しかし取材を続けるうちに、いつしかそれは本屋がどう変わっていくのかという期待に変わっていた。