2017年7月、国連で核兵器を法的に禁止する「核兵器禁止条約」が採択されたのを知っていますか? 広島と長崎への原爆投下から72年、条約の採択は「価値の転換につながる大きな一歩」と語るのは、「ヒバクシャ国際署名」キャンペーンリーダーの林田光弘さん。
林田さんは長崎市出身の被爆3世で、明治学院大学の大学院生(休学中)です。25歳という若さながら、これまでに核兵器の廃絶を訴える「高校生平和大使」や、都内の大学生を広島・長崎へ案内するツアーなどの活動を続けてきました。
直近ではクラウドファンディングサイト「CAMPFIRE」で、核兵器禁止条約を採択する国連会議に被爆者を派遣するプロジェクトを立ち上げ、157万7000円の支援を得ることに成功。林田さんが、これらの活動にかける思いと今後の展望を聞きました。
林田光弘(はやしだ・みつひろ)さんプロフィール:
高校卒業まで長崎で「高校生一万人署名活動」に参加。2009年には「高校生平和大使」としてスイスジュネーブ国連欧州本部訪問。2010年には核兵器廃絶地球市民活動メンバーとしてNPT再検討会議に参加。大学入学後は、原発、特定秘密保護法、安全保障関連法等の問題に関心を持ち、仲間と「SASPL」「SEALDs」を立ち上げた。また、2015年にはNPO法人ピースデポのユースとしてNPT再検討会議に2度目の参加。現在は、被爆者とともに核兵器廃絶を求め活動を行なっている。
誰もが被害者にも、加害者にもなる
‐林田さんは今、どんなことに取り組まれていますか。
核兵器廃絶に向けたキャンペーンを主に担当しています。例えば渋谷のライブハウス「LOFT9 Shibuya」で、被爆者の方を招いたイベントなどを行っています。核兵器について考える敷居を下げたいからです。
核兵器をめぐる議論は、専門性が高いと捉えられがちですが、“皆にとっての問題”だから専門知識がなくても関わっていいことを、活動する側も伝える必要があります。
気軽に行ける場所、気軽にアクセスするWebサイトに情報がなければ知ってもらうことができません。ブログを書いたから、皆に読んでもらえるわけではないでしょう。
ですので、アーティストがライブをしているような身近に感じる場所で、イベントを開催しています。
‐クラウドファンディングを活用した理由は何ですか?
まず核兵器禁止条約が採択される国連会議に、被爆者の方を派遣したい気持ちがありました。禁止条約で議論の核となっているのは、“非人道性”です。
人間に使うものではないことを、人生をもって示してくれているのが被爆者の方です。だから被爆者が会場にいること、彼らを意識しながら条文を作ることが大事だと思いました。
こういう条約を求めていた当事者が、採択される瞬間に立ち会えないのは寂しいですよね。
クラウドファンディングを活用した理由は、禁止条約の採択や核兵器は被爆者だけの問題ではないからです。全人類の問題であり、僕ら日本人全員の問題なんですよ。
‐というのは?
北朝鮮のミサイル実験が話題になっていますが、北朝鮮に限らず、核保有国は常に核兵器を使用するという選択肢を持っています。
どの国が使用するかは違えど、世界中の市民の頭上に、いつだって核兵器が落とされる可能性があります。それは当然、私たち日本人も例外ではありません。
逆に、日本はアメリカの「核の傘」に入っているわけですから、私たちがどこかの都市を広島や長崎と同じくする可能性もゼロではありません。だから、私たちも確実に当事者なんです。
私たちが国のリーダーを選んで、そのリーダーが「核を使うこと」も考えているわけですから。
被爆者だけの問題になることは違和感があったので、一人ひとりが当事者として関わってくれたらと思い、クラウドファンディングで支援を募集しました。
(写真:クラウドファンディングでは、約157万円の支援が集まりました)
‐誰もが被害者にも、加害者にもなる可能性があるということですね。
支援してくれた方と継続的なつながりを作れるのもクラウドファンディングのメリットだと思います。
活動の報告や、新しい取り組みに誘えるのに加えて、支援した方も自分のお金で被爆者の方が何をしているかが分かります。この関係性は、理想的だと思いました。
「条約の採択は、価値変換への大きな一歩」
‐核兵器禁止条約の採択は、どのように捉えていましたか。
ヒバクシャ国際署名をスタートさせた時、禁止条約がこんなに早く採択されるとは誰も考えていませんでした。
これまで世界は米・露・中・仏・英を核保有国として定め、その他の国々の保有を禁止してきました。その体勢のもと、核兵器の数が減ってきたことも事実ですが、五大国の特権が永遠に続くのはおかしいという各国の不満はありました。
しかし五大国は経済的にも、軍事的にも強いので、パワーバランスは変わらなかったのです。
こうした状況の中で、近年「核兵器は非人道的だから、そもそも誰であっても使ってはいけない」という議論が広がりました。
禁止条約の採択はその文脈の上にあるため、これまでの価値観を転換することにつながると思っています。
‐五大国は加盟しない状態が続く可能性も考えられますよね。
条約は、加盟しなければルールから外れます。約束を破ったとしても、罰則があるわけでもありません。言ってしまえば、お互いの信用で成り立っているんですよね。
当面の間は、核保有国とその同盟国も禁止条約に加盟しない状態が続くと思います。これが世界の現状ですが、“核を持つことも、使うこともダメ”という明確な線引きができたことで、今までと違う流れになっていくことは間違いないと思っています。
‐国連会議に参加された被爆者の方の声は聞きましたか?
