橋場 了吾
1975年、北海道札幌市生まれ。 2008年、株式会社アールアンドアールを設立。音楽・観光を中心にさまざまなインタビュー取材・ライティングを手掛ける。 音楽情報WEBマガジン「REAL MUSIC NAKED」編集長、アコースティック音楽イベント「REAL MUSIC VILLAGE」主宰。

もう今から25年も前の話です。私事ですが、中学2年生から高校2年生までクラシックギターを習っていました。友人にバンドに誘われたのがきっかけでギターを弾くことになり、まずは基本を覚えようとクラシックギターの教室に通うことにしました。

 

母が電話帳で見つけ出したのが「若狭弘樹ギター教室」。何件か連絡したそうですが、一番感じの良かったこの教室に見学に行きました。私の住んでいるところから近かったのが、とある喫茶店の奥を借りていた教室で、焼き立てのパンとコーヒーの香りの中のレッスンは、今でも昨日のように思い出します。

 

その若狭先生から、年始に一通のメールが届きました。「65歳にして初めてのCDです」――生演奏にこだわって来た若狭先生がCDをリリースするのには深い訳があるはずと思い、取材を申し込みました。

 

稽古を止めてからも何度かお会いしていたのですが、ここまでじっくりお話を聴いたのはおそらく初めてのこと。ギター教室の開校から35年、現在は北海道と札幌市の文化団体協議会の事務局長としても活動している若狭先生に、クラシックギターの魅力について伺いました。

 


 

クラシック音楽に慣れ親しんでいた少年時代

‐初めてお会いしたのは25年前。長いお付き合いなのですが、先生の生まれた町やギターを始めたきっかけなどはお伺いしたことがなかったと思います。

そうだったかな(笑)。生まれたのは紋別市より少し北に行った雄武町(おうむちょう)です。小学校6年生のときに「札幌に行きたい」といって出してもらったんです。その後、大学は東京に行って、大学に通いながら神戸在住の松田(晃演)先生のもとに通っていました。

‐最初にクラシックギターに出会ったのはいつだったんですか?

小学校1年生から5年生までバイオリンをやっていたんです。たまたま、雄武高校の音楽の先生がバイオリンの専攻で。実は、父親の姉夫婦が若くして亡くなっていて、その娘…従妹と一緒に暮らしていたんです。その従妹がピアノが上手くて、僕が小さい頃からクラシック音楽に触れていたので、自分からバイオリンを習いたいといいました。蓄音機とクラシックのSPレコードもたくさんあって、父親がよく聴いていたんですよね。

‐それから札幌に出て来て…。

親戚の家ではバイオリンを弾くわけにいかないので、少しの間我慢していました。中学に入ってから札幌に家を買うことになって、札幌の大学に通っていた姉と、せっかくなのでと札幌に出て来た弟と一緒に住むようになってから、自由に音楽が出来るようになったんです。

‐その楽器がクラシックギターだったんですね。

多分楽器店で見かけたのがきっかけだったと思うんですけど、自分で試しに弾いてみたら、その音色を気に入ってしまって。「これはバイオリンよりもいいかもしれない」と思いました。

‐当時はビートルズ人気が過熱していたころですよね。

なので、友達に頼まれてエレキやフォークも弾きました。でも、やっぱりクラシックギターがメインだったんですよね。中学時代は独学で、高校時代から札幌で習いに行きました。

‐神戸の松田先生との出会いというのは?

大学で東京に出て、ギター教室を探していて見つけたのが、松田先生のお弟子さんの教室だったんです。実は、高校時代に日本全国の有名なギターの先生が集まるコンサートが札幌であって、松田先生だけが“西洋風”の演奏をしていて「この人だけ何で違うんだろう?」と思って。調べてみたら、唯一(アンドレス・)セゴビアさんに習っている人だったんです。

※アンドレス・セゴビア…1893年、スペイン生まれのクラシックギタリスト。クラシック音楽でギターを使用できることを証明した、現代クラシックギター界の巨匠中の巨匠。1987年に94歳で逝去。

※松田晃演…1933年、兵庫県出身のクラシックギタリスト。セゴビアの愛弟子で、海外を含め多数のコンクールで賞を獲得。ニューヨークのカーネギーホールでもコンサートを行っている。

 

二大師匠の生演奏を聴いたときの衝撃

‐その後、松田先生に出会うことになるんですね。

大学4年の春に松田先生の海外ツアーからの凱旋公演を東京で聴いたのですが、いい意味でショックで…本当に素晴らしかったんです。「これは直接習わないとダメだ」と思って、毎年夏に軽井沢で開催されている、いろいろな楽器の有名な先生や教授がレッスンを行うミュージックサマーキャンプに参加して、松田先生のレッスンを受けました。それ以来、毎月1回神戸に通うようになって…途中から東京でのレッスンになったのですが、25年近くレッスンを受け続けました。

‐プロフィールを拝見すると1982年、今から35年前に札幌でギター教室を開校と書かれているのですが、大学卒業から7年経っています。

そう、卒業後は家業を手伝うために実家に戻ったんです。父親がやっていたのは木材関係の事業だったんですが、いずれは後を継がないといけないというのがあって。プロにならなくても、プロよりうまいアマチュアになろうと決意して、プロギタリストの道は諦めたんです。

