30年以上にわたり勤めた農林水産省を辞め、民間企業に移った方がいます。伊藤園 常務執行役員で、CSR推進部長の笹谷秀光さんです。笹谷さんは社会課題が複雑化している日本において、今企業に求められる経営戦略に「発信型三方よし」を掲げます。



「発信型三方よし」は、何を意味するのか? 持続可能性に関する考え方は、世界的にどのように変化してきたのか。企業と社会との接点を追及する中で、笹谷さんが見つけた“地方創生”というライフワーク、そこから導き出した答えを聞きました。



笹谷秀光(ささや・ひでみつ)さんプロフィール:

1977年農林省(現農林水産省)に入省。環境省大臣官房審議官、農林水産省大臣官房審議官、関東森林管理局長を経て2008年に退官し、伊藤園に入社。経営企画部長、取締役などを経て14年7月から現職となっている。サステナビリティ日本フォーラム理事、日本経営倫理学会理事、グローバルビジネス学会理事。まちてん2016,2017実行委員長。

「持続可能性・新時代といっていい」

‐「発信型三方よし」とは何を意味しているのですか。

課題先進国の日本において、社会に良く、経済的価値も生み出すためには、昔ながらの「三方よし」が活用できると思いました。「自分よし、相手よし、世間よし」ですね。

しかし三方よしには、大きな課題があります。江戸時代からの考え方ですので、“徳と良いことは隠す”という日本独特の文化(陰徳善事)があったことです。

‐見返りを期待せずに、良いことをするみたいなイメージですね。

はい。陰徳善事は江戸時代だったら良いのですが、グローバル時代には通用しません。発信を加えることで、三方よしが現代にも活きて、より高い成果を得ることにつながります。

例えば発信を行うことで、同じ思いを持つ仲間が増えますよね。

そこから生まれた会話やコラボレーションが、私はその後のイノベーションにつながると思っています。

‐その考えは、どこから生まれたのでしょうか。

伊藤園に入社してから、知的財産部長、経営企画部長を経て、CSR推進部長となっています。

中期経営計画の策定にも携わる中で、ちょうど社内の流れとしてCSR(企業の社会的責任)に関心が高まり、伊藤園としても強化していこうとなりました。

その過程で、ハーバード大学のマイケル・E・ポーター教授が提唱した「CSV(共通価値の創造)」と出会ったことが、1つのヒントになっています。

端的にいうと社会課題解決をしながら、利益にもつながる戦略を持つべきという考え方です。

非常に魅力的な考え方だと思っていたのですが、よく考えてみると三方よしに近い概念でした。だからアメリカ発の考え方を、日本にうまく置き換えられないかなと考えたのが始まりです。

 

(画像:CSVの考え方)

 

‐企業の社会的責任って、歴史的にどう変化しているかイメージができません……。

私が伊藤園に入社してから、世界的に激しい変化が起こっています。まず国際標準化機構(ISO)が、2010年に組織の社会的責任に関する国際規格「ISO26000」を発行しました。

CSRのガイダンスのようなもので、読み込んでみると非常に良くできています。

ISO26000では、社会と環境の持続可能性を配慮するべきということが明確にされただけでなく、本業を主軸にするべきと記されています。

慈善的な活動も否定はしないけれど、本業力を活かすことで「継続性」や「らしさ」が生まれるという意味です。

‐その後、2011年にはCSVが提唱されたわけですね。

はい。世の中がCSRに取り組みながら、CSVで経済価値を見いだそうという流れになる中、2015年には国連が「SDGs(持続可能な開発目標)」を定めました。

全ての人にとって持続可能な世界を構築するため、2030年までの“17の目標”が設定されています。持続可能性を考える上での世界共通言語として位置付けられるといわれています。

‐たくさんありますね……。

最近では、ESG投資が注目を浴びていますよね。「Environment(環境)」「Social(社会)」「Governance(ガバナンス)」の頭文字をとったもので、長期保有の投資家はESGに取り組む企業に投資する流れが加速しています。

GPIF(年金積立金管理運用独立行政法人)も、ESGを投資プロセスに組み入れる「責任投資原則」に署名しています。

これまで挙げたようにISO26000が発行されてから、社会環境の持続可能性に対して世の中の要請が急激に高まっています。「持続可能性・新時代」と言っていいでしょう。

 

 

顔の見える企業になることが大切

‐伊藤園としては、具体的にどのような取り組みをされてきたのでしょうか?