長崎で被爆した和田征子さんが、完成した条文を読んだときに「人間の血が通っていますね」と言ったんですよ。自分たちの血であり、亡くなった被爆者の方の血でもあると思うのですが、人間の顔が見える条文になっていたことは印象的でした。
和田さんと話して思ったのは、被爆者の方が伝えたい思想と禁止条約の中身が重なっていることです。被爆者の方々が言っているのは、「人間として核兵器を誰にも使わせたくない」という普遍的なメッセージなんですよね。
普通だったら「やられたら、やり返そう」という思想になっても、おかしくありません。
そうじゃなくて、被爆者の方々は「アメリカ人にだって、核兵器を使いたくない」と言います。“人間としての尊厳”みたいな部分を守るために活動してきた思想があるわけです。
禁止条約の条文も「人間に使うものではない(非人道的)」であることが軸となっていて、被爆者の方の思いとリンクしたことは非常に意義があるなと思いました。
当事者が中心となる初めての署名活動
‐ヒバクシャ国際署名について教えてください。
「核兵器のない世界を実現する」思いに賛同できる個人や団体が参加できる署名活動です。被爆者の方々が半年かけて署名用紙を作成し、2016年4月に始まりました。
特定政党を批判・支持するなど禁止事項はありますが、誰でも参加できて、独自に署名活動を行えます。
8月には共感していただいた団体が横のつながりを持つため、推進連絡会を発足しました。私は、推進連絡会の事務局として活動に関わっています。
(写真:ヒバクシャ国際署名のイメージ画像)
‐これまでの署名活動とは何が違うのでしょうか?
被爆者の方が、「呼びかけ人」なのは初です。被爆者は1人でなく、何十万人もいます。だから被爆者の声を1つの意志として代弁するのって難しかったんですよね。
‐当事者が動き始めたのはなぜでしょうか。
時期の問題だと思っています。被爆者の平均年齢は80歳を超えて、体験を語ることができなくなっていきます。この状況の中で、最後の運動として署名を選びました。
‐なぜ「署名」だったのですか?
被爆者の方々にとって運動の原点だからです。1954年にビキニ環礁で水素爆弾実験が行われたとき、日本の第五福竜丸が被爆しました。
その時の核兵器に反対する活動が署名運動で、後に「原水爆禁止世界大会」が生まれています。
被爆者という言葉が一般的に知られるようになった瞬間でしたし、被爆者の方々も活動に参加していましたが、あくまで呼びかけ人は、食事の安全性を心配した杉並区の主婦の方々でした。
また原水禁運動は、イデオロギーの対立で分裂してしまっています。今でも広島・長崎で「原水爆禁止世界大会」が行われていますが、ざっくり社民党系と共産党系に分かれています。反核運動というと、思想の色がつく流れが生まれてしまいました。
‐今回の活動は特定の色を持たせないようにしていると。
はい。ヒバクシャ国際署名に関してはイデオロギーや宗教、年齢も関係ありません。海外からも全て同じ署名で集めていますし、そこに意義があると思っています。
‐ヒバクシャ国際署名が目指すゴールを教えてください。
2020年までに億単位の署名を集めることです。この目標を聞いたときは「無理だろ」と思いました(笑)。
しかし、1950年の朝鮮戦争でアメリカとソ連が核兵器を使いそうになったとき、世界で5億の署名が集まった事実(ストックホルム・アピール)があります。前例もありますし、この目標の達成は不可能でないと思っています。
もう1歩前に進むアクションを生み出したい
‐長期的には、どのような未来を目指していますか?
キャンペーンリーダーとして全国を回っているのですが、日本人の核兵器廃絶に対するポテンシャルの高さを痛感しています。
活動をしてきたわけじゃないけど、「核兵器はヤバイ」という感覚の人ばっかりだと思うんですよ。これは日本だけです。
世界で唯一原爆が投下された国ですし、教科書には当たり前に載っていますし、核の問題について語れる人が、これだけ多くいるのも日本だけです。
他の国に比べて、圧倒的にポテンシャルは高いです。しかし専門分野化され、活動家のような雰囲気も出てしまい、この可能性を引き出す活動が生まれてこなかったのではないでしょうか。
イベントがあったら参加しようとか、関連する記事があったら読んでみようとか、1歩前に進めるような仕組みを作るだけで、状況は変わると思っているんですよね。
(写真:ヒバクシャ国際署名プロジェクトの皆さま。上段右から3番目が林田さん)
‐クラウドファンディングに取り組んだのも、その1つですね。
はい。支援してくれた方から「問題意識はあったけれど、行動しないまま大人になってしまいました。こんな形で支援できて嬉しいです」というメッセージを多くいただきました。
社会運動に普段は関わっていない層が、プロジェクトをたまたま見て支援してくれることは希望です。このような潜在的関心層に届くアクションを、どう作るかを考えないといけないと思っています。
‐ありがとうございます。最後に、活動への思いを教えてください。
被爆者の方々の体験を、とにかく後世に残したいです。被爆者の方々の生き方に多く触れてきましたが、いまだに語ることってハードルが高いです。
2017年で被爆者の方は約16万人いるのですが、語り部として活動しているのは一部です。
同世代からいじめられたり、社会的な差別を受けたりした中で、被爆者であることをカミングアウトして、看板を背負って生きることは相当大変だったと思います。
それでも被爆者の方々は、毎日のように体験を語ってくれるわけです。家に帰ったら母親がいなくて、骨も見つからないのに、足元にあった金歯を見て亡くなったことに気付いた人もいます。
思い出したくない1日じゃないですか。その体験を無理やり思い出し、何度も語るのは、それだけ伝えたい思いがあるからですよね。
被爆者の生き様を知ったからこそ、伝えたい意地じゃないですけど、責任感みたいなのがあって。これが僕を突き動かしています。