‐そんなことがあったんですか。

実は松田先生のレッスンを始めて受けたときに、ヨーロッパにセゴビアさんの演奏を聴きにいかないかと誘われたんです。でも学生なのでお金がない…そこで、父親に「ギタリストになる夢は諦めて仕事を手伝うから旅費を出してくれないか」と頼んで。それでセゴビアさんの生演奏を初めて聴いたわけですが、クラシックギターは最高の楽器だと思いました。

‐それが、7年後に変化するんですね。

木材関係の仕事というのは、バブルが弾けるときに真っ先にダメになった産業で、雄武町のような田舎の会社で負債が19億円…いろいろ大変なことはたくさんあったんですが、旭川の弁護士事務所に通って、債権者会議が終わるまでは手伝いました。でも、そのときに札幌でギター教室を開こうと。家業が倒産したときは、内心喜んでいたんです。

‐趣味になっていたクラシックギターが仕事に…。

仕事を手伝っている間はお金に余裕があったので、神戸の松田先生のところも通っていましたし、ようやくギターの演奏活動で食っていけるようになるかもと思いました。教室を開いて生徒に教えながら、演奏活動をしていくと。食えないと栄養状態が悪くなって爪もボロボロになってしまいますから(笑)。チラシを作ったり、電話帳に広告を出したりして、結構な数の生徒が集まりました。

 

クラシックギターは「生演奏」でこそ伝わる

‐若狭先生がそこまでクラシックギターにのめり込んだのはなぜですか?

“本物”の演奏を聴かないと気付かないことなのかもしれないですが、人の情感が直接伝わる楽器だからですね。自分と楽器の間に何もない…ピアノだと鍵盤があってハンマーで叩いて音が出ますし、バイオリンやチェロは弓があります。クラシックギターは爪で直接鳴らせるんです。

‐だからこそ生演奏にこだわってきたんですね。

セゴビアさんや松田先生はこれまでに多くの作品を残しています。それはそれで素晴らしいのですが、生で聴くとその何百倍も素晴らしい…レコーディングでは、生演奏の良さは収録できないんです。お客さんと自分との息遣いというか、自分の演奏が乗って来たときにお客さんがキャッチしてくれる感覚…空気を挟んで対話をしているわけです。お客さんが、自分にいい演奏をさせてくれるんです。だからやめられないんです、演奏活動を。

‐その若狭先生が『スペインギターサウンドツアー』という10曲入りのCDをリリースしました。

きっかけは、コンサートが終わった後に僕は必ずお見送りをするのですが、お客さんから「CDを出さないんですか」と言われることが多くなってきたからです。さっきお話しした理由で「CDはそのうち」なんてごまかしてきたんですが、いつか僕もギターを弾けなくなるときが来るので、そのときにCDが残っていると「こういう風に弾いていたのか」と懐かしむのもいいかなと思って。作るからには生演奏に近づけたいと思って、一番信頼しているレコーディングエンジニアに頼んで収録してもらいました。

‐現在は北海道と札幌市の文化団体協議会の事務局長としても活躍されています。

だいぶ前から国際交流のお手伝いをしていたんですが、10年前から事務局長になってこっちの仕事が増えてしまって、生徒の数は制限しているんです。書道・絵画・彫刻・小説・舞踊…いろいろな人と接することで、自分にとっても楽しくて勉強にもなります。

‐国際交流といえば、今年ハルピン(中国黒竜江省)でコンサートをされるとか。

去年、ハルピンで北海道の美術館の作品を1か月間展示する美術展を開催しました。そのときに中国の担当者から飲み会に呼ばれて、ハルピンでコンサートをしないかという話になって。9月に4回コンサートをするので、その下見のために19日(取材日は3月15日)からハルピンに行ってきます。

‐4回もですか?

10日間で、4回違う場所で(笑)。それぞれ響き方をチェックしないといけないので、大変なんです。クラシックギターはマイクを通さず生で演奏するのが基本なのですが、中国ではマイクで拾うのが普通なんです。でも、クラシックギターは生でも綺麗に聴こえるんだということを知ってもらいたくて、生で演奏してきます。日本でも中国でも、やっぱり生演奏が中心に来てしまうんですよね。

 


《取材を終えて》

クラシックギターに出会って半世紀、師匠と呼べる存在とともに、自分自身の技術を磨きながら生徒たちにもギターを教えてきた若狭先生。教室を開いて四半世紀経ったタイミングで中国でギターを弾くことになり、それからはギター以外の文化交流も含めて、北海道・札幌の文化を中国に広めようとしています。

 

若狭先生の大師匠であるアンドレス・セゴビア氏はクラシックギターの概念を変えたギタリストで、その愛弟子で先生の師匠にあたる松田晃演氏も日本における第一人者。そんな二人の師匠に恵まれた若狭先生は、いつの間にか日中の文化の懸け橋を担う存在になっていました。

 

先日リリースされたCDを拝聴しましたが、クラシックギターの音色や運指はもちろん、息遣いも聴こえてくるような仕上がりになっています。「人の情感が直接伝わる」楽器・クラシックギターの魅力に、一人でも多くの人に触れてもらえれば幸いです。

 

【ライター・橋場了吾】

北海道札幌市出身・在住。同志社大学法学部政治学科卒業後、札幌テレビ放送株式会社へ入社。STVラジオのディレクターを経て株式会社アールアンドアールを創立、SAPPORO MUSIC NAKED(現 REAL MUSIC NAKED)を開設。現在までに500組以上のミュージシャンにインタビューを実施。 北海道観光マスター資格保持者、ニュース・観光サイトやコンテンツマーケティングのライティングも行う。