2017年2月、神奈川県の葉山で一組の男性カップルが結婚式を挙げ、話題になりました。


「自分たちの結婚式は次へのバトン」と語るのは、挙式を挙げた張本人の佐藤潤さんと内田直紀さん。



日本社会で急速に進められているダイバシティの動きを「面倒くさい」と率直に斬る彼らに、結婚式以後の「暮らし」についてインタビュー。世の中にあふれる「普通」とは何か、という問いに迫ります。



(アイキャッチ写真:左が内田直紀さん、右が佐藤潤さん)

岡山 史興
70Seeds編集長。「できごとのじぶんごと化」をミッションに、世の中のさまざまな「編集」に取り組んでいます。

「結婚式に招待することで人間関係が変わるかも」

‐2月の結婚式から約半年が経ちましたね。結婚式以前と変わったことはありますか?

内田:意外とないですね。

佐藤:だんだんオープンになったかも。おおざっぱになったというか。ストレートなコミュニケーションも増えて、月に1回はケンカしていたり(笑)。

内田:僕は「出てけ」って言われて、車で寝ることもあるんですよ。かわいそうでしょ(笑)。

‐逆に結婚式前はあんまりなかったんですね。

佐藤:そうですね。関係がより生々しくなったのかな。お金の話とかオープンにしたり、お互いに痛み分けをするべきだし。

‐それはいいことかもしれませんね。結婚式をしてよかったことはありますか?

内田:(2人の関係のことを)周りに言えるようになりました。

佐藤:そうそう、直紀(内田さん)の親御さんに伝えたのは1週間前だったんです。大事なことだから伝えたいけど気持ちの踏ん切りをつけられない…みたいな葛藤があったんですよね。

で、親に会いに行ったら来たのは母親だけだった上に、「今後どうするの」とか暗い話ばかり詰められてたんです。

‐それは苦しいですね。

内田:一方でFacebookのステータスを変更したりしたタイミングで、身近な友達とかそれまで黙っていた人たちに知られるということもありました。

佐藤:そのとき知った友達が結婚式にも参加してくれたりしたんですけどね。しかも「なんで黙ってたんだ」って自然に受け入れてくれた。


‐受け入れてもらえたことは意外だったんですか?

内田:意外、というよりは「嫌われちゃうかも」が大きかったので。

佐藤:僕は昔から特に隠すコミュニケーションはしてなかったので、周りもなんとなく勘づいていたんじゃないかなと思います。好きなタイプの話をしているときにオジサン系の名前を出してたりだとか(笑)。

‐そう聞くと、2人のタイプって結構違いますよね。結婚式をやるにあたってぶつかったりはしませんでしたか?

佐藤:僕はずっとイライラしてましたね。これがマリッジブルーか、と。いろいろと決めることがすごく怖かったんです、呼んだ人に断られたらどうしようとか。

‐断られたらどうしよう、とは?

佐藤:呼ばれて出た友達の式でドタキャンする人がいて、それは僕にとっては結構な出来事だったんです。

そんなことがあったら人間関係も変わってしまう、そうなったらどうしようと。だから、一生付き合いたい人には手紙を送ったんです。大事な人たちに。

‐内田さんはパートナーが不安定になっているのをどう見ていましたか?

内田:どうしようもできないなと…。8時間打ち合わせしたとき、ひたすら決めていくことに怯えていました。

お金のことなんか考えると麻痺してくるんですよ、いくら積み重なったんだろう…とか現実的に考えていくと。景色が全部灰色になっちゃう感じでしたね。

‐あぁ…私(岡山)も経験あります。

佐藤:僕たちの式って特別なことのように思われるけど、感情の動きは一緒だと思うんですよね。「普通」の結婚式と。

 

 

松田聖子の言葉を借りると「ビビビっときた」

‐結婚式は結構な数のメディアに取り上げられていましたね。周りではどんな反応がありましたか?

佐藤:ある程度意識の高い人たちが見てくれたのかなとは思いました。東京レインボープライドでブースを出したときに知らない人から「おめでとうございます」とか、新宿の界隈の人から「見たわよアンタ、なんで呼んでくれなかったの」とか言われたり(笑)。

あとは行政の方が「よくやってくれた」とか、マイノリティ関係の活動家の方が「やっと(こういう存在が)出てきた」とか。一般人から声を出すことはなかなか難しいですから。

‐「自分もやってみよう」のような反応は?

佐藤:エゴサーチかけたら「いいな、葉山でやってる。自分も!」とか「応援します」とか反応があって嬉しかったです。

自分が満たされる嬉しさではなく、僕らの行動がきっかけでその先に続くであろう未来があることが。当日、バトンを次の人に渡したいと言ったんだけど、そんな気持ちです。

‐注目されることで別れる心配はありませんか?

