秋田駅から歩いて約10分、少し古いビルの3階にある事務所の扉を開けると、白髪の男性が迎えてくれた。NPO法人 蜘蛛の糸 理事長の佐藤久男さんだ。蜘蛛の糸は、2002年から自殺対策に取り組み、常設面談無料の相談活動やシンポジウムの開催などを進めてきた。



秋田県は自殺率が高いことで知っている人も多いだろう。しかし、人口10万人当たりの自殺率でみると、平成で最も多かった2003年の44.6人と比べて、2017年には24.4人と大幅な減少を遂げた。2014年と2018年には、全国ワーストを脱却している。



こうした成果は、蜘蛛の糸を中心とした自殺対策「秋田モデル」の影響が大きいという。佐藤さんがなぜこの領域に取り組むようになったのか、秋田モデルとは何かを聞いた。

庄司 智昭
編集者 / ライター|東京と秋田の2拠点生活|inquireに所属|関心領域:ローカル、テクノロジー、メンタルヘルス|「おきてがみ( note.mu/okitegamilocal )」というローカルマガジンを始めました

うつ病を患い、多くのことを失った経営者時代

 

今年で76歳となる佐藤さん、自殺対策に取り組んだのは経営していた不動産会社の倒産と友人の死がきっかけだった。もともと高校卒業後は、病気がちだった母を支えるため、県の職員として福祉関係の仕事をしていた。結婚し、順調な日々を送っていたが、父が自身の会社を経営していたのもあり、経営に関心を持ったという。

 

そこで、県の職員を辞めて、1977年に不動産鑑定事務所を開設。不動産や介護関連など4つの会社を経営し、社員は50人、年商15億円を超えるなど事業は順調に推移した。しかし、バブル崩壊による不況のあおりを受け、2000年に会社は倒産を余儀なくされる。

 

「会社の存続のためにあらゆる手は打ちましたが、道は開けませんでした。初めて『万策尽きた』という言葉を実感した瞬間でしたね。倒産して人望もなくなり、真っ裸になったんです。うつ病に苦しみ、眠れなくなったり、幻覚まで見えるようになりました。住む家も失い、死ぬことまで考えてしまう日もあって。

 

でも、お金を稼がなければ飯は食えません。うつ病のまま、小さな会社で働き始めて。少しずつ体調も落ち着いてきたのですが、そんなときに有能だった経営者の知人が亡くなったんです。秋田県と岩手県を結ぶ仙岩(せんがん)トンネルに飛び込んでね。税金を納めたり、社員を雇用したり、一生懸命頑張ってきたのに、なぜ倒産すると経営者は自殺に追い込まれなければいけないのか。やり場のない怒りが私を襲いました」(佐藤さん)

 

キャプション:蜘蛛の糸ができた2002年からの秋田県における自殺者数の推移。秋田県警察の統計調査をもとに作成。2018年の調査結果は、警察庁の集計(速報値)を参照した

 

そこで、佐藤さんは当時の秋田県知事である寺田典城氏に面会へ行った。当時、自殺対策に取り組むNPOはなかったが、事業経営の経験もあった寺田氏は、その重要性を理解してくれたという。県の担当者や仲間の協力を得て、NPOの設立に向けて動いた。

 

2002年6月、中小企業の経営者を対象とした相談機関として、蜘蛛の糸は誕生した。

 

心の声に耳を傾ける必要性を感じた5年間

 

設立当時、秋田県における企業の倒産数は年に200件前後だった。蜘蛛の糸に来る人はそれほど多くないと思っていたが、初年度から年間30人ほどの相談者が訪れた。

 

「5年くらいは試行錯誤しましたね。相談を受けることが、コンサルタントみたいなものだと思っていたんです。経営者をしていたから財務状況は分かるので、どう事業を改善すればいいかアドバイスしていました。そうしたら不満な顔をされることもあって。ただ『絶対に死なせないよ』という気持ちは常に持ってて。一生懸命話を聞いていくうちに、だんだん相談者が何のために来ているのか分かるようになったんです」(佐藤さん)

 

倒産という今までに体験したことのない恐怖、これまで築いた名誉や地位を失う恐怖、債権者が来る恐怖、相談者はそうした気持ちを聞いてほしくて訪れていた。会社を再生させるとか、そういうことではない。心の声に耳を傾ける必要性を感じたという。

