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日本茶だって多様でいい 茶畑とNYを往復して見つけた「本物」

 

 

日本を代表する飲み物、日本茶。近年の抹茶ブームもあり、海外でもヘルシーな飲み物としてよく知られるようになってきた。しかし「ジャパニーズティー」というブランドイメージだけが独り歩きし、その産地やクオリティは統一されていないのが現状だ。

 

文化としての日本茶の高まりと、実際の産地や作り手との乖離。その現状をニューヨークで知った洪秀日(ホン・スイル)さんが「本物の日本茶を伝えたい」という思いで立ち上げたのが、新しい日本茶ブランド「NODOKA」だ。

 

日本茶や茶葉について、茶葉農家さんにいちから教わったという洪さんが作った「急須がいらないお茶」NODOKAが日本茶界にもたらす可能性。そこに込められた洪さんの思いを伺った。

 


 

「つなぐ」可能性を求めてニューヨークへ

 

その日、洪さんと待ち合せたのは渋谷の「LAND Seafood」。NODOKAのほうじ茶を使ったティラミスが食べられるレストランだ。出てきたほうじ茶ティラミスは意外と大きめ。食べた瞬間にほうじ茶の香りがフワッと鼻から抜ける、甘さ控えめのスイーツ。

 

 

 

「回転寿司などにある粉茶と同じものだと思われることが多いのですが、あちらはお茶の葉を切断するときに出る粉を集めたもの。NODOKAはあえて茶葉をまるごと粉末にしているので、全く違うものなんです」

 

NODOKAの一番大きな特徴は、粉末状であるということ。急須いらずでお湯や水に溶かして飲むことができるのはもちろん、ティラミスのようなお菓子や調味料として、「茶葉をまるごと食べる」お茶として活躍の幅も広い。

 

 

次から次へとNODOKAのアレンジを教えてくれる洪さんは、まるで茶葉農家の跡取り息子が茶葉の新しい活用法としてNODOKAを生み出したかのようだった。しかし聞くと「NODOKAを始めるまで、お茶については何も知りませんでしたよ」と笑った。

 

そんな洪さんが日本茶に興味を持ったのは、日本ではなくニューヨークでのことだという。イメージしがちな「農家との出会いから」どころか国外でその魅力を突き詰めてきたという背景に、ますます興味が湧いた。

 

 

「大学を卒業して、最初は小さな税理士事務所で働いていました。個人や小さな法人を相手に仕事をしていたので、そういったあまり大きくない、日の当たらない人に寄り添った仕事にやりがいを感じていました。もともと海外に興味があったので、そのあとはタイのバンコクで1年ほど働いていました」

 

大学卒業後、税理士事務所や海外での勤務を経験した洪さん。日本に帰国後入社したのはJapan Expoという会社の日本支社だった。その仕事を通じて日本の作り手との接点を持った洪さんは次第にある想いを抱え始めた。

 

「想いを持って作っている人たちにたくさん出会って、自分は作ることはできないけど架け橋になってつなぐことはできるんじゃないか、という思いはずっとありましたね。それと同時に海外で日本のものを求めている人が多くいることも知り、可能性も感じていました」

 

日本のものを海外へ。その可能性を感じつつ、やはり実際に住んでみないとユーザーのことを本当の意味で知ることはできないのではないか。そんな考えから洪さんはJapan Expoを辞め、単身で渡ったニューヨークでの経験が自身にとっての大きな転機となる。

 

 

日本茶、そして農家さんとの出会い

 

「ニューヨークに行ってみたら才能がある人はいくらでもいるし、自分は何かを作れるわけじゃないと感じました。でも『自分がやりたいこと』と『求められているもの』が一致するのは、つなぐことだと思ったのでまずは小さい仕事から始めました」

 

ニューヨークにいる日本人というポジションを活かして、イベント企画やリサーチなどを始めた。企業から頼まれる日本酒などの試飲会を企画してフィードバックを送るなど、日本の魅力を世界に広める活動をおこなったという。

 

「今思うと、なんでも屋さんみたいな感じでした。そのときに『これって自分じゃなくても代わりがきいちゃうんじゃないかな』と思ったんです。そこで『あなたは何をしているの?』って聞かれたときに答えられる、自分なりのブランドが持ちたいという考えに変わっていったんですよね」

 

そんなときに洪さんが出会ったのが「日本茶」だった。ふと手にとった商品は「ジャパニーズティー」という名前にも関わらず、「MADE IN JAPAN」ではない他の国の茶葉だった。

 

「買う人からすれば別にいいと思うんですよ、ちゃんとしたおいしいものだから。でも日本茶という認められた文化のいいところを取られてしまったような、もどかしさがありました」

 

 