佐藤:実は、同じように同性結婚式を挙げた知り合いが半年後に破綻してしまったんです。だから可能性がないとは思っていない。

僕らは、結婚式をしたから縛られるというよりは人前式でみんなに約束したからちゃんとやろう、という意識です。ケンカして「出てけ」と言っても、朝には仲直りできるし。

内田:車で寝るのはつらいけど(笑)。

‐同性カップルにまつわるテーマの一つに「子ども」があると思います。

佐藤:僕らは、子どもを持てないなら何ができるかな、と考えたときに、残せるものとしてこれから生まれた人たちへのロードマップ的なものがあるんじゃないかなと思ったんです。

内田:子どもはいらない、というか別に持たないということもいいんじゃないかなと。子どもがかわいそうかなとか、そういう話はするよね。

佐藤:今年の4月に大阪で男性カップルが養子縁組した話があったと思うけど、見えない部分でいじめにあったりとか、そんなこともありうると考えると複雑ですよね…。

‐そうすると、佐藤さんと内田さんの場合は「2人で生きていく」という覚悟が「結婚」になったようなものだと捉えていいんでしょうか。

佐藤:その覚悟はあります。行政にはできないので民間でやろう、と思ったし、何にも縛られないで覚悟を形にしたいと。内縁関係の人がいるのに近いと思いますけどね。

内田:僕は(佐藤)潤さんが強いと思っているから、何があっても大丈夫かなとは思っています。

佐藤:僕は何事も流動的な人間で、あんまりひとつのものに執着しないんですが、彼(内田さん)と出会ったときにすごくしっくりきたんです。松田聖子の言葉を借りると「ビビビッときた」。

‐なんだかお2人ののろけ話みたいになってきました(笑)。それはどこに。

佐藤:これまで付き合ってきたのが年上ばかりだったので、期待して裏切られることが多かったんです。

でも何も期待せずにすむ、ぬいぐるみの延長線上のような関係が彼とはあって。目まぐるしい日々にほわっとできる存在があるようなイメージです。

 

 

「普通」への意識はマウンティング

‐お話を聞いていると、男女のカップルと変わらないですよね。当たり前なのかもしれませんが。

佐藤:昔、そういう「普通」に憧れていたんです。でもそれっておこがましいんじゃないか。自分が特別と言ってるようなもので恥ずかしいな、って思うようになったんです。

「普通」を意識するとき、他己評価を意識してしまっているわけです。マウンティングとか「私陰キャ」みたいなキャラ付けとかと同じ。

よく考えたらいわゆる「普通」に生きてる人って周りにいないと思っていて。実はそういう概念がなくなっちゃってるんじゃないかなあって。

内田:僕にとっては2人でいるのが「普通」。やっていることは映画を見に行ったり、買い物をしたり。他の人と変わらないですから。

佐藤:そうだね、そう考えると案外「普通」を行ってるのかも。おでかけ雑誌に書かれるような「おすすめの●●」に普通に行ってみる、とか。

‐なるほど。そんな2人の目には、ここのところ急速にを推し進められている「ダイバシティ」はどう映っていますか。実はそんな「普通」への意識と近いような気もしているのですが。

佐藤:はっきり言って面倒くさいです。当事者である僕らは、はれもののように扱われるから。そもそも、欧米から持ってきた横文字をそのまま使うことが島国日本に適しているのか、という。

この辺(埼玉県川口市)の地元のおじさんたちには「なにそれ」ですよ。染み入ってないし染み入る必要もない。そういうことで壊れる伝統や格式もあるんじゃないかなと思っています。

内田:どうなんだろうね。僕の周りも全然浸透していないし、僕自身もわかっていないと思うし。

佐藤:いろんな人たちの言葉を聞いてきて、LGBT関連の活動家ってノイジーマイノリティな側面を持っているのかもなと思うことは度々あります。

過度な解釈をすることで、周りが本当に求めている着地点とかけ離れてしまうこともある、というか。今回の結婚式を通じて、そういう対話の場に僕は乗ったつもりでいます。

‐自然体の姿を見せていくことが、活動と生活のギャップを埋めるような印象を持ちました。

佐藤:そうですね。逆に仕事上で取材する側になることも最近はあって。結婚とは何ですか、という質問をいろんな人に聞いてみたいんです。

ふり返ってみてもあんまり聞いてこなかったし、テレビでも「(結婚とは)嫁の尻に敷かれること」とかマイナスな言葉が多い。もっと前向きな言葉でとらえられたらと思っているんです。

だからこそ、幸せをちゃんと幸せだと言い切れるような社会になる貢献や行動を、これからしていきたいなと考えています。


 

【編集後記】

今回お話を聞いた2人が外へ向けて発信しているのは、自分たちの日常生活をコメント中にもあった「過度な解釈」への疑問を投げかけるためとのことでした。あるテーマについて社会が大きな変化の中にあるとき、様々な立場からの議論が起こるものですが、決して目立つ一面だけではないということを心に刻んでおくことは重要だと、改めて気づかされた取材となりました。