「生き方や居場所は、一つでなくていいんです。僕は会社員、お茶農家、音楽をやっているときなど、いろんな顔を持っていて、どれも”僕自身”なんですよね。一つの組織や価値観の中で自分を決めつけ過ぎず、やり方や居場所をカスタマイズできたら、もっと生きやすくなる人もいるんじゃないかな。お茶を通じて、そんな居場所をつくるのが今の夢です」

そう朗らかに話す、一人のお茶農家さんに出会った。日本三大銘茶の一つ「狭山茶」を栽培するお茶農家『ささら屋』の石尾 祥馬さんだ。

自身の大事にする生き方と重ねながら、お茶農家としてのありたい姿を追及する石尾さん。
そこには狭山茶農家『ささら屋』が目指す、これからの時代に即した健やかな「人」と「お茶」のつながり方があった。

茶葉の香りが風に乗って鼻をくすぐる新茶の季節。
やわらかな太陽の光に包まれた、丘一面のみずみずしい茶畑を背景にお話をうかがった。

貝津美里
人の想いを聴くのが大好物なライター。生き方/働き方をテーマに執筆します。出会う人に夢を聴きながら、世界一周の取材旅をするのが夢です。

会社員をしながらお茶農家へ『ささら屋』の誕生

そもそも石尾さんがお茶農家を始めたのは、2018年のこと。それまではほとんどお茶を淹れたこともなく、全く縁のない世界だったと言う。

「僕の妻が茶農家出身で、この茶畑は江戸時代から代々引き継いできたものなんです。ところが、2016年に6代目が事故で急逝したことで茶農業が立ち行かなくなり、『もう畳もうか』という話もでていました。そのとき、妻が『畑なくなるの、嫌だな』と哀しそうな顔をして。それなら一緒に立て直そう、と2018年に旗をあげたのが『ささら屋』でした」

一番身近な人を想う。とてもシンプルで愛情深い気持ちが、石尾さんの原点だった。

「あと、純粋にお茶がおいしかったんです。胃袋から掴まれました(笑)実は僕自身、幼少期から職人に憧れたり、音楽が好きで自分で曲を作ったり、『いいと思うものを自分で作って、自分の手で届ける』ものづくりが性に合っているんじゃないかと思っていたんですよね。お茶を通じてやりたいことを実現できそうだなという気持ちもありました」

石尾さんは大学で経営学を専攻し、卒業後は一般企業に就職。現在も営業戦略を考える営業企画に従事している。ささら屋の立ち上げ後は、会社員とお茶農家の二足のわらじを履いて活動することに。お茶の繁忙期は朝5時から農作業を始め、10時ごろにはパソコンに向かい在宅で会社の仕事に切り替える。週末には『ささら屋』として、埼玉や都内を中心にポップアップやイベントに出店する日々を送っているという。

いきなり飛び込んだ、お茶農家の世界。

仕事との両立も含め、就農することに抵抗はなかったのだろうか。

「なかったですね。広く浅く物事に興味を持つタイプなので、新しい領域に足を踏み入れることにそれほど抵抗はなくて。むしろ、これまで触れてこなかったお茶についてゼロから学ぶのは面白かったです。お茶専門のマーケティングの本とかもあって、奥が深いんですよ」

「あとは、『ささら屋』をどうにかしないといけない事実を、“自分から面白がる”工夫もしました。どうしても『やらされている感』があるとしんどいと思うんです。自分から主体的に動いて自分だったらどうするか?どうしたいか?考えだすと、全てが自分ごとになりました」

ものごとを面白がる力を糧に、石尾さんはこれまで培ってきた経験を新しいフィールドでも活かしていく。

「自分でやると決めたからには最後までやり抜くつもりで、『ささら屋』のビジョンやありたい姿を描いてから走り始めました。大学では経営学を学んでいましたし、会社では営業企画を担当している。経営、マーケティング、営業といった、事業に必要な知識やノウハウは持っていたので、それを『ささら屋』のコンセプトや規模感、目指したい世界に反映させています」

