2020年以降、様々な場面で盛んに使われた言葉のひとつに「自粛」があります。外出自粛、移動自粛、営業自粛、活動自粛など、自らすすんで行動や態度を慎む意味として使われてきました。

連載「これからの共助を考える」の第二回では、一般社団法人HASSYADAI social代表理事の三浦宗一郎さんと対談。人とのつながりという資本の可能性を信じて活動する三浦さんは「他者から受けとったギフト(助け、恩、ありがたいこと)に自覚的になることが、共助の小さな種を生む」といいます。

学校や地域、家庭や保育施設などの枠組みを越えた共助のしくみづくりと、子どもたちの将来の選択肢を広げること。それは、70seeds編集長・岡山が今年、移住先の富山県舟橋村で始めた、学童保育施設「fork toyama」の取り組みにも共通しています。双方から発された「助け合い自粛」と「助けてはプレゼント」という言葉がとりわけ印象深い対話となりました。

高橋 美咲
長野県出身。「紡ぎ、継ぐ。見えないものをみつめてみよう」という指針のもと、競争ではなく協奏できる生き方を模索してスロウに活動中。これまで手仕事やものづくりの現場取材を中心に重ねてきた。布やうつわなど、懐の深い生活道具(文化)の世界をこよなく愛す。

HASSYADAI social
「全ての若者が、自分の人生を自分で選択できる社会を実現する」というビジョンのもと、中高生に向けたキャリア教育に取り組む団体。2021年には、トヨタ自動車と共同で学歴や偏差値だけにとらわれない教育や採用 の”新たな指標”を探求する「project:ZENKAI」をスタート。

あたらしい学童保育 fork toyama
行政に依存せず、個人の責任にもしない「みんなで営む”みん営”の子育てのしくみ」を掲げ、日本一小さな村富山県舟橋村で2022年7月にプレオープンした保育料ゼロの民間学童保育施設。

 


生徒も困っているけど、先生も困っている。

岡山:昨年の三浦さんへのインタビューで、15〜18歳の子どもたちへの3ヶ月間の教育プログラム「project:ZENKAI」のお話を伺って、まさに共助の役割だと思いました。全ての若者に「自分の可能性に気がつくきっかけ」を届けるため、プログラムを無償で提供するなど、国でできないことをやっているなと。そういう共助的な役割が今の世の中に必要だと僕は考えているのですが、そもそも株式会社ハッシャダイと一般社団法人HASSYADAI socialのふたつに分かれて事業展開していますよね。それは、なぜだったのでしょうか。

三浦:僕はもともと株式会社ハッシャダイの社員として、中卒・高卒の若者へのキャリア支援を行うヤンキーインターンを担当していました。活動のなかで全国の高校へ行くのですが、まず目につくのが学生たちが自分の将来について悩んだり困っていること。

◆18歳の進路選択の課題(HASSYADAI social HPより引用)
活動を通して様々な若者と関わる中で、「高校卒業時の進路選択」について 後悔の念を持つ若者が多いことに我々は着目しました。彼らは、自分自身の事を深く知るきっかけや、 社会の事を知るきっかけがないまま、なんとなくや、とりあえずで進路決めてしまっていました。 その結果、就職した若者においては高い離職率、進学をした若者の中では、奨学金を借りながらも大学を中退し、 奨学金の返済だけが残り、生活に困窮する状態になっていたりするなどの実態がありました。 更にここで、様々な格差によるハンディを抱えた若者は再スタートを切るのことが 非常に難しい状態にありました。そのため、我々は人生において大きいターニングポイントとなる 高校卒業時=18歳の進路選択における格差という課題の解決をまずは目指しています。

当初は、なんで先生たちがフォローしないんだろう?と思っていたんですよ。生徒を励ましたり悩みを聞くのは先生の役目だから「先生、もっと頑張ってよ」と。でも話してみると、先生たちは日々すごく時間を使って子どもたちに向き合い、彼らのことを考えている。一方で、生徒たちに社会を知る機会や進路を考えるきっかけが必要とわかっていても、先生自身もやることが多すぎてそちらに割く時間や余白がない。

岡山:学校の仕組みの中でやれることに限界があるのか、先生が知っていることやネットワークに限界があるのか、どっちの感じが強かったですか?

