自分の思い通りに事が運ばないとき、あなたはどのようにそこから抜け出そうとしますか?自力で何とかする、友人に助けを求める、とにかく時間が経つのを待つ…さまざまな方法があると思います。
1997年にDOPING PANDAを結成、後のエレクトロダンスロックシーンの先駆者となったフルカワユタカさんもまた、何度も困難と向き合ってきたひとり。日本のロックシーンにおいて異彩を放つ活躍を見せた後、惜しまれながらもバンドは解散。2012年からはソロ活動をスタートしましたが、その道のりは平坦なものではありませんでした。
1月11日にソロとしては2枚目のフルアルバム『And I’m A Rock Star』をリリースしたフルカワさんが来札、今作が完成するまでを伺いました。
LED ZEPPELINを聴いて受けた初期衝動が続いている
‐フルカワさんが音楽に目覚めたきっかけはどのようなものだったのですか?
僕は音楽一家というわけではなくて、むしろちょっと“堅い”家だったので、音楽をたくさん聴く環境にはなかったんです。
中学時代は野球部で、音楽は流行りのものを人並みに聴く程度でしたね。で、中学校を卒業するときに友達が通販で買ったギターを5000円くらいで譲ってもらったんですよ。
‐高校入学直前ですね。
そうですね、ギターなんか弾けないのに(笑)。それで高校に入学したら、布袋寅泰さんマニアのギターを弾く子がいて、その子と同列のような気がしちゃったんです。
その子と仲良くなって、LED ZEPPELINを特集していた音楽雑誌をもらったので、せっかくなのでCDもレンタルショップで借りて聴いてみたら衝撃を受けて…このときですね、音楽でプロになろうと思ったのは。
‐ルーツはジミー・ペイジ(LED ZEPPELINのギタリスト)なんですね。
そうです。洋楽もほとんど聴いたことがなかったんですけど、そこから洋楽ばかり聴くようになりました。今思うと、なぜ言葉も通じない音楽にはまってしまったかという理由は、“音”なんですよ。
いろいろな楽器のミックスの感じやレコーディング技術、バンドサウンドがクリアに分離されていることに対する衝撃・初期衝動があったんでしょうね。
それで、新しいギターを買うときにMTR(自宅で収録できる機械)とリズムマシーンも買いましたから。その時点でまだギター弾けないんですけど(笑)。
‐収録する気マンマンですね(笑)。
そのときから今も変わってないんですよ。DOPING PANDAの最後のアルバムは、自分で地下スタジオを作ってレコーディングもミックスもしましたから。
LED ZEPPELINを聴いて受けた衝撃というのは「こういう素晴らしい音楽を作ってみたい」ということで、結果それがずっと続いているんですよね。
ソロ活動がうまくいかない…目の前が真っ暗に
‐DOPING PANDA結成から今年で20年です。僕は初めてDOPING PANDAを聴いたときに「ついに日本でこのサウンドを出すバンドが現れたか!」と衝撃を受けました。オリジナル曲はもちろんですが、個人的には『Go The Distance』…ディズニーのカバーですね。
ありがとうございます。この曲をきっかけでDOPING PANDAを好きになったという方は多くて本当に嬉しいんですけど、これはやっぱり(プロデューサーの)田上(修太郎)さんの存在が大きいですね。
『Go The Distance』のおかげでDOPING PANDAの存在が知れ渡ってライブのお客さんも急に増えて…この曲が出来たときは、自分たちも衝撃を受けた気がします。
‐その衝撃は私たちにもしっかり伝わりました。
あの当時(2002年頃)は本当に熱と熱がぶつかり合ってやってたんですよね…。だからこそ、今思い出すと、田上さんとのやり取りは辛くもあるんです。
「(田上さんから)離れて評価されたい」みたいな気持ちもありましたし。(2005年に)メジャーに行ってからは「打倒・田上さん」という感じでしたから。
‐そのDOPING PANDAは2012年に解散、その後ソロ活動をスタートさせますね。
解散は解散でショックだったんですけど、だからといって自分の音楽活動は終わるわけではないので、今だから言える話ですがソロになった先のポジティブな想像もあったんですよ。
それですぐに『emotion』というアルバムを出すんですけど、そのリリースツアーが終わったあたりが解散なんかよりよっぽどきつかったですね。
‐2014年…ソロになって2年経過くらいのタイミングです。
それが僕のどん底でした。自惚れ・過信・希望…ソロで活動するうえでプログレスすればいいなと思っていたんですけど、うまくいかなかったんですね。
そのときに、ばたっと目の前が真っ暗になって。「どうしたらいいだろう」って。
‐そのときに光を取り戻すためにどうしたんですか?
