兪 彭燕
1989年、上海生まれ日本に根を下ろしてはや20年。音楽とサッカーが好き。バイブルはスラムダンクと寺山修二の「書を捨てよ、町へ出よう」

撮影:和久井幸一

 

踊り念仏(おどりねんぶつ)
街や道で、大人数で「念仏を唱えて踊る」というもの。
安倍晴明が大活躍していた平安時代に、僧の空也が始めたとされる。
そして、2015年の12月、念仏は唱えないが(唱えても良いけど)街のなかで、みんなそれぞれが異物(イブツ)になる、現代の「踊り念仏」が本牧アートプロジェクトにて開催された。

 

筆者自身も、かなり変わったこの企画に参加。寒い風が吹く本牧の街なかで、異物になるため、くつを脱いで、メイン通り脇におかれたベンチに10分以上立ち続け、通行人から「なにベンチの上で立っているの、この娘は」と、ジロジロ見られました。

 

でも「イブツ」は私だけじゃないからハードルも低いもの。街のなかでオドリ出す「イブツ」のカップル、観光名所を次から次へと指さしする「イブツ」のおばさん、ひたすらぐるぐる回っている「イブツ」の男の子などなど。

アッという間に街のなかに「イブツ」を誕生させる、現代の「踊り念仏」。
「踊り念仏」を現代において行う理由とは?
作家・武田力の問題意識と、開催への思いを聞いた。

 

現代の「踊り念仏」とは?

 

「踊り念仏」に参加するまえ、参加希望者にはある資料が渡される。

今回の「踊り念仏」の開催場所・本牧を管轄する山手警察署と武田のやりとりだ。

「自由への条件」をめぐるやりとりの一部を中略も踏まえて抜粋する。

 

『武田:相談に来たのですが、わたし演劇をやっていて、街でそれを行う場合にどういった基準があるのか、伺いにきました。

山手警察署員:厳しいですよ!演劇…どんなものをやるんです?

武田:お客さんを俳優に見立てて、そのお客さんが歩く作品です。(中略)

署員:いま外を歩いているじゃないですか。その人たちを…。ごめんなさい、ちょっとよくわかってない。

武田:あ、そうですよね、よくわからないものを作っているので。いまお話を伺って、聞き取ったその基準をそのまま「条件」としてお客さんへお伝えして、普段とは違う感覚でこの街を歩いてもらおうと思っていて。

署員:それはなんのためにやるんですか?(中略)

署員:「これから街の異物になろう」とお客さんがバラけるじゃないですか。それで戻ってきて「どうだった?」という話?

武田:個々人が無意識に規定している「日常の線引き」を改めて捉え直す試みなんですよね。(中略)

署員:たとえば、異物で「石ころになろう」といって車に轢かれたと。「それでも警察が許可してくれた」と言うのはおかしな話じゃないですか。

武田:確かに。(中略)

署員:ちょっと難しいですよね、警察として「良いですよ」というのは。ただ、面白いとは思うんですけれども。

武田:わかりました。ありがとうございます。』

 

警察署でのやりとりを読んで、この街では何を制限されていると感じ、何を「異物」(イブツ)と感じるのかも参加者一人ひとりに任されている。

そして、30分ほど「異物」になった後で、皆で「どうだった?」と話し合い、共有する。

ハタからみると「シュール」な作品を作り上げているのが、武田力だ。

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‐武田さんはどういう経緯で作品を作り始めたんですか?

2012年までは俳優をしていました。演劇カンパニーのチェルフィッチュによく参加していて、そこは海外での公演が多かったので、3・11の直後も海外にいました。
ネットでいろんな情報が押し寄せるから「日本はどうなっちゃっうんだろう?」って心配してたんだけど、帰国したら何も変わらない日常が流れていて。
もちろん、体験してないから余計にそう思うんだろうけど、強い違和感を覚えました。

同時に、「いま作品を作らなきゃいけないのは日本でだな」って思ったんです。
それで自分で作品を作るようになりましたね。

‐3.11直後、海外はどちらに行っていたんですか?

エストニアに行ってました。チェルノブイリと近いのもあって、原発のニュースを知って「お前絶対に日本には帰らないほうが良いぞ」って言われたり、そのあと韓国に行ったら、韓国の人が日本人の僕を見て泣き出したり。

改めて日本にいればこの国のすべてがわかるわけじゃなくて、外からわかることもあるんだなと思いましたよ。


そらには
(写真:Masumi Kawamura)

 

小学生に聞く「そらには やんわり うかんでる」

 ‐「踊り念仏」を始められるまでは、どのような作品を作っていましたか?

小学生に、未来について質問をしていく「そらには やんわり うかんでる」という作品や、「わたしたちになれなかった、わたしへ」という糸電話を用いた作品をつくっていました。

「そらには やんわり うかんでる」は、1940年を2020年と仮定し置き換えています。1940年は東京オリンピックが開催される予定だった。でも戦争を始めたためにできなかったんですよ。この作品では2020年以降の未来を、1940年以降の歴史と重ねて子どもに問い掛けています。

‐表現上は2020年以降の未来について問うているようにみえるけど、実際は1940年以降の出来事、つまり私たち大人にとっては、「過去」について問うているということですか?

そうですね。子どもたちへの質問はかなり抽象化していて、「17歳のあなたを『おかえり』と迎えるのは、どんな人ですか?」とか、「22歳のあなたは『仲良くなれそうにない人』と暮らすことになります。どうやって一緒に過ごしましょう?」とか。太平洋戦争や所得倍増計画、オウム真理教、ノストラダムスの大予言など歴史上の出来事から引いています。「歴史は繰り返す」ともいう。再び同じような事象が起こる可能性はやっぱりあるし。子どもたちには結構、酷なことを聞いているんです。

‐これはどのような経緯で作ったんですか?

