「“ナントカNo.1”みたいな、雑誌なんかでよく見出しを飾る数字をどう面白くつくるか。それが僕の仕事でした」

おおらかな笑顔でそう語りはじめたのは、山燕庵(さんえんあん)の杉原晋一さん。農業の世界にデザインの発想を持ち込んでヒット商品を飛ばし続ける、「元サラリーマン農家」だ。

彼がもともと取り組んでいたのは、人にモノを買ってもらうため、あの手この手をつくすマーケティング・リサーチの世界。とにかく数字と向き合い続ける日々。

一見、バリバリと充実したキャリアを歩んでいるように見えた杉原さんが、生き方を大きく変えていくきっかけになった、生活に訪れた異変とはーー。

岡山 史興
70Seeds編集長。「できごとのじぶんごと化」をミッションに、世の中のさまざまな「編集」に取り組んでいます。

自分を取り戻す物語

最近、何かを「ほしい」と思ったことはあるだろうか?

 

逆に何かを「ほしくない」と思ったことは?

 

そして、そんな自分の気持ちに「本当だろうか」と疑問を持ったことは…?

 

世の中にモノや情報が溢れる今、目の前の感情にさえ自信が持てなくなってしまうことが珍しくないように感じる人は多いかもしれない。

 

そんなことを考えていた折、私が訪れたのは福島県の山奥、鮫川村(さめがわむら)にある山燕庵の農場。

 

山あいに広がる田んぼで、自然循環型の農法で米作りに取り組んでいる杉原さんが手がけるのは、「コシヒカリ・アモーレ」という最高評価のブランド米や、「玄米がユメヲミタ」という甘酒。

 

どれも従来の常識を打ち破るデザインで支持される、ヒット商品ばかりだ。

 

それらを手がける杉原さんはもともとマーケティング・リサーチの仕事に就いていた。きっとそのときの経験が活きているのだろうと思い、話を向けてみたところ、返ってきたのが冒頭の言葉だった。

 

「今やっているのは、命をつくり出す仕事なんです。もともとやっていたマーケティング・リサーチ、調査や分析の仕事とは違うこと。ものがある、実際にさわれる、働いている実感がある。そう感じられることが、自分を取り戻すきっかけにもなったんです」

 

これは、ひとりの人物が自分と世界のつながりを取り戻す、現在進行形の物語だ。

 

「それっぽい数字」、その裏で

「超引っ込み思案だけど目立ちたい」

 

矛盾するような、でもどこか共感してしまう性格。杉原さんの子ども時代のじぶん評だ。

 

人とつながっていたい、誰かに認めてもらいたい…そんな思いを抱えながら大人になった杉原さんはインターネット関連の制作会社を経て、マーケティング・リサーチの仕事に就いた。

 

「非常に厳しい入社試験でした(笑)。『契約社員でもいい?』って聞かれて、思わず『はい!』って答えて。周りは優秀な人だらけで、めちゃくちゃ叩かれまくって育ちましたね。その分勉強にもなったし、成長もさせてもらいました」

 

杉原さんが取り組んだのは、企業の依頼を受けて市場動向や消費者の声を調査・分析して数字をつくる仕事。その結果が、マスメディアの見出しを飾っていく。

 

刺激的な仕事だったが、ハードな日々と自分の実力不足にだんだんと心身のバランスを崩していった。それとシンクロするように、自分のやっていることへの疑問が頭を持ちあげはじめた。

 

「それっぽい数字でつくられた、それっぽいグラフ。誰がどうやって調べたかわからない、意味のあやふやな情報がテレビや雑誌を飾る。今日もあの辺で街頭インタビューとかやってると思うんですけど。もちろん、みんなおもしろいものが好きで、それは正しい。でも本当にそれでいいんだっけ?って」

 

杉原さんの父、正利さんが農業をはじめたのは、杉原さんがそんな悩みを抱えはじめたころのことだった。

 