「とはいえ、やっぱりお茶の味・品質が何よりも大事です。自分が納得したものをお客さんに届けたい。そう思うにつれどんどんのめり込み、今では営業まわりだけでなくお茶摘みや加工にも関わるようになりました。心から広めたいと思う商品に自分の想いを乗せられる。その喜びは大きいですね」

「ささら屋」が纏う、“親しみやすさ”

パッと目を引く彩豊かなパッケージデザイン。個性が光る、豊富なお茶の種類。お茶の味や風味が比べやすい商品説明。初めての人でもわかりやすいお茶の淹れ方の手順。

どれもが見る人を惹きつけ、ちらっと覗いていきたくなる温かみを感じる。『ささら屋』が纏う、この“親しみやすさ”は、なんだろう。

その背景を探ると、石尾さんは『ささら屋』のあらゆるデザインを手がける、妻・絵莉さんについても、弾むような口調で話してくれた。

「彼女のデザインによって、『ささら屋』の世界観はつくられています。デザインを通して伝えたいメッセージは『身近であること』。泥を感じる、というか。風に揺れる茶葉、空の青さ、降り注ぐ雨。一つひとつ、人の手で作られている体温を感じてもらえたらと思うんです」

「あくまで『農家』としてのデザインにこだわりたい。そうなったとき、都会のブランドや企業のような洗練されたデザインを目指すのは違うなと。特にパッケージは、台所やテーブルの上に置いてあっても馴染みやすい風合いに仕上げています。目で見て気分が上がる、『日常の中のちょっとしたご褒美』を感じてもらえたら嬉しいです」

お茶を通じて人とつながって生きていけたら

ただお茶を栽培・販売しているのではなく、“飲む人”を想う気持ちを大切にしている石尾さん。それは接客の場面にも表れている。

「究極的なことを言えば、ポップアップや出店先に来てくれる人を、お客さんだと思っていなくて。お茶屋さんとしゃべった、ではなく『お茶屋さんの石尾としゃべった』っていう楽しい記憶を持ち帰ってもらえたら、それだけで嬉しいんです」

筆者も初めて『ささら屋』のポップアップに立ち寄ったとき、まるで友人の家に来たかのような居心地の良さを感じた。パッケージがかわいい、味の違いが気になる、お茶について知りたい。どんどん湧いてくる興味に丁寧に向き合い、接客をしてくれたのが石尾さんだった。気がつくとお互いの仕事や働き方など、お茶とは関係ない世間話に花が咲く。そうやって一人ひとりのお客さんに対し、自然体なコミュニケーションを図っているのだろう。

そこには、石尾さんの揺るぎない「信念」が宿っていた。

「ささら屋を持続可能にしていくには、薄利多売では難しい。『ささら屋のお茶がいい』と買ってくれる人の輪を、小さくてもつくっていかなければなりません。そのためには、一人ひとりに届くような丁寧なコミュニケーションが何より大切だと思ったんです」

「ファン、いや、友達をつくる感覚に近いかもしれないです。『あなたに伝えたい』、それだけを意識しています」

SNSやメール、ホームページ、接客、あらゆる伝える手段において、まるで手紙のように“ささら屋の言葉”を届ける姿勢は、どんどん周りの人の心を掴んでいく。毎年春に開催する「お茶摘み体験会」は、すぐに予約が埋まる好評ぶりで参加者の半分以上がリピーターだという。オンラインショップでの購入も、リピート客は半数近くにも及ぶ。

筆者も、実際に「お茶摘み体験」に参加してみた。すると、そこには“お客さんと店員”という枠を超えた人たちの温かい関係が広がっていた。

「石尾さん!」

「次のポップアップにも行きますね」

「また来ます!」

ささら屋に関わる人にとって、もう一つの居場所になっているかのような風景だった。石尾さんは続ける。

「妻の哀しい顔を見たくない、とお茶農家になることを決めたのと同じで『手の届く範囲の人たちに喜んでもらえるような仕事がしたい』という価値観をずっと持っていて。僕自身、そうやって生きていきたいんです」

「特に『お茶摘み体験』は、お客さんとのつながりを直に感じられる場です。自分たちがいいと思うものを作って、それを好きになってくれる人がいる。金銭のやり取りだけで終わらず、その先の広がりまで感じられるのってすごく嬉しいことだなと。やっててよかったと感じる瞬間ですね。そうやってお茶を通じて人とつながって生きていけたらなと思います」

