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「妻の買い物を助けたい」ーホンダ「カブ」イノベーションの原点

▲ホンダ社報より ©本田技研工業株式会社

ホンダが作り出したバイク「カブ」。郵便屋さんやお巡りさんがカブに乗って街中を走る姿は、日本ではお馴染みの光景として、よく知られているものです。

終戦直後に生まれた「カブ」や生みの親である本田宗一郎さんがなぜ「カブ」 を作る事になったのか。本田技研工業株式会社で長年カブに関わる仕事を続け ている高山さんに、「カブ」の誕生秘話、そして戦後のストーリーを伺いました。

 


 

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高山正之 たかやま さまゆき
1955年生まれ 10才の時に、友達の庭でスーパーカブに初めて触れる。
以来、バイクの魅力にはまり、本田技研工業に入社。
モータースポーツ部門などを経て、1994年に広報部に配属。
以降、スーパーカブを初めとする二輪のPR業務に従事している。
バイク通勤歴38年。


 

-カブといえば、日本において「お馴染みのバイク」ですが、いつ頃から販売されているのでしょうか。

 

「カブ」の最初のモデル「F型」が販売されたのは、1952年。現在も販売され続けている「スーパーカブ」の発売開始は 1958 年になります。おかげさまで、発売から60年近く経った今でも、非常に多くのお客様に「カブ」をご愛用頂いています。

 

-誕生から 60 年近く経った今でも、当時とあまり変わらない姿で販売されてい る商品というのは、中々見かけませんね。

 

長い歴史を持つスーパーカブの誕生には、終戦直後に作られた「A型エンジン」 そしてカブの最初のモデルである「カブF型」という物が深く関わっています。これらを生み出したのは、ホンダの創業者でもある本田宗一郎さんです。

 

-本田宗一郎さんといえば戦後の日本はもちろん、戦前から製造の分野において 活躍されていた方ですね。

 

本田さんが好奇心旺盛な根っからの「技術屋」だったのは、ご存知の方も多いと思います。本田さんは戦前、東京のアート商会という自動車修理工場で、自動車の修理に関わることになるのですが、アート商会浜松支店には、遠方の地から自分の車を治してほしいとさんの元を訪れるほど評判ぶりでした。

 

その後、本田さんは実績を重ね東海精機重工業というピストンリングを作る会社を 設立する事に成功します。ピストンリング会社の経営は順調だったのですが、 設立からしばらくすると日本は戦争の世の中へと突入していきます。

 

-戦時中も本田さんは製造の分野に関わっていたのでしょうか?

 

ホンダの創立50周年誌には本田さんの戦時中についてこのように書かれています。

「本田さんは戦時中も製造に関わっていたのですが、自身の会社からも男性の工員が徴兵によっていなくなってしまい、代わりに女性が働くようになります。そこで、本田さんは不慣れな女性たちが簡単に製造できる機械を考案し、工場を回していました。

しかし、日本が敗戦に近づくにつれ、本田さんの置かれた状況も悪くなっていきま した。工場のあった浜松は、太平洋戦争の末期に非常に激しい空襲に遭い、東海精機重工業の工場も破壊されてしまいます。」

戦時中に様々な経験をした本田さんですが、終戦後は自身の持っていた会社を手放し、しばらく仕事から離れ休養期間を置くことになりました。

 

-休養期間というと?

 

本田さん自身が戦争によって多くのものを失い、「もぬけの殻」になってしまった のです。そこで、仕事をやめて自身をリセットする期間が必要だと考えました。 自身の会社を売却した後1年間は仕事をせず、自由に暮らしていたようです。

 

しかし、休養期間の間に、本田さんは終戦後放置されていた陸軍の無線機を動かすためのエンジンを何かに使えないかと考えます。ある時、奥さんが大変な思いをして、自転車で遠くまで買出しに行く姿を見て、自転車の補助動力として使うことを考え出します。

 

-なるほど、終戦直後という時代ならではの発明ですね。

 46_BicycleEngine▲無線機の動かすためのエンジンを加工して作られた補助エンジン  ©本田技研工業株式会社

 

最初は本田さんの奥さんがテストライダーとして、このエンジン付き自転車に乗っていたそうなのですが、それを見た人が次々と本田さんのもとを訪れ、ぜひ改造 エンジンを売ってほしいと頼み込んだそうです。

 

この改造エンジンは非常に好評となりまして、本田さんは浜松の地に本田技術研究所を設立し、事業としてエンジンの加工に取り組むことになります。しかし、 非常によく売れてしまったため、改造元だった軍用の発電エンジンが底を尽きてしまいました。そこで、本田さんは自ら自転車用エンジンの設計に取り組む事に なります。こうして本田さんが一から設計し、誕生したのが「A型エンジン」になります。

 

-本田さんがついに、ものづくり分野へ復活したわけですね。

 

A型エンジンは従来の自転車に簡単に取り付けられることから、ヒット商品とな りました。そして、本田さんはA型エンジンの売り上げを元にして、本田技術工業 株式会社を設立、「A型エンジン」の後継モデルの開発を行います。そのモデルの名前が「カブ号F型」というものです。

 

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▲1952年に製造されたカブF型号 ©本田技研工業株式会社

 

-なるほど。「カブ」の誕生はホンダ自体の誕生と共にあったのですね。

 

 

「カブ型F号」は60年近く続く「スーパーカブ」の歴史の始まりともいえる存在ですし、 ホンダという会社にとって非常に大切な存在です。

 

-そんな「カブ号F型」が開発されたきっかけはなんだったのでしょうか?

 

販売されたのは1952年になりますが、この頃の庶民の人たちが最も多用してい た乗り物は自転車でした。終戦直後でもオートバイを作るメーカーは200社近 くあったと言われていますが、その当時のバイクは非常に高価なもので庶民の足と使われるような代物ではなかったのです。
そこで、幅広い人に親しまれる為の大衆向け商品として、「A型エンジン」の後継 である自転車用の補助エンジン「カブ号F型」が開発されたのです。

 

-「カブ号F型」はA型エンジンと比べてどのような点が改善されたのでしょうか?

 

「カブ号F型」は「A型」から様々な場所が大幅に見直されました。エンジンは 後輪の横に取り付ける構造としました。これはA型のエンジンで採用していた取り付け位置ですと、自転車を運転している人が排気やオイルによって汚れてしまうことがあったからです。

 

また、デザインも大幅に見直されました。後輪の横につけられた白い燃料タンクと赤いエンジンというのは、当時の工業製品としては画期的なデザインでした。このような面が非常に高く評価され、「カブ号F型」は爆発的な売れゆきを記録、庶民の足としての普及に成功したのです。

 

-そんなカブ、本田さんはどのような思いで開発されたのでしょうか?

 

本田さんはカブを開発する時にこんな言葉を残しています。「今の世の中は世界をあげてスピードアップされている。世界の一員である日本も例外ではないはずだが、最も普及している自転車を人力で動かしている我が国の現状では、スピードアップをしたいと言っても難しい。そこで、せめて スピード時代の仲間入りをさせて頂くために、我が国で最も普及されている自 転車を補助するエンジンを考えたのです。」

 

-後編に続く

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d.ito

島系男子

 1990年、神奈川生まれ。島とメディアをこよなく愛する25歳。