古くから日本人に寄り添ってきた日本酒。ですが、現在では消費量が減少し、酒造業者も全盛期の3分の1に落ち込んでいます。

 

そんな現状に対して立ち上がったのが、知る人ぞ知る酒どころ埼玉県にある石井酒造、8代目蔵元の石井誠さん。

 

日本酒を若い世代に知ってほしい。その一心で、日本酒の常識に挑み続ける30歳の若社長が抱える日本酒への思いを直撃しました。

 


 

「石井の坊ちゃん」、26歳で異例の社長就任

‐石井さんは現在30歳、社長就任は26歳でしたが、蔵元の平均年齢ってどれくらいなんでしょうか。

平均でいうと5~60代ですね。40代だと若手って言われているような業界です。

‐26歳で蔵元就任は異例の抜擢だったわけですね。当時、老舗の酒造を継ぐことに関してプレッシャーはあったのでしょうか。

就任から3年たちましたが、おそらく今でも業界最年少だと思います。当時は楽観的というか、むしろ20代で社長になれてラッキーだなと思っていました。なんならモテるんじゃないかと、不純な思いもありましたね(笑)でもやっていく中で、7代続いた看板の重みを感じて受け止めていくようになりました。

‐石井誠さんで8代目。もともと継ぐ気はあったのでしょうか。

ありました。僕の場合まれなんでしょうけど、ほかの仕事をしようとか、そういうことを思ったことはなかったです。幼稚園の時に文集で「おとうさんのあととりになる」って書いたんですよ。その頃から潜在的に思っていたようですし、中学生のころから自分のキャリアプランとしても「大学出てサラリーマン経験した後で酒造を継ぐ」っていうのがありました。そういった意味では、将来の夢が叶ったということですね。

‐老舗の息子と聞くと、両親や家族からのプレッシャーがありそうなイメージです。

親父から継ぐように言われたことはなかったです。日本酒は現在のところ斜陽産業と言われていて、会社数も減少の一途をたどっている。埼玉でも同様。そんな中だったので、親父はなんなら終わりにしても良いくらいに思っていたかもしれません。

圧力とか期待は、家族より周囲の声が多かったですね。「石井の坊っちゃんかい」みたいな感じでかわいがられて、子供の時はそれに鼻をかけて態度が大きかったりしましたけど(笑)、期待みたいなものは常に感じながら青春時代を過ごしていました。それが重荷に感じたこともあったんですけどね。こんな家に生まれてこなきゃよかったと思うこともありました。

‐20代で社長就任というのは想定していたのでしょうか。

いえ、時期は漠然としていました。30くらいに戻ってきて、しばらくしたら良いタイミングで自然にバトンを引き継げばいいかなっていう、なんとなくの想定はありましたが。親父が体調崩したっていうことがあったので、いつか引き継ぐんなら早いほうがいいだろうということで就任したということですね。

‐就任後、業界内の反応はどうでしたか?

異例の抜擢ということで、業界内では色んな声が挙がりました。不安視、疑問視する人もいましたし、「お飾り社長だろ」という声もありました。ですが、その反面で期待の声もいただきましたし、色んな思いが錯そうしていたという印象です。

‐「坊っちゃん」と呼んでいたのが「社長」になって、社員の方も困惑したのではないでしょうか。

社員の人たちも、いろいろ思うところはあったと思います。僕も全員年上なのに部下、という状況は経験したことがなかったので、葛藤した部分でもありますね。コミュニケーションをとりながら距離感を縮めて、意思疎通が出来ればなと思っています。本当に社員が僕のことをどう思ってるかはわからないので、現在進行形でそれは続いていますし、これからも考え続けていくと思います。

 

 

若旦那が見た業界の問題点とは

‐先ほど斜陽産業だと仰っていましたが、社長就任時に業界内で感じた課題感をお聞きしたいです。

まず圧倒的に閉鎖的だなと感じましたね。かつ保守的。日本酒造業って、昔からその土地の名士が携わっている場合が多くて、みんな殿様気質なんですよ。だから、自分たちの価値観でしか物事を判断していない、周囲の意見や取り組みをまるで取り入れないというような空気感があったんです。

‐わかるやつにはわかればいい、みたいな。

そんなもんじゃないです。「これがわからないやついるの?」みたいな。自分が間違いなく正解だと思っている、周りの意見なんて聞き入れない、そういう状況が今も少なからずあると思います。

‐まさに一国一城の主といった感じですね。

同業他社との会合で新しい施策を提案したこともあったんですが、「これがないからできない」「若いもんにはわからん」とかネガティブなことばかり先に掲げて、「できない」と結論付ける。すごく保守的だな、と感じました。そこから、何か手を打たなければいけないという危機感も生まれましたね。

なので、結果を残そうと。業界の中で”前例のないことはやりたがらない”っていう空気感があって、逆に前例があると真似してやりたがるんですよ。とにかく自分たちで結果を残して成功事例を残せば、みんなついてきてくれると思ったんです。

‐そこから、「二才の醸」プロジェクトにつながっていくわけですね。

 

日本酒をもっと親しみやすく

‐社長就任から約1年後の2014年10月7日、石井酒造による「二才の醸」プロジェクトがスタートしました。先ほど仰っていた業界内の問題意識のほかにも、このプロジェクトを始めたきっかけはあったのでしょうか。