三浦:構造的な課題もあれば、内的な課題もあるのかな。そもそも先生の可処分時間が少なすぎて、学校以外とのネットワークがつくれない。どれだけ熱量が高くても、先生同士が想いを共有する場もないのでしんどくなってしまう。まずは先生たちを勇気づけ、エンパワーメントしていきながら、先生と生徒のあいだで僕らにできることがあるように思えたんです。

そこから学校や少年院、児童養護施設などに社会的な活動を広めていくにあたり、株式会社のような営利を目的とした活動よりも、もう少し人の想いによって成り立つ活動だと感じたため、HASSYADAI socialは非営利団体という形態をとりました。

役割を担い、“外の人”として関わる共助のかたち

岡山:学校の先生だけではできないことを、民間の立場だからこそ何かできるんじゃないかと?

三浦:そうですね。先生たちができないというよりも、役割としてここは僕らみたいなやつらがいることが大事ではないかと。本当はやりたくても先生の負担が増え続けている状態なので。僕らが別の役割として、質の高い教育プログラムを基軸としながら、若者たちに関わる大人への啓蒙活動・教育支援をしたり、研究機関と連動して効果測定をしたりしています。

岡山:HASSYADAI socialのメンバーは学生と歳も近いし、先生とはまた違う立場で関わっていけそうですね。

三浦:僕らの活動が成り立つのは、先生がいてくれるからなんです。先生たちが日々、生徒と接してくれているからこそ、僕らが外の人として関われる。

岡山:なるほど、先生という立場の大人とはまた違う“外の大人”として、それぞれの役割で若者たちに関わっていくのですね。

三浦:そうですね。ただ、それぞれ役割を担っているとはいえ、共助ってめっちゃ難しいんですよ。なによりもまず、若者たちが「助けて」と言いづらい空気が蔓延していて、助けたいと思っても相手が困っているかどうかわからないと助けられないですよね。

そもそも大人たちには余裕がないし、助けるということに対して自制が働いたりハードルも高い。やっぱり僕はまず「助けてほしい」と意思表示することから共助が始まっていくと思っていて、若者たちがもう少し「助けて」と言いやすい社会になるといいなと思うし、それは大人たちにも感じます。先生たちが「助けて」と言える場所が、果たしてこの社会にはあったっけ?ということをすごく感じたから。

「助けて」はプレゼント。頼られるって意外と嬉しい

岡山:先生も一人の人間ですからね。今の話を聞いていて、会社員でもある話だと思ったのが、みんな自分の役割を既定されてしまっていて、自分の持ち場以外の問題が見えていたとしても、役割以外には手が出せないとか、やる余裕がないとか。それで助け合うこと自体、なんとなく助け合い自粛みたいなことが、世の中でものすごく起きている気がします。

三浦:世の中だけじゃなくて自分の中でも起きていますよね。なんなんですかね、この感覚は。関わりすぎると後々厄介になるんじゃないかとか、お節介かも……みたいに内面でも葛藤があるし、社会の中にもある。

僕は学校へ講演に行くと生徒たちに必ず、「助けてと言われたら意外と嬉しいもの。助けてという言葉はプレゼントだから、自分から発することがすごく大事だ」と伝えています。前提として「助け合うんだぜ」「お節介しようぜ」というマインドのコミュニティだったら、助け合えるじゃないですか。僕は、そういう空間をつくりたいと思っています。

岡山:project:ZENKAIはまさにそうですよね。自分にとって直接的な得はそこまでないけど、「力貸すよ」と言う大人たちがバンバン集まってきて、そういう人たちに囲まれていると誰かを助けることに躊躇しなくていい環境が生まれる気がします。

三浦:若者たちは、どこにいけば自分が救われるのか、助けを求めていいのかがわからない。力になりたい人たちの想いがもう少し顕在化されて彼らとつながっていくと、もっと頼る、助けてと言うハードルも下がるのかもしれない。

岡山:若者たちが「助けて」と言えるようになるには、どういう力とか素養が必要なんでしょうね。環境を変えるのは時間がかかるじゃないですか。何があったら今いる環境の垣根を越えていけるんでしょう。

