農業は稼げない。そんなイメージを塗り替えた。
新規就農4年目でひと房15,000円のぶどうを生産、販売する夫婦が愛媛県西条市にいる。

金光祐二さんと史(ふみ)さんは、二人とも元JA果樹指導員という経歴の持ち主だ。
西条市のなかでもとりわけ“田舎暮らし”という言葉がぴったりな丹原町で「輝らり果樹園」を経営している。

職人気質の祐二さんが徹底的にこだわって育てた果物を、史さんが営業して販売する夫婦二人三脚の果樹農家。
春夏秋冬、1年中を通していろんなものを届ける農園にするべく日々奮闘しているふたりの姿に迫った。

#1 農業を夢のある仕事に

裕二さんは西条市の隣に位置する今治市の出身。高校・大学と野菜を専攻し、大学卒業後に東予園芸農業協同組合の果樹指導員になった。祖父が兼業農家だったこともあって、高校で農業を学び始めるとすぐにその面白さの虜に。

東予園芸の指導員になって初めて果樹に関わり、果樹については就職してから勉強を始めた。現場で12年指導員、最後の2年間は営農販売部長を経験した後、就農した。

 

「他人の作物を売るよりも自身で作って届けたい」

 

裕二さんが選んだのは自分たちで販路を探して売るという道。

農協で出会った生産者で夢を語る人は少なく、その状況をどうにかしたいという思いからだった。

 

農業といえば3K「キツイ」「汚い」「カッコ悪い」というマイナスイメージがある。最近では「稼げない」「結婚できない」も加わり、5Kと言われることさえある。

「子供には継がせたくない」とか「大学に農業では子供をいかせられない」という声もあったという。

 

「私が農業に魅力を感じたのは、人が生きていくうえで絶対に必要な食糧を作る仕事で、農業はもっと尊敬されるべき仕事だと。大学を卒業したころからそう思っていました。なぜ、みんなこんなに農業を嫌うのか。農業の現場を消費者は知らないし、誰が作っているのか知らないんです。結局すごく大事な農業という仕事が重要視されないんですよ」

 

スーパーに並んだものを買うだけの消費者。最近では生産者の顔がみえるようになったものの、消費者の顔はまだまだ生産者には見えない。農家も作った喜びを感じられず、やりがいを感じないという悪循環。

 

農業をより職業として成り立たせ、こどもたちが選択できる職業として農業という分野をつくらないといけない。もっと夢のある仕事にしなければという使命感から自ら就農する道を選んだ。

 

#2 環境は変えられない、それでも選ぶことはできる

そんな夫を支える史さんは、岡山県倉敷市の生まれ。高校まで地元で育ち、大学では鳥取大学で農学を専攻した。

 

「農業を専攻したのは、もともとは環境問題に関心があったからです。環境汚染問題を切り口に様々な国の環境問題にかかわる仕事がしたくて。自然に触れるには農学部だと思いそこに進学しました」

 

進学先の鳥取が想像以上に田舎だったことに驚いたと当時を振り返るが、それが自分の生き方にしっくりきていたという。

 

大学時代には長期休みのたびに海外へいくアクティブな学生だった。色々な国の自然を見たいと思い世界を飛び回っていたが、それでも「農業」で食べていくという感覚はなかった。

そんなあるとき、「海外ではなく、日本の自然が好きなのかもしれない」と思うように。

 

「海外旅行から帰ってくるたびに、関西空港から鳥取までのバスの道中で『帰ってきた』という安心をすごく感じていたんです。そこから農業に関心を持つようになりました。」

 

大学を卒業する段階では農業に携わる仕事を希望し、鳥取のJAに就職した。自身が非農家だったことから、自分で農家をするという発想はなかったという。

 

面接の際に「絶対に現場で仕事がしたい!」といい、指導員として果樹担当へ配属された。しかし、農業をやりたくて始めた仕事も、いつしか布団や宝石を売る業務も担当するようになり、次第にやりたいこととのギャップを感じ始めた。

 

「私は農作物を売りたいのに、なんで宝石を売ってるのかと思っていました」

 

当時を思い出す史さんが眉間にしわを寄せる。

 

