戦後日本の小学校教育を受けた人には馴染み深い3つの楽器「ピアノ」「リコーダー」「鍵盤ハーモニカ」に注目するシリーズ記事【おんがくしつの楽器史】。第3回となる今回はリコーダーの歴史に迫ります。



戦時中、小学校は国民学校と改称され、音楽の授業では軍国教育を徹底させるため国定教科書が使われていました。さらに、戦況が激しくなると、飛行機の爆撃の音を聞き分けることができるよう「聴音訓練」が音楽の授業に盛り込まれます。終戦が近づく1945年には、音楽の授業を行うことが厳しくなり、授業そのものが小旗を打ち振りながら軍歌を歌うことに取って代わります。



戦後の1947年、初の学習指導要領では「音楽教育は情操教育である。・・・(中略)しかし、音楽は本来芸術であるから、目的であって手段となり得るものではない。芸術を手段とする考え方は、芸術の本質を解しないものである。」と書かれ、戦前の音楽教育が見直されます。



このような変遷のなかでリコーダーはいつ、どのように現れたのか、そしてどのように「音楽教育の定番」となっていったのか。リコーダー奏者である中村栄宏さんに、リコーダーの歴史、リコーダーと小学校のこと、中村さんご自身のことを伺いました。



中村栄宏 Hidehiro Nakamura

三重県桑名市出身。東京理科大学大学院工学研究科電気工学専攻修了。在学中にリコーダー活動により学長表彰を受ける。第30回全日本リコーダーコンテストにおいて独奏・重奏部門ともに花村賞(最高位)を受賞。ヤマハ音楽振興会「2015年度音楽活動支援」に将来活躍が期待できる若手音楽家として選出される。J・ターナーやJ・シュバルツァーなど、現代を代表するリコーダー奏者から激賞されるほか、F・カルディーニなど、多くの作曲家から作品を献呈されている。

兪 彭燕
1989年、上海生まれ日本に根を下ろしてはや20年。音楽とサッカーが好き。バイブルはスラムダンクと寺山修二の「書を捨てよ、町へ出よう」

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「シ」の音だけを吹いて、リコーダーを好きになった

‐「プロリコーダー奏者」という珍しいキャリアをお持ちの中村さんですが、リコーダーの出会いはどのようなものだったのでしょうか。

みんなと同じように、小学校3年生の、音楽の授業のなかで出会いました。リコーダーを好きになったのは、当時の音楽の先生の存在が大きいですね。

自分の通っていた公立の小学校が、偶然にもリコーダーの全国大会に出るような学校で、音楽の先生が教育に熱心でした。

カリキュラムや課題曲も先生自身が考えていて、最初は一音だけ、例えば「シ」の音だけを吹かせるんです(笑)。

‐「シ」の音だけですか!?

はい(笑)。「シ」を吹くだけで曲となるような教材を先生が選んでいました。

だから「シ」だけを吹いても曲になりました。

僕は、この「曲が吹けた!」という感覚が嬉しくて、今思えばこの「曲が吹けた」という感覚がリコーダーを好きになったきっかけでした。

‐わかります、曲の一部分でも自分で出来ると嬉しくなりますよね。

中村さんはピアノを小1から学んでいたとのことですが、ピアノにはその嬉しさを感じなかったのでしょうか?

幼稚園のときから、息を使って音が出るものが好きでした(笑)。

ピアノに対しては不真面目でしたね。練習してこない子で、楽譜も全然読めなかったんです。

だけど、リコーダーを頑張れたのは、息を使って音が出る吹く楽器だということと、みんなが小学校3年生からの同じスタートだったので、頑張った分だけ一歩進んでいる実感を得られたことが嬉しかったですね。

‐なるほど。当時の先生は、中村さんがプロのリコーダー奏者になると思っていたのでしょうか?

全然想像されていなかったみたいです。僕自身も東京理科大を卒業しているので、プロのリコーダー奏者になる決心をしたのは最近のことです。

‐その決心を固められたきっかけは何だったのでしょうか?

しばらくリコーダーを吹いていないと、吹きたくてしょうがなくなるんです。リコーダーが好きで好きでしょうがなかった。

それに、仕事を続けていたのですが、土日はリコーダーのコンサートを開いて、平日は仕事に全力投球をするという、現状維持をするだけで精一杯の状況が続いていました。

このままだと両立はできていても、どちらも上を目指せないんじゃないか、と気付いて、二者択一だなと。

そこで、好きで好きでしょうがないリコーダーの道を極めようと思いました。

‐日本でリコーダーを演奏する場とは、どのようなところになるのですか?

高校生まではリコーダーコンクールが発表の場でした。リコーダーを人前で演奏する機会がコンクール以外になかった自分は、大学2年の時に全国大会で優勝後、リコーダーの演奏機会が無くなるんじゃないかと困っていたんです。

でも有り難いことに、リコーダーをソロで吹く機会を地元から頂けて。

そこからは、半年に一度リサイタルをする、というような形で楽器を続けていました。

 

 

リコーダーの最盛期は17-18世紀半ば

‐リコーダーというと、音楽の授業で使う楽器。教育楽器のイメージが強いのですが、リコーダーにそのようなイメージが定着した理由は何でしょうか?

