「ミルキーはママの味」でお馴染みのミルキー。そして、パッケージに描かれている不二家のキャラクター「ペコちゃん」。



誰もが知っている「ミルキー」や「ペコちゃん」の誕生は今からおよそ65年前。株式会社不二家広報の上田さんに、戦後間もない時期に誕生した「国民的アイドル」の裏話を伺いました。(写真提供:FUJIYA CO., LTD. 新関コレクション)

伊藤 大成
1990年、神奈川生まれ。島とメディアをこよなく愛する25歳.

「ハイカラ」な地から始まった不二家

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(写真:明治時代の不二家 横浜元町店)

 

‐まず不二家の成り立ちについて教えて下さい。

不二家の創業は、1910年(明治43年)になります。創業者である藤井林右衛門(ふじいりんえもん)が横浜の元町に小さな洋菓子のお店を開いたのがきっかけです。

‐なぜお店を開いたのが横浜だったのでしょうか?

明治以降、横浜は「ハイカラ」な地として知られていました。当時から街には外国人が多くいました。

そして外国の雰囲気に憧れている日本人も沢山いたようです。しかし、藤井が不二家を開業してから、しばらくは売れ行きが良くなかったいう話も残っています。

「ハイカラ」や洋菓子といった文化がまだ一般的なものではなかったのでしょう。

‐ある意味時代を先取りしていたとも言えますね。

大正になると、日本でもモダン文化が根付いてきまして、不二家も横浜伊勢佐木町や銀座に出店したり、昭和に入ると新宿や大阪心斎橋などにも次々と開店していきまして、戦前には10近くの店舗を展開していました。

そうすると不二家のブランド自体も徐々に人気が出てきまして、多くのお客様に親しまれるようになりました。

‐戦前はどのような商品がヒットしていましたか?

大正から昭和にかけては、シュークリームやデコレーションケーキが非常に売れていたようです。

また、戦前に成功した商品としてフランスキャラメルという商品がありました。

こちらは、パッケージに可愛らしい女の子の絵が描かれて、パッケージデザインでの工夫が、ミルキーのヒットの参考になったとも言われています。

 

(1)1959_フランスキャラメル

(写真:大正から昭和にかけて大ヒットしたフランスキャラメル)

   

空襲から焼け残った1台のボイラーから誕生した「ママの味」

(2)1951発売当時のミルキー

 (写真:1951年発売当時のミルキー)

 

‐「ミルキーはママの味」でおなじみの不二家の主力商品「ミルキー」誕生は終戦直後だったと聞きます。

ミルキーの誕生は1951年になります。製品の試作には2年ほどかかったのです。

‐不二家も戦争の影響を受けていたのでしょうか。

戦争によって不二家も様々な物を失いました。戦時中に出征などで従業員が減ってしまい、材料も不足してお菓子を自由に作れない状態が続きました。

さらに、空襲によって都市部にあった店舗やお菓子を作る工場はほとんど焼けてしまったのです。

そんな中、静岡県の沼津工場にあったボイラーが一基焼け残りました。

こちらのボイラーにて、水飴の製造を始めたのが、戦後のお菓子製造の大きな足がかりになりました。

‐その水飴が「ミルキー」につながるのでしょうか。

はい、お砂糖の流通制限が解ける昭和25、6年頃、ついにミルキーが誕生することになります。

「暗い世相と子どもたちを、『ママの味』で明るくしたい」「母親が安心して幼児に与えられるお菓子を作りたい」という創業者藤井の思いが強く反映されました。

‐ミルキーは発売当時からの人気商品だったのでしょうか?