裕二さんとは愛媛の農場を視察に訪れた時に出会った。そのあとも連絡を取り合う中で、裕二さんの働いていた東予園芸で人員を募集していることを知り、愛媛に移ることに。

 

「自身のやりがいのある働き方を望んできました。鳥取では苦しい状況から逃げてしまったという後悔がありました。もう一度やってみたいと思った時にきっかけをくれたのが主人でしたね」

 

裕二さんは鳥取で働いているときには出会うことのなかったタイプの指導員だった。鳥取での指導員のイメージは仕事を淡々とこなすというもの。あらかじめ決められたスケジュール通りに仕事をする人が多かった。

しかし、裕二さんは天気やその年の条件、生産者の畑の状況を把握しながらとにかく一人一人の畑の様子に合わせて指導していた。

 

「愛媛は鳥取と違って、品目もすごく多種多様で、品種に合わせて勉強しなければいけないんです。それなのにきめ細やかに仕事をしている主人をみていつの間にか尊敬の対象になっていました」

 

その尊敬の思いはいつしか支えたいという思いに変わっていた。自ら農場を経営したいという裕二さんの覚悟を聞き、史さんも腹を括った。

 

こうして夫婦二人三脚の農園経営がはじまった。

 

#3 同じ農業、それでも畑違いだった

今まで通りの農協へ出荷するだけというやり方を変えたいと歩み始めた2人だったが、その道のりは甘くなかった。

 

「就農ではなく起業なんです」

 

それまで農家の手伝いをしてきた2人でも、農園を経営した経験は初めてだった。同じようなことをしているようでも、農園を経営すると会社を経営する知識がおのずと必要になってくる。そういった知識は、2人でやりながら身につけた。

 

「自分たちで事業を興すことを学んで実践するという、生産することとは別の勉強をしないといけませんでした。それはやり始めてから気づきました」

 

そんな2人にさらに追い討ちをかけたものがあった。

 

1年目に植えたキウイがかいよう病にかかってしまったのだ。指導員だったときは生産者よりも一歩引いてアドバイスをする立場だったが、自分たちが農園を営むとなればそれは死活問題。

 

「柱にしていたものをぽきっと折られてしまった感覚で、どうやって生きていけばいいのかわからなくなりそうでした」

 

それでも季節は前に進む。くよくよしている場合ではなかった。なんでも育てられるという好条件を生かしてブドウを育てることに決めた。

2人ともそれまでの経験でブドウを扱ったことはなく、また一からの勉強。

それでもいつかは実ることを信じて愛情を注ぎ続けた。

 

「ひとつひとつに手を入れて作るというやりかた、手間暇かけて作るという主人の栽培工法にぶどうが合っているんです。それがおもしろくてしょうがない」

 

そしてついに、2人の思いが徐々に実をつけ始める。

 

#4 実る農業を

農業はつくることから始まり、加工、農家民宿、農家カフェなどその裾野は広がり続けている。

 

もはや生産現場でつくるだけが農業でなない。それは農業の知識のない人が農業に参入しやすくなっているという裏返しでもある。

2人は農業をやりたいという人を歓迎する一方で、警鐘も鳴らす。

 

「本当に作業の適正って性格とかやりかたとかで違ってきます。農業をやりたいならまずは自分が気になるところを、見に行ってください。市の窓口とかではなくて、農家さんを見つけて勉強させてください、見させてくださいと見に行ってほしいんです。」

 

最初から、何をやるとかは決めないほうが良いのではないかというのが裕二さんの考えだ。農業に入る前にとにかくいろんなものを見て、自分に本当は何があっているのかを感じてほしいという。そうすることで理想と現実のすり合わせができる。

 

「気候が違えば作れる作物も違います。最初から場所で選ぶのではなく、自分に合ったスタイルを見極めてから来たほうが良いです。西条市ではいろんなものが作れるのでその選択肢は多いですね。
みんなと同じことをやって埋もれてしまうのが怖いので、新しいことにも臆さず挑戦していきたいです」

 

歴史があるわけでも資金があったわけでもないスタートから4年。2人で植えたその根は、着実に深く、確かなものへと育っている。