それは、リコーダーが日本で普及された経緯に関わります。

1929年にケンブリッジ大学を卒業した黒澤敬一(指揮者)、1930年代にドイツへ留学していた坂本良隆(指揮者)と下総皖一(作曲家)が、それぞれ戦時中の日本へリコーダーを持ち帰っていますが、戦時中は「リコーダーって何?」な時代でした。

今みたいに誰もが知る楽器ではなく、音楽に関しての有識者が知る楽器だったと言えます。

しかし、戦後の1950年に文部省内で、黒澤敬一とアメリカ人のレオ・トレーナーがリコーダーのコンサートを披露。

それを機に、翌年にはリコーダーを初等教育で使おうとする計画が立ち上がりました。

教育の現場で用いられるようになったことで、教育楽器としてのイメージが定着したと言えそうです。

‐リコーダーが日本に定着したのは戦後のお話しだったのですね。そして、リコーダーをイギリスやドイツから持ち帰った、とありますがリコーダーは昔からヨーロッパで吹かれていた楽器だったのですか?

はい。リコーダーが隆盛を極めたのは17-18世紀半ば、特にバロック時代に好まれて使われた楽器なので、リコーダーって古い楽器と書いて、「古楽器」というジャンルになるんです。

ピアノの前身となる、チェンバロと一緒に演奏されていました。

‐一気にリコーダーのイメージが変わってきました!

更に言えば、15世紀ごろからリコーダーが用いられて、教会やお城での演奏に使われていました。宗教音楽にもリコーダーが使われていたんです。

そして、17-18世紀半ばにかけては隆盛を極め、バッハやヘンデル等の名の知れた作曲家もリコーダーのための曲を作曲しています。

今の小学校で使われるリコーダーも、1600年代の半ばに使われていたリコーダーと大体同じです。しかし、その後リコーダーは「空白の150年間」を迎えます。

 

 

「空白の150年間」とコンサートホール

‐空白の150年間とは何でしょうか?

1600年代には流行したリコーダーですが、1700年代の半ばから忘れ去られていきました。

理由は諸説あるのですが、リコーダーの音量差が乏しいことに原因があったと言われています。

時代が進むにつれ演奏する場が、教会やお城から広いコンサートホールになっていきます。

そういった場ではリコーダーよりも音量差がしっかりつくフルートを好んで使われるようになったそうです。

そうして、リコーダーが時代の中から忘れ去られていき、150年間の眠りにつきます。この空白の150年間というのは、いわゆるクラシックの大作曲家が生きていた時代です。

ベートーヴェンやチャイコフスキー、シューマン、シューベルト、モーツァルトが居た時期で、その時代には基本的にリコーダーの作品は無いんです。

‐空白の150年間を経て、リコーダーはどうなっていくのでしょうか?

1900年代に入ると、古楽器復興運動が興り、リコーダーが再注目されます。

古楽器として注目されたので、もちろん古い時代の曲も演奏されますが、同時に今の時代にも合う曲を作ろうと、リコーダーを復活させたドルメッチが多くの作曲家にリコーダーのための現代作品の作曲を依頼するんです。

その当時は、古楽器復興運動で出てきた昔の古い珍しい楽器だったと思うのですが、その後、プラスチックのリコーダーも量産されるようになり、多くの人に親しまれる楽器となります。

 

 

知っているようで知らない、リコーダーのこと

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‐中村さんがリコーダー奏者として活動を続けられるモチベーションは何でしょうか?

リコーダーを一度は吹いている方がこんなに多いにも関らず、リコーダーはまだまだ知られていない楽器だと思うのです。

悲しいことにただの教材のひとつで、リコーダーを楽器として認識されている方は、とても少ないのではないかと感じます。

リコーダーのために多くの作品が書かれ、いろいろなことができる楽器であることが知られていない。

例えば、リコーダーの歴史もリコーダーが普及している現状と比べるとあまり知られていません。

教会やお城で演奏されていたこと、17-18世紀半ばに隆盛を誇っていたこと、空白の150年間を経て復活したことなど。

知られていないものを知ってもらいたい、というのがモチベーションとなっています。

日本では、音楽の経験者でさえ、リコーダー?プラスチックじゃないの?曲あるの?そもそも何をするの?とよく聞かれるんです(笑)。

作品もいっぱいあるし、出来るレパートリーもあるんだということを知ってもらいたいですね。

‐ドルメッチが依頼をして作られた楽曲は、まだまだ知られていないということでしょうか?

そうです。すばらしい作品が多いのにも関わらず世界的に見ても全然演奏されていない。

今でも、ピアノとリコーダーの組み合わせに限らず、リコーダーのための作品がどんどん作られているにも関わらず、演奏機会は少ないようです。

まずは、そういった曲を僕が演奏して知ってもらって、リコーダーをやってみようと思う人が増えてくると嬉しいです。

リコーダーは身近な楽器だし、ギターやサックスを始めるよりは敷居が低いかと思います。ぜひ(笑)。

‐(笑)。では、最後にリコーダーを上達するテクニックがあればぜひ教えてください。

息を使う楽器なので、吐く息の強弱に気を使うと、出てくる音も違ってきます。強く吹くのではなく、柔らかく吹く。

僕自身も、旅行だとかで楽器を触っていない期間が続くと、どうしても息を強く吹いてしまうので、気を付けています。

安定した良い音を出すために、柔らかくしっかりお腹を使って息を作ること、それがテクニックになります。