美味しいものを食べて、笑おう

毎日じんましんが出るほど苦しんでいた杉原さんは、父がはじめた農業を「なんとなく」手伝うようになった。そこで土と触れ合う中で気づいたのは、自分がいつの間にか視野の狭い世界に生きてしまっていたこと。

 

さらに、2011年に起きた東日本大震災を受けて、体と心が限界を迎えた杉原さんは本格的に農業の世界に飛び込むことを決意する。

 

「これ以上頑張ったらヤバい。そんな状態でした」

 

世の中の風潮も、安全安心なものを食べたいという方向に動いていた。でもお米の産地さえラベル1つで偽装できる。それは自分がやってきたことの弊害の1つでもあるのではないかーー。

 

そんな問題を解決するには、食べものを自分でつくる。どうやってつくっているかも明示していく。杉原さんがかかわりはじめた米づくりは、これまでやってきた仕事とまったく違う世界だった。

 

「米づくりをはじめて、10キロ太りました(笑)。すごく健康的になった。いままでいかに自分が生きるということをないがしろにしていたかに気づかされたんですね。大地ありきの仕事をすることで、体と心の安定を手に入れました。『いいものを食べて、笑おう』と決めたんです」

 

杉原さんのいう「いいもの」とは、素材がちゃんとしていること。それを情報や加工、デザインで求めている人にとって魅力的な商品にすること。

 

「数字」をめぐる過去の苦しみに対して、答えを出した瞬間だった。

 

いいものには、いいひとが集まる

震災以降、福島での米づくりは大きすぎる逆風に晒され続けていた。

 

国が定めた基準でも、問題のない数字しか出ない。土からも放射性物質は検出されない。それにも関わらず。

 

そんな逆風をはねのけるため、山燕庵は石川県でも米づくりをはじめた。美味しさも品質も、杉原さん自身が惚れ込んだお米「コシヒカリ・アモーレ」との出会いだった。

 

間違いのないお米を使って、間違いのない商品をつくる。そうして出来上がった甘酒「玄米がユメヲミタ」には、多くの味方が現れた。コピーライターの日暮真三さん(無印良品など)に、藤枝リュウジさん(「ハッチポッチステーション」など)…みな「本当にいいもの」を知っている人たちだった。

 

「品質の保証はどうなっているのか、農薬はどれだけ使っているのか、つくっている側に回ってはじめて、知っておかなくてはいけないことがたくさんあることに気づかされました。百貨店やセレクトショップなどたくさんの方々に教えてもらいながら、共感してもらいながら。本当にいい経験をさせてもらいました」

 

たくさんの味方を得ながら世の中に送り出された「玄米がユメヲミタ」は、ギフトを中心に支持を受け、ヒット商品に成長した。これもすべて、つくり手や売り場の人たちが共感してくれたから。

 

いいものをつくったら、いいひとたちが集まってきた。そんなピュアなものづくりを進める杉原さんは今、新たな挑戦に取り組んでいる。

 

それは、玄米を使ったカイロ「ぬくぬくのぬか」そして、それをベースにアパレルブランド「ALLYOURS」「MUKU」と共同開発した「ヌカモフ」だ。

 

「『玄米がユメヲミタ』の次を担う商品をつくらないと、いずれ米づくりを続けられなくなってしまう。そんなことを考えていたとき、母親が米ぬかでつくったカイロを引っ張り出してきたんです。店頭で試しにカイロづくりのワークショップをやってみたらたくさんの人たちが笑顔になってくれた。これはいいものができるんじゃないかって確信したんです」

 

「今思えばマーケティング・リサーチの仕事をやっていたときのアンケート調査みたいですよね」と笑う杉原さん。「ぬくぬくのぬか」はこの秋に百貨店を中心に発売を開始、そして「ヌカモフ」はこの冬クラウドファンディングが始まった。

 

数字ではなく、手触りのある「いいもの」をつくることにこだわり続ける。彼の周りに「いいひと」が集まる姿は、彼が選んだ道が間違いでなかったことの、何よりの証明だ。

 

現在杉原さんが取り組む「ヌカモフ」のクラウドファンディングページはこちら