Vintage Coca Cola Bottles 9/5 photo by cielodlp
沖縄を代表する工芸品「琉球ガラス」。沖縄の美しい背景を想像させる美しいガラスの誕生には、戦後の歴史が密接に関わっている事をご存知でしたか?
琉球ガラス研究をしている一橋大学大学院の清水友理子さんに、その歴史を語っていただきました。
-沖縄でのガラス製造が始まったのはいつ頃なのでしょうか。
沖縄でのガラス製造、明治の中期頃から始まったと言われています。
この頃はガラスを再溶解をして製造を行っていたのですが、現在の那覇市にある奥武山公園の側にあった「玉井ガラス」が、沖縄で最初のガラス工場と言われています。
この時は、主に無色透明の生活雑器ガラスがつくられていました。
-第二次世界大戦中はどのような状況だったのでしょう。
第二次世界大戦中、沖縄本島は甚大な被害を受け、街が焦土と化しました。
この沖縄戦によって明治から続いていたガラス工場も、すべて消失してしまったのです。
終戦後の沖縄では圧倒的に物資が不足していました。
そんな中、米軍の人が消費していたコーラの空き瓶を回収し、戦前ガラスの製造に従事していた職人たちが、工場の運営を再開させました。
-コーラの空き瓶!現在のカラフルな琉球ガラスのイメージからすると意外なエピソードですね。
戦前製造されていたガラスは無色透明だったと先ほども言いましたが、戦後はコカコーラのガラスの薄い緑色や、ビール瓶の茶色をそのまま活かして作りました。
戦前から戦後までの沖縄ガラスは無色透明だったと言いましたが、色がつき始めたのはコーラ瓶などの色ガラスの廃品が出回るようになってからだそうなんです。
©ゆいまーる沖縄株式会社
今でこそ沖縄の海のように美しい青のガラスや夕焼けを意識した赤色のグラスといった評価をされていますが、誕生には戦後の沖縄の歴史が深く関わっています。
米軍の間で広まっていった「RYUKYU」のガラス
-コーラの瓶で復活し始めた沖縄のガラスは、その後どのように広まっていったのでしょうか。
まず、米軍の人々に広まっていったことが大きなポイントになります。
きっかけは戦後沖縄に駐留していた米軍関係者がガラス工場に見学に来ていたこと。
当時の職人が作っていた灰皿やコップなどの日用雑貨が、軍関係者の中で評判を呼び、おみやげとして非常に売れたそうです。
そして、米軍の人々から様々な形のガラスが注文されるようになります。
職人たちは、欧米の生活に合わせた食器、たとえばパンチボウルセットやワイングラスなどを試行錯誤しながら仕上げていきます。
これらの経験から、沖縄のガラス工芸の技術は飛躍的に発展していきました。
-当時の米軍の人々に、沖縄のガラスはどのように映っていたのでしょうか。
(写真:Star and the Stripesに掲載された記事 提供:清水友理子)
当時の米軍関係者とその家庭向けに発行された新聞「Star and the Stripes」(星条旗新聞)1960年1月に、「Old Bottle Into Art(廃瓶がアートに)」という記事が掲載されました。
その記事内には、奥原硝子製作所の様子、どこでどのような物が作られているのか、資材が廃瓶でありどんな場所から取ってくるのか。
そしてその製品はどこで売られているのか、といった内容です。
そして、この記事のポイントは廃瓶を再溶解してつくったガラスを評価していることです。
-「琉球ガラス」の名称が誕生したのはいつ頃なのでしょうか。
昭和30年代の後半、米軍向けのみやげ品としてガラス製品の規模が拡大し、生産されていくガラスには通称がなく、作られた工場の名前を冠して、『○○ガラス』『××ガラス』のように呼ばれていました。
今のような「琉球ガラス」という総称が決まったのは、1983年に圏内6つのガラス工場が集まって協同組合を結成してからなのですが。
それ以前から沖縄の工芸として海外向けに「RYUKYU GLASS」として売られていました。
-それは何故なのでしょうか。
当時アメリカに輸出していたガラス製造所が「OKINAWA GLASS」として海外に輸出していたそうなのですが、昭和37年頃には「RYUKYU GLASS」としてアメリカ本国に輸出していたそうです。
©ゆいまーる沖縄株式会社
-琉球ガラスの誕生のきっかけと考えて良いのでしょうか。
はい。琉球ガラスが「琉球王国」時代にルーツを持たないにも関わらず、「琉球ガラス」という名称で固まったのは、協同組合が結成されたことで「琉球ガラス」の名称が確立された一方、先に述べた「RYUKYU GLASS」という側面も持っているからだと言えるでしょう。
「琉球ガラス」の誕生には、戦後沖縄の歴史が深く関わっている。
その背景にある歴史を知ると、単にきれいな工芸品とはちがった目線で琉球ガラスを見ることができるのかもしれません。
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