元々は横浜の小学校から演劇のワークショップで依頼が来たんです。でも先生からは「全然演劇じゃない」といわれましたけど(笑)。

‐確かに(笑)。質問も凄いですしね。ちなみに、どこが演劇になるんですか?

普段聞かれないようなことを聞いて、ある意味子どもたちに演技をさせているんですよ。これは映像作品で、質問とともに砂場に自分たちの街の未来を作ってもらうんだけど、彼らが遊んでいたおもちゃで。

‐おもちゃ、ですか?

そう。遊び終わったかつてのおもちゃで、砂場に未来の街を作ってもらい、質問の応えを想像してもらうんです。傍目には砂場の起伏におもちゃが並んでいるだけだけど、彼らにはイメージがあって、おもちゃを街の様々に見立てている。すごく演劇的だと思います。

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イラスト:にとうしん(未成年)

 

「ズレ」があるからこそ、作品やパフォーマンスを作っていける。

 ‐「踊り念仏」では、参加者が「異物」になりますが、武田さんはご自身のことを「異物」だと思いますか?

もちろん。職業がこれだし、カタギじゃないですよ(笑)
むしろ異物で、社会と「ズレ」があるからこそ、作品やパフォーマンスを作っていける。「ズレ」は大事だと思いますよ、それはアーティストでない人にとっても。どういう風にこの世界や社会を映し、それに対するのか? 自身の「ズレ」をどう認識するかが、現代への批評性を生むんじゃないかな。

‐糸電話を使った作品「わたしたちになれなかった、わたしへ」は、まさにズレを常に感じている人たちへの作品ですか?

いや。むしろ「ズレ」を矯正されてきた人の「殺された人格」にフォーカスした作品ですね。わたしたちは教育とか世の中の価値観とのすり合わせの中で段々摩擦なく生きてこられるけど、小さいころは物を盗んだり、誰かをすぐに叩いたりすると思うんです。それを大人に矯正されていく。社会に生きる以上それも必要だけど、そういう「わたし」が居たことも憶えておこう、マイノリティーの「わたし」に改めて価値を向けてみようという作品ですね。

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 ‐これにも演劇の要素が使われているのでしょうか?

「踊り念仏」と同じく、お客さんが参加者となる作品なんですけど、糸電話で複数に繋がった見えない誰かと会話をするんです。そうして記憶を呼び起こしながら、どういう「わたしたち」が形成されていくか?っていうことをしています。

‐どの作品も完成するまでのプロセスが大変そうですね。

そうですね。当日集う参加者の誰かひとりに、「ほかの人なんて知るか」っていう、ひとかけらの配慮もない人が居たら、作品ではなくなる。「踊り念仏」の警察との話だって、わざわざ聞きに行く人居ないんですよ(笑)。ダメだって言われるのを僕もわかっているので。

‐それでもあえて警察署に聞きに行くのはどうしてですか?

ダメといわれるまでのやりとりに彼ら警察の個人的心情だったり、法律観や倫理観だったり、その街の特性が浮かび上がるんですよね。同じ法律を適応していても、時代によって法律の捉え方も違ってくる。それらを各々で感じ取った後に、「踊り念仏」でちょっと違う日常を提示したいんです。

‐さきほどの「ズレ」とつながると思うのですが、違う日常を提示することは何につながるのでしょうか?

生きやすくなれば良いなぁって。オセロに白も黒もあるように、双方の可能性を簡単に除去しないで、「黒だ、あいつ殺せ」って単純な話じゃなくて、両方になれる可能性を消さないでほしい。両方になれる可能性があるってことが生きやすさにつながると思います。

「踊り念仏」という演劇で非日常の機会を与えて、「異物」になることで見えてくる街や自分自身がある。その経験を通じて、自分にも白にでも黒にでもなれる「可能性」があるということを認識してもらいたいですね。

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「明日以降どう生きていこうか」と考えるために、演劇はある

‐武田さんにとって、「戦争」が大きなテーマとなっているような感じを受けます。

うん。人が殺し合うわけだから、大きなテーマになりますよね。

‐その問題意識は、今の社会動向ともリンクしているのでしょうか?

それもありますね。日本に限ったことじゃないけど、かなり危険だなと僕も思っているし。相変わらず戦争をしていて、全然20世紀と変わってないや、って。二つの大きな世界大戦があって、何かを考えて変えていかなきゃいけないはずなんだけどね。

でも僕は指導者じゃないし、なにかを啓蒙するために演劇をやっているわけじゃない。そもそも演劇って明日以降どう生きていこうかってそれぞれが考えるためにあるんだと思う。

‐だからこそ「ズレ」にフォーカスをするのでしょうか?

そうですね。光もあれば闇もある、お互いがあるからこそ成り立つ関係だと思うんです。光を作り出せる人はもうたくさんいる。だから闇に気づかせるのが僕の役割なのかな、って思います。

‐闇に気づかせるとは?

マイノリティーへの意識かな。マイノリティーにも色んな形があると思うんですけど、「わたしたちになれなかった、わたしへ」みたいに人格のマイノリティーだとか、押し込められていた自分だとか。そこに価値を見出していきたいですね。

それで一人でも生きやすくなれば。その一人は自分だけで生きているわけじゃなくて、他の人との関係性の中で生きているんだから、その一人から波及して世界を変えることが出来るのかなって思います。