東日本大震災の後、海の向こうから東北へ「想い」をよせていた人物が、「町の人を笑顔にする」ために実現したイベントがあります。


今回お話をうかがったのは、東北風土マラソン&フェスティバルの発起人会代表で実行委員会副委員長を務める竹川 隆司さん。


マラソンだけでなく、「グルメ」をキーワードにして盛り上がる各種イベントを通してつくりたい「人々の笑顔」への想いを語っていただきました。

伊藤 大成
1990年、神奈川生まれ。島とメディアをこよなく愛する25歳.

集まった数千万円の募金、そこに足りなかったもの

 

‐「東北風土マラソン」立ち上げに至るまでの、竹川さんの経歴について教えて下さい。

私自身は神奈川県横須賀市出身で、大学も東京だったので、東北と接点があったわけではありません。

仕事も新卒から野村證券に勤めていて、20代の間は金融の業界で過ごしました。

30代になって東京でWEBの会社を立ち上げてから、その後にインターネットと教育の会社をアメリカで作ったのですが、その会社の立ち上げの最中に起きたのが東日本大震災でした。

‐元々スポーツも東北も深いつながりがあったわけではないんですね。

そうですね。「東北風土マラソン」のキーポインントになっている「スポーツ」「食」「旅行」のいずれとも、仕事上は縁がなかった人間です。

ですが、震災を経験したことによって、日本に対する「想い」が非常に強くなったのが今の取り組みを始めたきっかけです。

‐なるほど。震災が起きたとき、竹川さんはどちらにいらしたのですか?

震災が起きた日、私は東京にいました。東京でも非常に強い揺れを感じましたし、コンビニの棚から売り物が一切なくなるといった経験もしました。

もちろん東北の状況も非常に気になっていて、何か自分にできないかなと考えつつも、会社の立ち上げのために、震災が起きた5日後にはニューヨークに戻らなくてはならなかったんです。

その時に、後ろ髪を引かれるような気持ちで日本を後にしたという体験が、私の中でも原体験として強く残っています。

そして、日本で震災を経験しつつ、外側から復興をしていく姿を見ていたという立場でもありました。

‐外から復興を眺めていたということですが、海外にいたからこそ経験できたことはありましたか?

アメリカに戻ってからは非常に仕事が忙しく、東北のことを気にする機会が減りました。

ただ、あっちではどこに行っても日本人というだけで心配されるんです。

タクシーの運転者やホテルのコンシェルジュからも、「お前の家族は大丈夫なのか、日本は大丈夫なのか?」と声をかけられる。

そのとき、東北出身であるかどうかは関係ない。日本人として、東日本大震災の復興に関わらないといけないんだと改めて感じたんです。

‐海外にいたからこそ、東北に対する「想い」が強くなったのですね。

そうですね。やっぱり、外から見ていて改めて日本の「魅力」みたいなものに改めて気づいたんです。
そうした「想い」が形になって、最初に起こしたアクションが募金活動でした。
ハーバードのビジネススクールのコミュニティを伝って、3つほど募金先を見つけて、寄付をしていただく形にしました。寄付集め自体は成功し、数千万円単位でお金を集めることができたのですが、なんとなく手触り感がなかったんですね。

‐個人の行動から数千万円を集めるというのは並大抵ではないと思いますが、何が不十分だったのでしょうか。

様々な事業の立ち上げに関わった人間として、集めたお金がどう役に立っているかっていうのをなかなか掴めずいることに非常に違和感を感じたんです。

自分じゃない人に任せてしまっているという状態が、ちゃんと人の役に立った感じがしなかったと。

その頃から改めて、東北のため役に立つのは何なんだろうと考え、自分で一から何かをやっていこうという考えに行きついたんです。

 

「笑顔で待っているのが一番いいなと思った」メドックマラソンとの出会い

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‐マラソンを東北で開催する、という構想が固まってきたのはいつ頃だったのでしょうか。

募金活動がひと段落した2011年の後半からは、じゃあ何ができるのかということを必死に探していたのですが、ちょうどその時期に、フランスで行われている「すごく楽しいマラソンイベント」と言われる「メドックマラソン」と出会ったんです。

「走る人の力」を東北と結びつけられないかという発想が、メドックマラソンを東北へ持ってこよう、というアイデアにつながりました。

‐実際に本場のマラソンに参加したりもしたんですか?

はい、実際に2012年の9月に参加したメドックマラソンは、今でも非常に印象に残っています。

すごく綺麗な景色の中を走り、途中の休憩所ではワインだったり食事が出てくる。

それもオイスターやサイコロステーキといったグルメが次々と出てくるんです。

‐マラソンながらおもてなしに溢れていますね。

そう、「メドックマラソン」とは、地元の食と飲み物とその土地を全力で楽しんでいってくださいと、いう大会だったんです。

それと、マラソンに関わっている地元の人が笑顔で迎えてくれる姿を見て、これは確かに「世界一楽しいマラソン」だと、ランナーの立場から実感しました。

‐地元の人との触れ合いが生まれるのは、確かに素敵ですね。

メドックマラソンはもう30回以上開催されているイベントなのですが、老若男女問わず家の前に椅子を出して、犬と一緒にランナーを応援していて。ランナーとして走っていても、地元と密着したイベントだということを強く感じました。