全然わからなくて、事務所に戻ったんです。ソロになってからは事務所に入らず全部自分でやっていたんですが、端的にいうと頭を下げて「もう一度面倒を見てくれないか」と。
プライドなんかどうでもよくて、自分ひとりじゃ出来ないってことを思い知りました。
DOPING PANDAの曲を解禁することの是非との戦い
‐そこから再び歩み始めることになったんですね。
いや、今回のアルバムまで3年かかってますから、とりあえず戻ったという感じです(笑)。音楽に集中できる環境を作ってもらえたんですが、「何のためにライブをやるか」「何のためにアルバムを出すのか」がまだ見えなくて。
当時の僕はフルカワユタカとして活動することに臆病になっていたので、DOPING PANDAという大事なものとの距離が遠くなっていくのが怖かったんですね。
それで2015年に、DOPING PANDAの曲をライブで解禁することにしたんです。
‐封印を解いた、ということですか。
変えないとズルズルいくだけだと。ソロでDOPING PANDAの曲をやらないと決めていたのは、やっぱり勝ちたかったんですよ。
『emotion』はJ-ROCKのフィールドで英語なしという風に線引きした作品でしたから。
(DOPING PANDAの)メンバーにも連絡して許可をもらって、そのうえで色々なことを言われるのも覚悟して…で、やったんですけど、今まで何を悩んでたのかと思いました。「僕の問題」として切り捨てていいんだと。
‐昨日のライブ(2月16日@札幌・KRAPS HALL)ではDOPING PANDAの曲もソロの曲も演奏されましたが、お客さんが楽しいのが一番のような気がしました。
それ以外何があるんだという感じですよね、全部削いでいくと。お客さんが喜んでいて、僕が楽しんでいて、そこに曲があって…これ以外残らなかったんですよね。
じゃ、これでいいんだと思いました。でも、DOPING PANDAの曲を解禁してからは、本当に何もなくなったなと感じていたんです。
‐最後のカードを切ってしまったと。
DOPING PANDAの曲をソロでやるのは武器のひとつになるんですけど、本当にそれだけなんです。
そこで次にどうすればいいのかと考えているときに、事務所の後輩でもあるBase Ball Bearのマネージャーから「ギターを手伝ってもらえませんか」という連絡をもらったんですよ。
彼らと回った7本(のツアー)は本当に大きかったですね。自分が一番燃えてDOPING PANDAをやってたときのバイブスを思い出しましたし、音楽も作らずライブもせず何がミュージシャンだという当たり前のところに立ち返れました。
“音”だけでなく“人生”を記録した感覚の作品
‐こういう気持ちになったからこそ『And I’m A Rock Star』という、自身のニックネームである「ロックスター」を冠したアルバムが出来たんですね。
このタイトルにはいろいろな意味があります。Base Ball Bearのファンに「フルカワさん」と呼ばれるのは寂しいからとか(笑)。
メジャーのときの本当は弱いのに「俺はロックスターだ」と尖っていた部分と、インディーズのときのようにフランクに自分のことを「スター」と呼んでいたら周りの人も呼んでくれた部分とか、それらが全部一緒に感じるんですよね、最近は。
いわゆるステレオタイプの「ロックスター」ではないことは昔からわかってますし、色々な意味で照れがなくなったんでしょうね」
‐アルバムには『And I’m A Rock Star』という曲も収録されています。
実は、アルバムタイトルの方が先に決まっていたんです。最後の最後まで詞が決まっていない曲があって、それが『スティング・サンバ』というデモタイトルだったこの曲です(笑)。
このタイトルで歌詞を書くとしたらどうなるだろうと考えて、レコーディング直前にスラスラと仕上げました。今お話ししたことをこの曲の歌詞にできたので、それは良かったですね。
‐フルカワさんのこれまでのすべてが詰まっているような気がします。
今回はそうですね。特にDOPING PANDAのときはアルバム出してツアーに出て、というタームごとの作品でしたから。3年ぶりということもあって、まさに「レコーディング」…“音”だけでなく“人生”を記録した感覚ですね。
【取材を終えて】
なぜフルカワユタカさんは「And I’m a Rock Star」と言い続けているのか
――それには大きな理由がありました。DOPING PANDAを解散後すぐにソロ活動を始めたものの、なかなか自分の思うようにいかない時期もありました。それを乗り越えようともがきいている最中、後輩バンドから大きなエネルギーをもらい、再び我らがロックスターが光を取り戻したのです。
「音を記録する」だけでなく「人生を記録する」レコーディングはなかなかできるものではありませんし、それができる舞台が整うこともなかなかありません。しかし、フルカワさんにはそのチャンスがやって来ました。そのロックスターが創り出したアルバムには、希望と葛藤が触媒となった未来が詰まっています。
【ライター・橋場了吾】
北海道札幌市出身・在住。同志社大学法学部政治学科卒業後、札幌テレビ放送株式会社へ入社。STVラジオのディレクターを経て株式会社アールアンドアールを創立、SAPPORO MUSIC NAKED(現 REAL MUSIC NAKED)を開設。現在までに500組以上のミュージシャンにインタビューを実施。 北海道観光マスター資格保持者、ニュース・観光サイトやコンテンツマーケティングのライティングも行う。