 

佐藤さんは、大学に通いカウンセリングの知識を学ぶことも考えたが、「勉強する間に救える命を手放してしまうかもしれない」と考えた。現場と向き合い、相談に来た人を「いかに死なせないか」に注力した。一方で、合間の時間に独学で勉強し、2013年には産業カウンセラーの資格を取得。2016年10月からは東北福祉大学の通信教育に通い、75歳となった今でも公認心理師の資格取得に向けて学び、相談者に寄り添い続けている。

また、2005年4月に同じく自殺対策支援を行うNPO法人ライフリンク代表の清水康之氏と出会ったのも、佐藤さんの背中を大きく後押しした。日本全体の自殺者数をみると、約2万4000人だった1997年と比べて、1998年は約3万3000人と大幅に増加。その後、2011年まで3万人を超える状況が続いた。1日あたり約82人以上が自殺で亡くなっていたことになる。

 

「2006年6月の自殺対策基本法が成立されるまで、日本における一般的な認識は『自殺は個人の問題』だとされていました。でも、そうではない。“社会の問題”と認識を変えるまでは、清水さんとは署名活動や国会陳情を行うなど戦いの日々を過ごしました。小石を積み上げるように。10年は啓発活動を続けて、ようやく『自殺は社会の問題なのだ』という雰囲気に変わってきたんです。価値観を切り開く戦いでした」(佐藤さん)

 

「秋田モデル」を日本全国、海外にも発信へ

 

佐藤さんは、思い悩む人に対して1人の相談員、一つの組織が対応するだけでは限界があると考えている。自殺は、経営難や多重債務、病気、生活苦、人間関係など、さまざまな要因が複雑に重なり合って起きてしまうためだ。そこで、自殺対策基本法が策定された2006年に、9つの民間団体に呼びかけて連携組織「秋田・こころのネットワーク」を設立した。

 

初代の会長は佐藤さんが務め、互いの組織や考え方を拘束しない「ゆるやかな連携」をキーワードに掲げた。しかし、嬉しい見込み違いで、同団体は活発な実践型の組織となり、現在約40団体が加入しているという。定期的な意見交換やスキルアップ研修などを続けた。

 

また、2009年には「いのちの総合相談会」を開始。弁護士や司法書士、臨床心理士、社会保険労務士、産業カウンセラー、社会福祉士などの資格を持つ経験豊かな相談員が約25人ほど集まり、相談者の危機要因に応じて問題を解決していく体制を構築した。相談時間は約90分、希望によって何回でも相談は可能。年数回のペースで実施していたが、2015年以降は県の地域自殺対策強化事業費補助金を受けて、毎月5日間連続で開催している。

こうした地道な活動は実を結び、2002年に89人いた秋田県における自営業者の自殺は2017年に13人となった。県全体の自殺者数は、494人から242人と大きく減少している。啓発活動と相談体制を構築することによって、自殺者数の約半数は減らせると確信した

 

そして、民間団体が率先して相談活動を行い、大学や行政と連携して進める自殺対策は、いつしか「秋田モデル」と呼ばれるようになった。今、佐藤さんは民間主導型の秋田モデルの普及に向けて、全国での講演や自殺者が急増する韓国との交流活動も進めている※。

 

※今回紹介できた佐藤さんの歩みは、ほんの一部だ。関心のある方は、ぜひ『あなたを自殺させない: 命の相談所「蜘蛛の糸」佐藤久男の闘い』(著:中村智志)を読んでみてほしい。

 

「自分が解決できない悩みは、苦しいかもしれないけれど、世の中では既に体験している人がいます。人って複雑です。だから、カウンセラー一人だけで解決しようとするのは傲慢なんです。悩みがある人は、ぜひ蜘蛛の糸に打ち明けに来てほしい」(佐藤さん)

 

佐藤さんの趣味は「山登り」。15歳から始め、今も登り続けている。秋田モデルは、テレビでも紹介されて注目を集めたが、その実感はわかない。続けることが全て。続けていれば、山登りのように新たな景色が見えてくるという。そう語る佐藤さんの目は、少し遠くを見つめていた。これまでの相談者を思い浮かべていたのか。ずっしりと重い言葉だった。