また、「メドックマラソン」のランナーは毎年先着順で8,000人しか走れないのですが、イベントの期間中には3万人もの人が訪れているんです。

これは、ランナーが家族や友達を連れてきてみんなで楽しもうとしているんですね。そんな「メドックマラソン」全体に流れる空気感がすごくいいなと思ったんです。

‐ランナーだけでなく、関わる人全員が楽しんでいるのが「メドックマラソン」だったのですね。

私自身、市民ランナーとして海外を含めて様々なマラソンに参加したのですが、ニューヨークマラソン、ボストンマラソンを始めとした海外の大会では、マラソンはひとつのコンテンツでしかなくて、そこに集まった人をどう楽しませるか、そこまで含めてマラソンイベントなのだという考え方を感じていました。

そして「メドックマラソン」で見た笑顔は、その理念をもっともよく表していたんです。

私も「人々の笑顔」を震災後の東北において、カルチャーとして広めていきたいと思っていたので、「メドックマラソン」に参加したときの感覚を、そのまま東北に持っていきたいと思ったのです。

‐「メドックマラソン」で印象に残った笑顔が、「東北風土マラソン」の開催につながったということですね。

はい。東北で「メドックマラソン」が開催できるかということを考えると、現地にあった多くの要素は東北にもあるものだなと思ったのです。

それは、風光明媚な景色や美味しい食べ物だったりするわけですが、その時東北に足りなかったのは、人々の笑顔だな、と。

そして、東北と東北の外をつなぎ、魅力を外に発信していくイベントにすることができるんじゃないかと。そう思ったのが、開催のきっかけになります。

 

“走ることを楽しむ”「東北風土マラソン」のコンセプト

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‐「東北風土マラソン」は東北各地のグルメを食べられるというユニークな内容になっています。

東北の魅力を世界に発信したいという元々の想いから、「東北風土マラソン」もその形になりました。

提供するグルメも、数が多くて集めきれない部分もありましたが、開催地周辺だけに限らず東北中から良いものをできるだけ多く集めめられる場所にしたいなと思っています。

‐「風土マラソン」と同時並行で開催されるイベントでも、「グルメ」がキーワードになっているそうですね。

はい、マラソン以外でも登米のフードフェスティバル、東北日本酒フェスティバル、東北Food Night、それから東北風土ツーリズムというオプショナルツアーのイベントと、キッズドリームパークというイベントを並行して実施、「東北風土マラソン&フェスティバル」として開催しています。これらのイベントには、メドックマラソンで学んだ部分が多く反映されています。

マラソン大会は東北に来ていただくきっかけにすぎないと考えていて、そのきっかけがあるからこそ、関わってもらえる人を増やせるのではないかと。

そう考えて、ランナー以外も楽しめる「食と日本酒」や、子供も一緒に楽しめるような内容を充実させました。

‐確かに「マラソン&フェスティバル」という名前の通りですね。

実は、名前にもいろんな意味を込めていて、「東北」と名付けているのは開催地の周辺だけでなく東北全体の魅力を集めたい、という意味合いですし、Foodと東北の風土もかけているんですよ(笑)。

‐なるほど!イベントの名前にも開催にかけた想いが込められているんですね。

そうですね。ランナーはもちろんランナー以外も楽しめるお祭りマラソンではありますが、食や日本酒という良い面を打ち出しつつ、同時にやっぱり3.11を忘れないというか、その時の体験を受け継がないといけないという想いもあります。

‐「東北風土マラソン」は今年で3回目の開催となりますが、実績を重ねる上で運営側、そして地元の人々にも変化が起きていると思います。

開催規模で言いますと、初回は約1,300人、去年は約2,800人のランナーに走っていただきました。今年は4,000人を超えるランナーの皆さんにご参加いただく予定です。

協力していただく企業の関わり方も、最初も震災復興という名目で東北の外からの協賛が多かったのですが、徐々に地元に企業の方々が関わってくれるようになっています。

あと、最初の大会も運営側のボランティアリーダーみたいな人達は東京から連れていっていたのですが、そういったリーダー的な存在も、地元の人々が担ってくれるようなってきました。

‐最初は復興支援という名目だった協力の形が徐々に変化しているのですね。

単なる復興支援ではなく、地元の強力なコンテンツとしてこのイベントが認識されるようになってきた、と実感しています。それに伴って、イベントを自分ごと化してくれる地元の人がたくさん増えていったという印象です。

‐竹川さん自身の東北に対する「想い」も変化しているのではないでしょうか?

イベントを開催している登米という街自体もそうですし、宮城県というか東北全体が自分のふるさとのように感じてきているのはあると思います。

‐そのような想いを持つことができているのはなぜなのでしょうか。

自分の気持ちが強いから、本気で発信していきたいのです。

登米で取れるものは本当においしいんですよね。それは米であったり、牛であったり、きゅうりみたいな野菜であったりだとか、それらを育んでいる水はもちろん全てにおいて、本気でおいしいと思えるものばかりなんです。

私は以前アメリカにいましたから、これらの食べ物は世界レベルのものだと思っています。

そういった魅力に気づくことができるのも、私自身が東北の外から来たからこそだと思っています。

好きになったものが「東北」にはたくさんあるので。メドックブランドが「メドックマラソン」をきっけかに世界に広がったように、「東北風土マラソン」を通じて東北の魅力を世界中に広めていきたい、そう考えています。