今自分がいる場所が窮屈だ、本当にやりたいことができない――そんな悩みを抱える人は少なくないはず。
特に、悩みの対象が自分ではない「誰か」を巻き込むものだと、なおさらもやもやは大きくなってしまう。
「あのお客さんのために、本当はこうするべきなのに会社の方針でできない」
「この商品はこういう作り方をしたほうが持ち味が出るのに、周りとの関係上でできない」
これは、そんな集団と個人の葛藤の末に組織からの「脱藩」を決意、今では「アンテナスイカ」で知られるようになった高知県の農家、江本美江さんの物語だ。
「誰もが持つ小さな記念日を祝える存在になりたい」と語る、彼女の姿が示してくれる「つながりと生きる」意味とは。
最期を看取る「冬のスイカ」を届けたくて
立ち並ぶビニルハウス、一歩中に入れば収穫を待つスイカたちに囲まれる。その数は「ひとつのハウスで900ほど」(江本さん)。
全国から注文が殺到する「江本さんのスイカ」。その特徴は味と見た目、そして収穫時期だ。センサーを活用した丁寧な温度管理と、ひとつひとつの音を聞いて見分ける収穫が「皮まで甘い」秘訣になる。さらに、長い“つる”を残すことで、見た目にもユニークな「アンテナスイカ」が出来上がるのだ。
そして、一番のこだわりともいえるのが収穫時期。「夏の食べ物」というイメージが強いスイカだが、冬に旬を迎えるよう作られていることに、元看護師でもある江本さんの思い入れがもっとも強く表れている。
「病床について、今何が食べたい?って聞いたらスイカ食べたいって言う人が結構いて。この冬、2月採りをしたときは愛媛の人だったり、大阪の人だったり、すぐ送ってくださいみたいな感じで何人も。もともと看護師だったから、患者さんの望むことを自分がどうサポートできるかという究極のテーマに、スイカづくりで応えられる。こんなにすごいことはないって」
ときには、江本さんのスイカが大切な人を看取る「最期のスイカ」になることもあるが、そんな方とは特に縁が切れないことが多いのだという。「初盆に」「故人が好きだったから」「思い出すきっかけに」と、スイカから生まれたつながりが、遺された人の背中を押してくれるのだ。
だが、江本さんは元々「アンテナスイカ」を売っていたわけでもなければ、収穫時期をずらして栽培していたわけでもない。
集団と個人のはざまで
江本さんが嫁いだ浩一さんの家はもともと、高知県の一農家。周囲と同じく一定の基準に沿って収穫した農作物を、組合を通じて大阪、名古屋、東京といった大消費地へ出荷する従来の「あたりまえ」に取り組んできた。
農家ひとりひとりの力が弱くとも、皆で力を合わせて売り出していこう、という組合の理念に助けられていた時代だった。
だが時が経った今、江本さんは顧客が求めるものが変わっていくのをひしひしと感じている。
「柑橘とかメロンとかスイカとかイチゴなんかは特に、この近年、生産者番号や生産者の名前を出すようになってきたんです。すると、特定の方のつくったものを気に入ってしまったら、その方のつくったものを次も買おう、というお客様が増えてきた。じゃあそれに合わせて、生産者が届ける場所や相手を決めていけるといいんじゃないかって思ったんです」
そんな江本さんの思いを実現するには、集団の壁を乗り越える必要があった。たとえば、スイカであれば大きさ、形、甘さ、様々な項目によって等級が決められており、等級によって出荷することができるかどうか、そして卸売での価格が決められていく。
「決めあっているんですね。生産者同士で、いい言葉を使うと基準を高く、志高く。でも、悪い言葉で言うと、縛り合う」
その結果、決められた基準と合わない商品には安い価格しかつかなかったり、流通させることができなかったり、ということが起きていく。「この状況では所得を上げることができない」。そう考えた江本さんが取り組んだのが、従来の基準とは異なるけれども品質の高い作物を自ら売ること。
組合に迷惑をかけないように、まったく関係のない屋号を使い、ロゴも自費で制作して挑んだ自主販売。だが、その先にあったのは、これまで仲間だったはずの地域の生産者たちからの反発だった。
組織からの「脱藩」、広がり続ける景色
「自分たちだけで、ハネ物(等級が低くなるもの)を売って、儲けようとしてるんだろ、とか、さらには地域のブランドを私利私欲のために使ってるんじゃないかとか。そういったことを言われ、部会(組合の中でも作物ごとに出荷を取り仕切る集まり)でもつるし上げにあいかけて。これはちょっとな…と思っていたところで脱藩を決意したんです」
ただ、江本さんの「脱藩」は、つるし上げにあったことだけが理由ではなく、農業という世界のことを考えると、必然だったのかもしれない。
江本さん夫妻2人ともちょうど50歳前後。70代でも現役で働く人が多い農業の世界では、まだまだ「小若い」(若くてたいしたことがない)扱いをされる年齢だからこそ、しきたりの古い地域や業界の内側ではなく、先入観のない外側の仲間と手を組んでいくことが重要だった。
