伊藤 大成
1990年、神奈川生まれ。島とメディアをこよなく愛する25歳.

(写真:東京モーターショーにて展示された「Super cub Concept」)

 

ホンダが作り出したバイク「カブ」 日本国民にお馴染みのバイクのルーツが、軍用の無線機エンジンから誕生した 事をお伝えした前編記事。 後編の記事では、戦後最も人々に親しまれた名車として知られるバイク「スーパーカブ」について、引き続き本田技研工業株式会社の高山さんにお話を伺います。

(写真提供:本田技研工業株式会社)

 

 

 

「一般庶民が買わなければ意味がない」スーパーカブの誕生

 ホンダ社報より
(写真:スーパーカブの試作風景 )

 

「カブ号F型」が成功した後、本田さんはヨーロッパへ海外のバイクを研究するための視察に行く事になります。当時のヨーロッパは「ベスパ」のようなスクーターやモペッドがたくさん走っていました。そこで、視察を行っていく中で、本田さんは新しいバイクの構想を練りはじめます。

 

‐視察を経て、本田さんはどのような着想を得たのでしょうか。

本田さんはヨーロッパでバイクが走る風景を見て、「我々の作るバイクはヨーロッパの真似をしても意味がない」ことに気付きました。

当時のヨーロッパの舗装に比べ、戦後の復興がまだまだ終わっていない日本の道路は、良い状態とは言えなかったのです。

そこで本田さんは、条件の悪い路面にも対応できる「高性能でありながら一般庶民でも買えるバイク」の開発に着手します。

‐そのバイクがスーパーカブとなるのですね。

はい。ただし、スーパーカブは「カブ」の名前が付いているものの、設計自体 は1から見直されました。

例えば、エンジンは当時の主流であった2サイクルではなく4サイクルを採用しています。

当時の2サイクルエンジンはエンジン自体の性能が低く、オイルを燃やして潤滑する仕組みのため、白煙を吹くといった症状が当たり前のように起こっていたからです。

本田さんはそんな耐久性の低い2サイクルを嫌っていて、新しく作るバイクには採用したくないという思いがあったようです。

‐それまで4サイクルが導入されていなかったのはなぜですか。

2サイクルに比べ燃費が良く耐久性に優れていますが、部品点数が多くなってしまい、開発コストが非常に高くなってしまうことです。

しかし、「スーパーカブ」の開発コンセプトとして、「そば屋の出前の方が片手で運転できる」、つまりは高性能でありながら誰でも簡単に運転ができるバイク、と いう目標がありました。

この点に関しては本田さんをはじめとしたホンダの幹部た ちとしても譲れない部分で、「4サイクルは量産すればコストが下がる」という専務の藤沢武夫の判断も大きかったと思います。

‐熱い話ですね!エンジン以外の部分の開発では、その基本思想はどのように受け継がれたのですか?

例えば、「スーパーカブ」の代名詞である「レッグシールド」があります。

今で こそ珍しくはありませんが、終戦直後の日本では非常に画期的なものでした。

当時の樹脂加工の技術では小さいものしか作れなかったので、ホンダでは、ス ーパーカブのために大型樹脂を作る技術の開発を行いました。

‐なぜ樹脂製の「レッグシールド」にこだわったのですか?

「スーパーカブ」は女性にも乗ってもらえるようなバイクにしたかったのです。

A型エンジンやカブ号F型の販売経験から、女性にとってむき出しのエンジン は「怖い存在」であり、隠さないと生理的に受け付けないことがわかっていました。

女性や普段バイクに乗らないような人の抵抗をなくすため、むき出しのエンジンや機械からの排熱を控えるためのレッグシールドはなくてはならない存在だったのです。

‐なるほど。今、スクーターに乗る女性をよく見かけるのも、このレッグシールドと「樹脂技術」のおかげだったのですね。

この樹脂の開発技術によって恩恵を受けたのは「スーパーカブ」だけではないんですよ。

‐それはどういうことですか?

実は「スーパーカブ」の樹脂を開発したのは「積水化学工業」さんで、この時の樹脂開発をきっかけに世に知られていくことになりました。

積水化学工業は、同時期にスバルの名車として知られている「スバル360」の樹脂パーツ開発 も行っていて、同社は樹脂技術を急激に発達させ、日用品にも浸透させていき ます。

今でこそ当たり前になった樹脂の技術は、積水化学工業なくしてありえなかったものですし、「スーパーカブ」の開発も、樹脂技術の発展に貢献できたと思っています。

‐単に乗り物だけでなく、戦後のものづくりというものに対して、イノベーションを起こしたのが「スーパーカブ」なのですね。

先にも述べた通り、本田さんは根っからのアイデアマンでした。

そして、戦後日本の交通社会を変えていきたいという想いの下に誕生した「スーパーカブ」の開発においても、妥協を許さない強い意志がありました。

産み出したアイデアは 当時からすれば一般の規格外のものでしたが、その時のこだわりがあったからこそ、現代でも残り続けるスーパーカブや、樹脂製造技術の発展ができたと思っています。

そういった意味でも、本田さんが作り出したアイデアは、ホンダだけでなく、日本社会にとっても非常に重要な功績となったのではないでしょうか。

 

 

「カブは縁の下の力持ち」 ホンダがカブを作り続ける理由

 


Honda Super Cub

(写真:Honda Super Cub / cotaro70s)

 

 

‐スーパーカブの販売開始は 1958 年。55年以上が過ぎても当時とほとんど同じ形で売られ、人々に愛されている商品はそうあるものではないと思います。

もちろん「スーパーカブ」に関しては販売後も細かい改良は続けていますが、発売当時からあまり変わらない姿で製造・販売を続けさせて頂いております。

‐なぜ、ホンダは「スーパーカブ」の販売と製造を続けていくのでしょうか?

「スーパーカブシリーズ」は世界全体で年間400万台が製造され、累計で9200万台の「スーパーカブ」が存在しているというデータもあり、今でも世界中のお客様にご愛用頂いている、という事実はやはり大きな要因です。

また、我々ホンダという企業としても、本田宗一郎さんが作り出した技術の結晶として「スーパーカブ」が非常に偉大な存在だと認識しています。

お客様の視点からみれば一般の方から郵便や新聞配達など幅広い用途にご利用頂いていますし、我々ホンダという会社も、「スーパーカブ」の成功があり、他の二輪や四輪の開発ができるようになりました。

‐なるほど、「スーパーカブ」は戦後の日本を支えてきた縁の下の力持ちのような存在なのですね。この60年近く、販売をやめようと思ったことはあったのでしょうか。

オイルショックやリーマンショックなど、世界を揺るがす大きな出来事が起こっても、販売を止めようとしたことはありません。

スーパーカブは、生活を支え、そして豊かにするという宿命が有りますから。

スーパーカブは、時代とともに、熟成を重ねて進化してきました。

「HONDA」という会社のイメージをお聞きすると、スーパーカブと答えられる方が多くいらっしゃいます。

57年間も愛され続けている乗り物は、あまり例が有りません。

これからも、多くの人たちに愛用されるように、良いところは継承し、技術は進化させていきたいと思います。


EV-Cubコンセプト_斜め_2015_TMS
(写真:東京モーターショーにて展示されたEV-Cub Concept )