単純に、自分と同じ同世代にもっと日本酒のことを知ってもらいたい、飲んでもらいたい、楽しんでもらいたいっていうのがありました。日本酒ってなんとなくおやじ臭くて、悪酔いするとか、飲みにくいとか。飲みの席で最後の方で出てきて煽られて飲んで2日酔いになるとか…そりゃ、そうなるわいと(笑)同世代のなかでも、日本酒に対して明るいイメージを持っている人が少なかったんです。でも、そうじゃないんだと。日本酒を飲むことって、かなりかっこいいんだぜっていうことをプロジェクトを通して伝えたかったんです。

‐20代チームでプロジェクトに取り組んだ、というのも特徴の一つでした。

市場で戦うことを考えたときに、自分たちの最大の武器が「若さ」だと思ったんです。今まで日本酒って「○○県産米使用」とか、「○○杜氏直伝」とか、スペックに付加価値が置かれることが多かったんですけど、そこに「年齢」という価値を送り込むとどんなリアクションがあるのかっていうのに興味がありましたし、そういった活動はいまだかつてなかったので、一つやってみようと思いました。

‐杜氏の和久田さん以外のメンバーは、外部から集めたのでしょうか?

そうです。自分のコミュニティで賛同してくれる優秀な人たちを募りました。1人はデザイナーで、過去に一度ラベルのデザインをしてくれたことがあって、今回も頼むよみたいな感じで。もう一人はクラウドファンディングでいくつも成功事例があった者をコンサル担当。あと一人、広告代理店に務めてるプランナーで、酒好きだったので、お金は払えないけど酒払いならできるっていったら、快く参加してくれました(笑)

‐酒払い、いいですね(笑)

 

(写真:20代チームにデザイナーとして参加した高山淳平さんのデザインしたラベル「豊明」)

 

(写真:石井さんたちの二才の醸プロジェクトは、10日というスピードで目標額の100万円の支援を達成。最終的には目標額の2倍にもなる206万9千円もの支援を獲得しました。)

 

 

‐全体を通して、感触はいかがでしたか?

 

当時、日本酒の酒造業者が自らクラウドファンディングをするという試みは僕らが初めてで、それがかなり功を奏したと思います。老舗がITを使うというようなコントラストが生まれて、メディアにもたくさん取り上げていただきました。業界外からの反応が多くあって、非常にやってよかったなぁと思いましたね。

‐目指していた、若い世代のファンは獲得できたのでしょうか

そうですね。お問い合わせいただいたほとんどの方が若い世代の方でしたし、プロジェクト中に20代の方を中心に応援メッセージが届いたりして、僕らの狙っているターゲットに対してかなり訴求できたんじゃないかと思っています。

‐その後も埼玉SAKEダービーにもつながっていきます

日本酒って固定概念が強くて、飲み方が制限されていると思われがちなんです。氷で割るなとか、途中で水飲んじゃダメとか。でも嗜好品なので、私は好きなように飲んでくれればいいと思っています。埼玉SAKEダービーでは、そんな、「日本酒ってもっとフランクに飲んでいいんだよ」っていうのを伝えたかったんです。

それに、酒どころというと新潟や秋田のイメージが強いんですが、埼玉って巷では「隠れた酒どころ」と言われているんです。でも、こちらとしては隠れているつもりは毛頭ない。埼玉にもおいしいお酒がたくさんあるというのを紹介したかったんです。なので”埼玉にまだ知らない光る原石のような日本酒を発見して、味わってほしい”という思いを込めて、造る酒を「彩の原石」と名付けました。

‐今後の構想は?

まだお伝えできないんですけど、3月28日に新しいプロジェクトを立ち上げる予定でいます。そこでは、日本酒があまり飲まれない夏に、もっと日本酒に親しんでもらえるような提案をしたいと思っています。

 

石井酒造さんの新プロジェクト、スタートしました!詳細はコチラ

 

最高の「いいヤツ」をみんなに紹介したい

‐今年で就任4年目、業界内で変化を感じる瞬間はありますか?

若い世代、とりわけ女性の方が試飲会に来てくれるようになりました。海外で日本酒のブームがあったり、クールジャパンのあおりがあったりして、それが影響してるのかなと思います。それと、僕らよりも早く、先駆者として価値を生み出そうとしてきた先輩たちの、並大抵でない努力が実を結んでいるんだと思います。

 

(写真:石井酒造から今春発売開始したスパークリング日本酒「花あかり」 女性の方にも飲みやすいさわやかな味わいと、かわいらしいパッケージが特徴です)

 

‐最後に、石井さんにとって日本酒とはどんな存在ですか?

これは、日本酒に限らずではあるんですけど「いいヤツ」だと思っています。お酒って冠婚葬祭やお正月、お盆、時節に限らず出てきて、人間の喜怒哀楽全ての感情において寄り添ってくれる。どんなに仲の良い友達や彼女、奥さん、近しい人よりも、お酒は私たちのそばにいる「いいヤツ」。今まで、飢饉があろうと戦争があろうとお酒は生き残ってきた。なぜかというと「いいヤツ」だからなんです。なのに、そんな日本の誇るべき「いいヤツ」が、「いいヤツ」として浸透していないのは、凄く残念だなと思います。

伝統は革新を積み重ねてこそ受け継がれる、これはぼくが大学時代に全国の酒造巡りをして実感したことです。僕たちも、決して守りに入ってはいけない。みなさんに最高の「良いヤツ」紹介するために、新しいプロジェクトをどんどんしていきたいと思っています!