「日本で生まれ育った個人的な感情論でしかないんですけどね」という洪さんの気持ちは、私にもわかるような気がした。「日本でつくられた日本茶を伝えるブランドを作る」。そう思ったものの、お茶について知識がなかったという洪さんは日本に一時帰国、お茶屋さんや企業に見学をお願いして回った。

 

「茶葉になるプロセスをいろいろ見せてもらったんですけど、誰が作っているのかがわからなかった。それで静岡の茶園を訪ねていったときに、増田さんに出会いました」

 

増田さんは今のNODOKAの茶葉をつくっている静岡の茶葉農家さん。実は難しいと言われる茶葉の有機栽培に力を入れている数少ない農家さんだ。ニューヨークからやってきた洪さんを受け入れ、茶葉について、日本茶業界について、いちから教えてくれたという。

 

「増田さんがいなかったら、NODOKAはできていない。そのくらい大きな存在ですね。その時点でプロダクトとして『いける』というより、『いきたい』という気持ちのほうが強かったです」

 

 

ニューヨークに戻り、サンプルの試飲などを繰り返す中で気が付いたのは、ニューヨークの人々は急須を持っていないということ。そしてどのくらいの量の茶葉を、どのくらいの温度のお湯で淹れるかも知らないのだと。こだわって作られた素晴らしい茶葉が、それだけで人々に届かなくなるのは、もったいない。

 

「それじゃあ粉末にしてみて、お湯に溶かすだけにしてみよう」

 

こうして生まれた急須いらずの新しい日本茶NODOKA。そして、この商品には洪さんならではの価値観が込められていた。

 

 

 

人もお茶も、いろんな魅力があっていい

 

「やっぱり日本茶は、ちゃんと茶葉から淹れて飲むものだという人もいます。そしてそれとは対称的にペットボトルのお茶でいいという人もいて、今、日本茶って二極化していると思うんですね。NODOKAはそこに、また新しい日本茶の楽しみ方を提示したいんです」

 

洪さんは、茶葉から淹れて飲みたい人もペットボトルでお茶を飲む人も、否定しない。NODOKAは有機栽培の茶葉を使っているが、人々にその価値観を押し付けることもしない。「いろんな楽しみ方があっていい」という考えは、韓国籍の洪さんの生まれ育った環境が影響しているのかもしれない。

 

「生まれや育ちが日本でも、日本では純粋な日本人とは思ってもらえない。だからといって、韓国に行っても韓国人として扱ってはもらえないんですよね。昔は、じゃあ自分はなんなんだって思っていたこともありました」

 

どこへ行っても「違うもの」として見なされてしまう辛さは、その境遇になってみなければわからない。しかしニューヨークを訪れた洪さんが驚いたのは、逆に「違うもの」であることを求められた経験だった。

 

「ニューヨークに行ったとき、逆にみんなと同じではなくて『自分は何が特別なのか』が存在価値になることを感じました。NODOKAを販売しているときも『なぜこのお茶じゃなきゃいけないのか』『どうして君から買うべきなのか』と、たくさんの人に聞かれました。『みんなと同じ』では何も考えていないと見なされるんです。そういう経験から初めて、違っていていいんだって思うことができましたね」

 

人もお茶も、多様でいい。その考え方は世界で受け入れられ、日本茶の新しい1ページをつくっていく存在になっていくだろう。

 

 

冒頭のほうじ茶ティラミスを始め、洪さんはNODOKA単体での販売と平行してコラボレーションに力を入れている。お菓子や料理、オリジナルカクテルまで、関わる商品やイベントも幅広い。

 

「お茶や食で国も人種もつなぐことができるということが、ニューヨークや日本での活動を通して実感していることなんです。逆に言うと、お茶だけではたくさんのことはできない。だから今は、お茶を通して人をつないでいきたいと思っています」

 

でも実は、と言って洪さんははにかむように続けた。

 

「NODOKAの活動を始めてから、本当にたくさんの人に出会って、自分ひとりではわからなかったことも、多くの人が教えてくれました。『日本茶を伝えて、人々をつなぎたい』と思っていたはずなのに、実際はお茶がたくさんの人とつなげてくれたなっていうのを強く感じています」

 

日本と海外、伝統と革新、そして飲む人と作る人をつなげるNODOKA。その「つながる喜び」を人々に伝えたい。洪さんはそう言って、最後のほうじ茶ティラミスをゆっくりと口に運んだ。

 


 

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ウィルソン麻菜

1990年東京都生まれ。製造業や野菜販売の仕事を経て「もっと使う人・食べる人に、作る人のことを知ってほしい」という思いから、主に作り手や物の向こうにいる人に取材・発信している。刺繍と着物、食べること、そしてインドが好き。