発売後、不二家の店頭のみで販売していたところ、非常に人気が出たことから、不二家の店頭だけでなく卸販売を行うことになりました。その結果、異例の大ヒットを記録したんです。

それをきっかけに不二家自体も「地域のお菓子屋さん」から、全国の多くの人々へ広まっていきました。

‐まさにミルキーが不二家の代名詞になったわけですね。ヒットの要因はどのようなところにあったのでしょうか。

ミルキー自体の開発には、2年近くの時間を要し、「ミルキーはママの味」というキャッチコピーを裏切らない為に、練乳のミルク感の再現にも非常にこだわっていましたが、パッケージにも非常にこだわって作られました。

パッケージにペコちゃん、ポコちゃんを描いた商品パッケージは、人々にとっても斬新だったのだと思います。

‐終戦後の海外からの影響がうかがえますね。

戦争が終わり、日本の人々も西洋に対する憧れを持つようになったと言われています。その憧れが現れたのがミルキーのパッケージだったと思います。

間違いなく、戦時中には実現不可能なデザインだったことでしょうね。

   

国民的アイドル「ペコちゃん」の誕生

   

(9)昭和20年代後半から30年始めの張子のペコちゃん人形(右。左はポコちゃん)

(写真:昭和20年代後半から30年始めの張子のペコちゃん人形【右。左はポコちゃん】)

 

‐ペコちゃんが誕生したのも終戦直後だということですが。

永遠の6歳と言われているペコちゃんの誕生は1950年。 不二家の店頭に並ぶペコちゃん人形が誕生し、翌年ミルキーが発売となりました。

‐ペコちゃん人形は不二家店舗の象徴として多くの人々に親しまれていますね。誕生のきっかけはなんだったのでしょうか?

ペコちゃん人形は、お客様に楽しんでいただくための仕組みとして誕生したんです。

お芝居に出ていた、動物のかぶりものをヒントに考案されました。単なる人形ではなく「首を振る」という遊び心のある仕組みになりました。

不二家のブランドを語る上で、文字ではないアイコン的な存在として、ペコちゃんは非常に重要な存在だったのです。

‐ペコちゃん人形は昔から今のような形だったのでしょうか?

誕生した直後は、今のようなプラスチック製ではなく、紙を貼り付けてできていました。そのため、今のように頑丈ではなく、修理も頻繁に行っていたようです。

しかし、ペコちゃん人形にちゃんとした服を着せるという文化は最初からあって、人形が設置された当初から季節ごとに様々な洋服を着せ替えていたようです。

‐なぜ、洋服を着せ替える工夫がなされたのでしょうか?

ペコちゃんを可愛く見せたいという意識があるのはもちろん、季節ごとに服を変える事によって、店内にある商品のラインナップが変わった事を知らせることもできるのです。

せっかく季節ごとに商品ラインナップが変わっても、お店に入るまでお客様には気づいてもらえませんからね。

‐何気なく目に入っていたペコちゃんですが、そんな工夫がなされていたのですね。

嬉しいことに今ではペコちゃん人形のファッションを楽しみにしているお客様が非常に増えています。

我々としても、単なる企業のキャラクター以上にペコちゃんを愛していただいてると認識しています。

‐最近はペコちゃんも様々なファッションに挑戦するようになりましたね。

 

(11)2015年10月1日〜ハロウィンのこうもりスカルペコちゃんDSC_4426

 (写真:ハロウィンのこうもりスカルペコちゃん)

 
 

実はここ10年くらいで新しいペコちゃんを見せようという流れが社内で出てきてまして、人形に限らずパッケージに載せるイラストなどにも様々な表情をしたペコちゃんが登場するようになりました。

そういった遊びができるのも、基本のデザインが押えられているからであり、誕生から60年近くたった今でもお客様に愛して頂いているからこそだと思っています。

‐まさに「国民的アイドル」ですね。ペコちゃんやミルキーについて、これから新しく取り組んでいきたいことはありますか?

昔からのキャラクターや商品なので、これまで愛してくださったお客様にとって、変わらぬ良さを持ち続けたいと思っています。

同時に、キャラクターが物資があふれている時代に育った若い世代のお客様に、どうやってペコちゃんやミルキーの魅力をお伝えすべきか、試行錯誤を続けています。

もともとの特長を残しながら、こんなデザインや味もあったんだ!とお客様をいい意味でびっくりさせることができるもの、楽しんでいただけるものを目指しています。