皆さんは「札幌軟石」という建築材をご存知でしょうか?実は私の住む札幌でも、ここ数年急激に知名度が上がってきた石です。


この「札幌軟石」は、4万年前に噴火した火山の火砕流が蓄積してできた石で、耐火性に優れているだけでなく水がしみ込みやすいのが特徴。木造建築による火事が多く起こった明治時代に重宝され、北海道における歴史的建造物にもよく使われている石です。


その石の端材を雑貨として利用することで観光資源につなげているのが、札幌市南区石山(札幌軟石の産出地であることからこの名がついた)で『軟石や』を営む小原恵さん。小原さんが札幌軟石に魅せられたきっかけから、なぜ観光資源として脚光を浴びるようになったのかを伺いしました。

橋場 了吾
1975年、北海道札幌市生まれ。 2008年、株式会社アールアンドアールを設立。音楽・観光を中心にさまざまなインタビュー取材・ライティングを手掛ける。 音楽情報WEBマガジン「REAL MUSIC NAKED」編集長、アコースティック音楽イベント「REAL MUSIC VILLAGE」主宰。

小学生のころから質問攻め、筋金入りの軟石好き

‐小原さんと軟石の出会いはどのようなものだったのですか?

もともと父の出身が小樽で、祖父母が住んでいた実家に帰るときに軟石でできた建物を見かけて、子どもながらに『カッコいいな』と思っていたんですよね。

特に好きな建物というのはないんですが、親と一緒に出掛けたという思い出の中に軟石の建物があるんです。

軟石が好きだという方々の多くが、軟石との思い出を持っているようです。幼稚園が軟石だったとか、実家が軟石だったとか……

自分の記憶の奥底にある、楽しい思い出と軟石が合わさっているからが多いのかなと思います。

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‐とはいえ、軟石に携わる仕事はなかなかないと思うのですが。

実際、20代のころは軟石とは関係のない仕事をしていて、30代くらいから軟石の建物で何かをしたいと思うようになりました。

場所も、コンテンツもわからなかったんですが、とにかく建物は軟石だと(笑)。その頃には、少しずつですが軟石の建物を利用した商店が出てきたんですよね。

それで、軟石の建物の空き家を探していました。ずっと狙っていた建物は、残念ながら老朽化で壊されちゃったんですけど。

‐でも夢はあきらめきれず、ですか。

実は、たまたま私のいとこが辻石材(石山にある石材店で、札幌軟石の採石場を持っている)の社長と結婚していて。

私が小学生のときに結婚したんですが、その頃から『石ってどうやって切るの?』と質問責めにしていたそうで(笑)。

で、ちょうど前の会社を離れるタイミングで声をかけてもらって2012年に入社することになったんです。

‐ついに軟石を扱う仕事についたんですね。

 そうなんですが、配属は経理でした(笑)。初めての経理で大変だったんですが、早く仕事を覚えて、経理の仕事もしつつ軟石に関わることをしていこうと。

それでホームページに自分で調べた軟石のことを掲載しようと思って、採石場に行って職人さんにいろいろ聴いて、軟石のことをわかりやすく伝える工夫をしました。

そうするとアクセス数が増えてきたので、今度は採石場への見学者を増やそうと思い、ワークショップを開いたんです。

‐少しずつ山から下りて、お客さんに近づいていく感じですね。

そのときに軟石のマグネットを作ったんですが、それがすごく売れたんです。でもアンケート結果によると、南区に住んでいる50代以上の方々しか札幌軟石の存在を知らなかったんです

『このまま行ったら、10年後に札幌軟石を使って家を建てる人はいなくなるな』と思って、会社のPRも兼ねて軟石のマグネットを配り始めました。

そうすると『このマグネットは誰が作ったんですか?』と会社まで会いに来てくれるようになったんです。

採石場にも見学者が増えて、職人さんの作業に拍手をする風景も見られるようになりました。

‐現場にまで良い効果が出たんですね。

はい、それまで黙々と作業をしていた職人さんの意識も変わっていったんです。札幌軟石の歴史は140年近くあるのですが、『伝統工芸』という意識はなかったんですよね。

それが『自分たちが、札幌軟石の歴史をつないでいるんだ』という意識がついてきて、見学者へのサービスに変化が起きました。

石を切り出す実演に始まり、今まで処分していた端材も商品になり、送り手にとっての札幌軟石の価値も変わったんですよ。

 

子どもたちの固定概念を「割る」石

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‐その後独立されて、今に至るという形ですか?