2010年からISO26000をガイドラインとしたCSR体系の導入を進めて、SDGsを組み込みんだCSR/CSV経営を実践しています。

2015年からは、財務情報と非財務情報(CSR報告書など)をまとめた統合報告書の作成を始めました。英語版も発行しています。

 

(画像:伊藤園におけるCSRへのSDGs導入の考え方)

 

‐難しい……。具体的な事業としては何かありますか。

 茶産地育成事業が挙げられます。茶葉製品の消費量は増加していますが、生産現場では就農人口、茶園面積ともに減少しています。

就農者の高齢化や後継者不足、耕作放棄地の増加が深刻化しているのです。この事業では、さまざまな地域の茶農家と契約栽培に加えて、耕作放棄地も利用した茶園の育成(新産地事業)も進めています。

それらの茶葉を全て買い取り、栽培ノウハウや生産技術も提供することで農家は経営が安定し、伊藤園は高品質で安定的な茶葉を調達できるだけでなく、雇用創出や耕作放棄地の活用につなげています。

‐まさに「発信型三方よし」ですね。

製造後に排出される茶殻を利用した「茶殻リサイクルシステム」も始めました。

これまでも肥料や飼料に活用してきましたが、新たなリサイクル方法の研究を進めたことで、ダンボール、あぶらとり紙や紙ナプキン、樹脂など一部の日用品に展開できています。

‐これらに取り組んだことによる成果はありましたか。

これらの取り組みが評価されて、2013年に「ポーター賞*)」を受賞。2016年9月1日号のビジネス誌『FORTUNE』では、「世界を変える企業50社(50 Companies That Are Changing The World)」で18位に選ばれました。日本企業は、2社しかいません。

*)ポーター賞:日本企業の競争力を向上させることを目的として、一橋大学大学院 国際企業戦略研究科が2001年に表彰制度として創設。賞の名前は、競争戦略論の第一人者であるマイケル・E・ポーター教授に由来している。

‐他の国内企業は、このような取り組みを行っていないのでしょうか。

社会課題の変革と事業課題を結び付ける取り組みは、他の国内企業も取り組んでいます。

しかし“発信”の視点が、若干弱いかもしれません。継続的に情報発信に取り組む努力をすることで、世界で評価される国内企業はもっと増えると思っています。

‐「発信」という視点では、日本企業は保守的なイメージがあります。

陰徳善事の精神が、まだまだあるかなと。日本人の美徳で良いことだと思うのですが、企業はマルチステークホルダーとの関係の中で動いている組織なので、発信しなければ価値が見えなくなってしまいます。

どんな思いで、どんな活動をしているかストーリーを伝えることで、顔の見える企業になることが大切ではないでしょうか。

ストーリーを伝えることができたならば、各ステークホルダーは“持続可能性に寄与している企業を応援したい”となるはずです。

これにより共感度が上がり、結果として企業価値の向上につながる、こういう良い循環が生まれると思っています。

 

(画像:「発信型三方よし」のイメージ)

 

‐なるほど……。

一方で、発信する企業も少しずつ増えています。1つの例が「財務データだけでは価値が分からない」「色んなCSR活動をしているけれど、財務データにどう反映されているか知りたい」といったニーズに対応する形で、統合報告する企業が増えていることです。経営者で発信する人も増えましたが、欧米に比べると十分じゃないかもしれないですね。

 

 

「企業や地方自治体の橋渡しをしたい」

‐これまでの話は企業だけでなく、新しい取り組みを始める組織全てに共通でいえることだと思いました。他に大事と考えていることなどはありますか?

関係者との連携です。先ほども述べたように社会課題が複雑化して、昔のように1つの企業、1人の人間で可能だったことが、皆で協力しないとできないことが増えました。

地方創生の戦略でもいわれていますが、今までの「産官学」という言葉に金融界、労働界、言論界も加えた「産官学金労言」の連携強化が必要です。

言い換えると、お互いに力を合わせて新しい価値を創造する「協創力」が必要になってくると思っています。これを事例分析してまとめたのが拙著「協創力が稼ぐ時代」です。

‐個人や小さな組織でも、発信力や協創力といった意識を持つことで企業や行政とつながり、どんどん良いサイクルが生まれていくということでしょうか?

はい。地方創生まちづくりフォーラム「まちてん」の実行委員長を2016年から務めているのですが、地方創生の現場でも良い事例が多く出てきました。

まちてんは、このような活性化事例の結集となっていて、2017年は地方自治体の取り組みに焦点を当てる予定です。

渋谷ヒカリエで12月8~9日に開催されるので、興味のある方はぜひ来てみてください。Facebookページも展開しています。

‐地方創生にも個人として関わっているんですね。

私のライフワークになりつつあると思っています。片側では、企業人としてCSRとかCSV、SDGs、ESGと全部横文字ですが、企業が社会との接点をどう強めるかについて取り組んできました。

これらの経験を応用できる局面が重要な社会課題である地方創生になるかなと。伊藤園は「世界のティーカンパニー」を目指す一方で、国内では多くの地域に拠点を持つ地域密着型の企業です。

茶産地育成事業のように地域を大事にするビジネスモデルでもあり、私も各営業拠点に行くたびに地域の話題を聞くようにしていました。その過程でライフワークになったので、私の中では両方つながっているイメージです。

‐ 今後の展開はどのように考えていますか?

これまでの経験を活かして、企業と地方自治体の橋渡しができればと思っています。

私のモットーは、良いことを時間的・地理的に広げることです。そして発信することによって、1回限りじゃない“人と人とのつながり”を大事にしていきたいです。