「どうしても切羽詰まった集落やったらまだしも、ここのような恵まれたところだと、独自で特殊なことをしようとするときの圧が本当にすごい。だから、違う作物で、似たような志でやっている方とか、地域が全く違う方とか、変なしがらみがない方たちと、この2年半か3年ぐらいの間にめちゃくちゃつながったから、あんまり怖いものがなくなったんですよ」
こういった組織の「圧」、実は江本さんだけに向けられたものではない。例えば同じ組織が管轄するいくつかの作物の中から、大手飲食チェーンでの取り扱いオファーが「ニラ」にだけ来たとする。本来喜ばしい出来事のはずが、ほかの作物部会からのやっかみなどを気にして、動きが遅れたり、取り扱いができないこともある。
まさに「出る杭は打たれる」という状況なのだ。
本来、ひとりでは立っていくことができなかったからこそ生まれたはずの「組織」。それが時とともに硬直化し、組織のための組織になってしまった。江本さんの言葉は、まるでそんな矛盾をえぐり出すように続く。
「1人のほうが、1匹のほうが本音でしか話さんから。しがらみとか、何かを守らないといかんとかじゃなくて、お互いを大事に思ってお互いが伸びること、そして潤って、それが周りに波及するっていう考えの人とやりたい。昨日会うて、今日話して、もう明日やってみようかみたいな感じのスピード感が、たまらなくスリリングですよ」
ブランドロゴを作ってくれた人、協力してくれる人、取り扱ってくれるショップ、そして見つけ出して、選んでスイカを買ってくれる顧客。そんなダイレクトなつながりの積み重ねが、江本さんを支え、新しい景色を見せ続けている。
「こういう生き方を選んだら、たぶんずっと動き続けないといかんのよね(笑)」
信用は1回でなくなる、だから正直でいられる
たった一軒の農家が決意した「脱藩」からちょうど2年、全国のファンと直接つながりを持つようになった江本さん。これまでの仲買を通す当たり前から離れ、お客様ひとりひとりと直接向き合うありかたは、アパレルの世界で勢いを増すD2C(ダイレクト・トゥー・カスタマー)の流れにも近い。
「なんでもないような毎日に、個人で大事にしたい記念日ってあるはず。私らの密かな脱藩記念日だったりとか、誕生日とか、お孫さんの入学とか。小っちゃくても嬉しいことのお祝いにうちのスイカを望んでくれたとき、もし私たちが大きいところに所属していると、それが叶わないのね。
でも本当は、問い合わせを受けて、『うちにはなくても仲間のとこにあります』って、仲間同士潤いあうことが、大きな組織に所属する意味だったんじゃないのかな。大きくなると、細かいところに手がいかなくなっちゃうんでしょうね」
大きな祝い事、贈答品であれば王道とされる品種やブランドがある。だけれどそうではない「小さな記念日」のひとつひとつを支えたいという思いは、ナース時代からの江本さんの原動力だ。
「本当にダイレクトにピンポイントで合えば、(お客様の)喜びは半端じゃなくて。もう一生忘れない、というくらいに。一点物の作物や食べてくれる人を思ったダイレクトなやり取りは、変わらない毎日を過ごしていると思っている農業人のやりがいになると思うんです」
また、自分の名前で売っていくことは商品の品質に自分が責任を負うことでもある。大口の需要があるからと、無理やり品質を落として出荷したら顧客にはすぐにばれてしまい、そしてもう二度と買ってくれることはなくなってしまう。逆にとらえると、正直でいられることも大きな組織を抜けたメリットの一つだ。
もちろん、顧客と直接つながることで得られるのはやりがいだけではない。「普通に卸売に出荷すると、うちを出たときの3倍の小売価格になっている」と江本さんが語る通り、自分たちでブランド化し直接のつながりで販売していくことは、食卓に届く価格と作り手の収入を近づけていくことでもある。
そしてその値付けの自由もまた、脱藩したからこそ得られたものだった。
「どんなにおいしいスイカが採れても、誰かに託した時点で値段は市場に決められてしまう。育てるのにかけた手間暇とか、そんなものが返ってこない虚しさが募った時期もあったけど、脱藩して2年、いまがまさに取り戻している時期。どんどんいろんな人とつながって、やりたかったことが形になって…土佐弁でいう『悦に入る』そんな感じです(笑)」
農業という保守的な世界で、大きな組織を離れて自分らしくあることを選んだ江本さん。その選択がもたらしたのは、孤独ではなく、もっとあたたかで力強い「つながり」。
江本さんのアンテナスイカは、今日もだれかの「小さな記念日」を祝っている。
70seedsが取り組んでいる「できる.agri」でも、江本さんの記事を公開しています。ぜひご覧ください。