最初は、障碍者事業をしている会社から軟石の加工をやらせてもらえないかというお話をいただいて、それでその会社で発寒(札幌市西区)に工房を立ち上げてもらったのが2014年です。その1年後に今の場所に移ってきました。

‐石山という札幌軟石の故郷に戻ってきたんですね。

そうなんですよ。この場所はもともと民家で『いいな』とは思っていたんですが、ずっと空いていなかったんです。

それが引っ越しのタイミングで空きが出て、即決しました。

‐小原さんの作る雑貨の多くは、家の形をしていますね。

これは、札幌軟石はもともと家を作るために使用されていたという歴史を知ってもらうためです。

そして、水が沁み込みやすい性質を持っているので、火を使わないアロマポットにしました。

北海道の寒さをしのぐためには火が必要だったわけですが、開拓時代の技術では木の家は火が移るとすぐに燃えてしまいます。

そこでお雇い外国人が石を使った家づくりを薦めて、札幌軟石が重宝され需要に供給が追い付かない時期もあったようです。

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‐こちらの工房では販売もされていますが、そのほかにはどのような場所で売られていますか?

 地元の素材ということもあり、北海道内のお土産屋さんからのオーダーで今は20店舗ほどに置いていただいています。あとはワークショップですね。

‐軟石を使った雑貨作りが体験できるんですね。

はい。ありがたいことに注文が増えてきて、家の形に絵を書くのが追い付かなくなってしまって。

それで、ワークショップでお客さんにオリジナルの絵を書いてもらおうと。

作ったものをSNSで知らせてくれるようになって、色々な方々に伝わっていった感じですね。

‐子どもたちにも人気だと聞きました。

子どもたちにとって、石は手では割れないという固定概念があるんです。

ワークショップで『手で割ってみてよ』というと、子どもたちは『割れるわけないじゃん』と答えるんですが、実際は簡単に割れます(笑)。

そうすると目の色が変わって、面白がってくれるんですよね。固定概念が覆すことで、より興味を持ってくれているようです。

 

石山全体の地域活性化につながれば

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‐海外からの観光客が増えている札幌ですが、影響は出ていますか?

実は、もうすぐタイの人気番組が取材に来てくれるそうです。札幌の中では、いわゆる観光地には入っていない石山なんですが、札幌市の方が『札幌らしいもの』として推薦してくれたみたいで。

札幌の中心部から離れたこの場所に、海外からの観光客がたくさん来たら楽しいですよね。

‐札幌の観光資源が、またひとつ増えますね。

その取材の件を石山の方々に伝えたら『じゃあ、ウチも何かしないと』ってすぐに動いてくれる町なんですよ。

石山全体が、観光客にとって楽しめる場所にならないかと今まちづくりセンターでも相談しているところです。

‐札幌軟石を活用した地域の活性化につながりそうですね。

私は、単に軟石の雑貨を買ってもらうというよりも、この場所に来たという思い出も一緒に買ってもらえたらと思っています。

お客さんとのコミュニケーションを通じて、石山の面白い場所を紹介して、そのお客さんがまた発信してくれる……それらを繰り返して、石山が1日楽しめるスポットになってくれればいいなと思っています。

 


【取材を終えて】

石山という場所は、平野部が多い札幌では珍しく山や川に囲まれ、単独の町を形成している場所です。その石山に、140年以上続く札幌軟石を紹介する場所ができました。不思議な縁でつながった『軟石や』は、地域観光の活性化のモデルケースになる可能性を秘めていると思います。

 

それは石山という場所の特異性はもちろん、小原さんの札幌軟石への思いがあるからこそ。札幌軟石でできた家はどこか温かみを感じさせますが、それは小原さんの作り出す作品も同様です。

 

札幌に来て食を楽しむもよし、時計台や大通公園を訪問するもよし。その中で、ちょっとだけ足を延ばして『軟石や』にも訪問してもらえればと思います。札幌という街ができる遥か昔からこの場所に堆積していた、札幌軟石のぬくもりを感じることができるはずです。

 

【ライター・橋場了吾】

北海道札幌市出身・在住。同志社大学法学部政治学科卒業後、札幌テレビ放送株式会社へ入社。STVラジオのディレクターを経て株式会社アールアンドアールを創立、SAPPORO MUSIC NAKED(現 REAL MUSIC NAKED)を開設。現在までに500組以上のミュージシャンにインタビューを実施。 北海道観光マスター資格保持者、ニュース・観光サイトやコンテンツマーケティングのライティングも行う。