三浦:いや~、なんなんですかね。意外と「実は先生、こんなことに悩んでいてさ」といった大人側の自己開示が進めば、お互いに助け合える余地が生まれるんじゃないかなと。でも、めっちゃ綺麗事言っているような気もするな。

岡山:確かに。子どもの頃は大人ってもっと万能だと思ってましたよね。弱音とか吐かないし、怖いものもないと思っていた。大人になってみると全然そんなことなくて、意外と弱いことに気づきましたよね。

三浦:あとは、どうしたら人の助けになれるだろうと自問自答すること。そもそも誰かの力になろうと思えるのって、余裕がある時じゃないですか。それは時間的な余裕もそうだけど、僕は精神的な余白を持つことが一つの方法だと思っていて、自分がいつも他者から助けられていると思い出すことが大事。

たとえば、僕は銭湯が好きでよく行くんですけど、サウナでその日あったことを振り返りながら、”ありがとう”のラベリングをしていくんです。そうすると見え方全部が変わって、一見通り過ぎていくような出来事が実はもっとありがたいことなんじゃないかと思えてくるんです。

岡山:共助の話をしていくときに、どうしてもシステムとかコミュニティの話に進んでしまうんですけど、そもそも自分の内的な部分で、自分には人を助ける力があるとか、助けてもらう価値があるという認識を持つ。それって実はめちゃめちゃ大事なんじゃないかと今、気づかされましたね。

三浦:問いによって、気づいていく。本当はあるけど埋もれてしまっている”共助の種”を育む、育てる。そういう問いかけがもっと増えるといいなぁと、個人的には思います。

役に立ちたいという想いを可視化する

三浦:HASSYADAI socialもproject:ZENKAIも、なかったところに種をまき、縁を生んでいくような役割だと思っていて、知識をプレゼントするというよりも、本来は別々に分かれていたところを、僕らが廻ることによってつなげていく営みのような。社会関係資本を能動的に生み出し、いつか役に立つかもしれないと信じながら日々、活動しています。

岡山:ZENKAIに参加している人はまさにそうですよね。今だけで終わらないというか、意外とメンターをした人が自分の進路に関わってくるかもしれないし。

三浦:確かにそうで、メンターや大学生との出会いもそうですし、参加者同士のつながりもすごく大事。共助って「共助しよう」と思ってできるわけじゃないから、今ある関係性のなかですでに共助しあっているということにいかに気づけるか。

岡山:気づけばハードル下がりますからね。実はやってたじゃんみたいな。HASSYADAI socialで今後、みんなの力で足りないことを補おうと考えている、共助的な計画はありますか?

三浦:そうですね。”人生のお守り”となるような、人生に一度の体験をプレゼントしたいという思いから現在、600人の18歳が全国から無料で参加できる、新しい成人式のプロジェクト(2023年3月8日に実施)を企画しています。交通費も補助します。資金はクラウドファンディングで募っています。それによってひとつの支援が見える形にもなりますし、助けたい、力になりたい人の顕在化として、共助を生み出していく良いスイッチになればと。

あとは教育活動として、学生自身が援助希求的行動をどれだけ起こせたかという指標を今後、取り入れていきたいですね。そういう数値を可視化できたら面白そうだということで、豊田市の中小企業の方たちが地元の学校に企業説明に行き、学生たちにどの企業に行きたいと思ったかを聞くのではなく、企業の話を聞いて「こんなにも自分を助けてくれる大人がいるんだ」と知ってほしい。その上で「大人に助けてを求めて良いんだと思えるようになった」という感想が出るような授業のつくり方ができたら、温かくて良い循環が生まれるんじゃないかと考えています。

岡山:「情けは人の為ならず」という諺がありますが、助けてほしいと頼ってもらえること自体が相手の為になると思うし、助ける・頼ることのハードルが下がれば下がるほど、みんなが幸せになる気がします。ありがとうございました。


三浦さんの原動力に触れる、様々な気づきが散りばめられた第二回目の対談となりました。三浦さん、ありがとうございました!

三浦さんが理事をされているHASSYADAI socialがおこなっているクラウドファンディング「18歳を祝い応援する、新しい時代の成人式をつくりたい。」はこちらからご覧ください。