茶畑が、誰かにとってもう一つの居場所になる。

────心安らぐひとときを、一杯の日本茶とともに。

この言葉に、『ささら屋』のありたい姿が詰まっている。お茶を飲むこと、一息つくこと、お茶を囲んでおしゃべりをすること、贈られて嬉しい気持ちになること。お茶を取り巻くあらゆる場面において『ほっとする時間』を届けたいという願いが込められたコンセプトだ。

その想いは商品だけにとどまらない。これからの『ささら屋』について尋ねると、石尾さんの大事にする生き方が、社会へ広がっていくような未来が見えた。

「学校や会社に馴染めなかったり、子育てに行き詰まっていたり。社会で生きづらさを抱えている人がいたら、住み込みで茶摘みを手伝ってもらってもいいし、休みの日に農家の暮らしや仕事を体験しに来てもらってもいい。茶畑が誰かにとってのもう一つの居場所になったらいいなと思うんです」

居場所に悩む人に思いを馳せながら、言葉を紡ぐ石尾さん。

「僕自身、いろんな顔を持っています。会社では衝突や葛藤もたくさんあって。出世することだけが正しいのだろうか、自分が納得いかないこともYESと言わなければいけないのだろうか。そう悶々とすることも少なくありません」

「でも僕には『ささら屋』という事業がある。ずっと好きで続けている音楽もある。そこでは自分を求めてくれる人も評価してくれる人もいて、自分らしさをのびのび発揮できます。逆に、会社という場所があるから生活を安定させられる。何より会社で培ったスキルがあったからこそ、『ささら屋』を軌道に乗せることができました」

「どれか一つでなくてもいいんです。与えられた場所が合わなければ、違う場所に移ってもいい。居場所を増やしてもいい。今いる場所で行き詰まっている自分を責めず、一つの生き方・価値観・居場所に縛られず、少しでもほっとする居場所をみつけてほしい。その一つとして『ささら屋』もあるよ、と伝えられたらと思うんです」

いろんな人の手で茶畑を守っていく風景

「手が回らないくらい色々な仕事があるので、手伝ってくれる人がいるのは助かります」と朗らかに笑う石尾さん。多様な人が茶畑に関わることは、江戸時代から続くお茶農家を、次の世代に残すためのサスティナブルな仕組みにもなると話してくれた。

「これからの時代は、畑を血縁ではなく地縁で守っていけたらと思うんです。日本三大銘茶の一つと言われる狭山茶も、担い手不足により年々農家数が減っています。『ささら屋』のある入間市宮寺の狭山地区も、4農家しか残っていません。血縁だけで農家を続けていくには限界があります」

「そうなったとき、僕のように会社員をしながら農家をしている人がいてもいい。本業を持つみんなでチームを組んでやってもいい。空いている日に手伝いに来る人がいてもいい。そこで人と人がつながり、人とお茶がつながっていく。いろんな人の手によって茶畑が守られていく風景が見られたら、きっとこれからも狭山茶の歴史は紡いでいけるはずです」

お茶農家の“ふつう”にとらわれず、「好き」の羽をどんどん伸ばす石尾さん。

最後に、こんな夢を語ってくれた。

「僕、いつかラジオやりたいなと思ってて。配信前にリスナーさんにお茶を郵送して、番組が始まったら一緒にお茶を飲むんです。ほっとするひと時を一緒に過ごしましょうって。最後には演奏をさせてもらって。好きな音楽とお茶を掛け合わせた、もう一つの居場所がつくれたらきっと面白いだろうなと。今、密かに妄想しています(笑)」

『ささら屋』の歩みは、まったく縁のなかったお茶農家に就農してから、少しずつ少しずつ歩んできた石尾さんの歩みでもある。これからもいろんな人の手を借りながら、いろんな人に手を差し伸べながら、茶畑を囲んだ「人」と「お茶」の営みを続けていくのだろう。

のどかな風が吹き、鶯の鳴き声がこだまする。

「ここにも、あなたの居場所があるよ」とやさしく唄っているようだった。