「ADHD」という言葉が、SNSでよく見られるようになった。発達障害のひとつであるADHDについて広く知られていくにつれ、芸能人や著名人の中にも「自分はADHDだ」と打ち明ける人も見かける。
「障害?かわいそうに」
「そういう障害も、個性だよね!」
「ADHD」や「発達障害」という言葉、つまり相手の属性を判断する「ラベル」を知ると、こういった反応する人もいる。その「ラベル」を持った人間は必ずかわいそうだと決めつけたり、逆に、強い生きづらさを「個性だ」などと無責任に楽観的な言葉を押し付けたり。
「ADHDである」というラベルありきで反応されることに、違和感や不快感を持つ当事者も少なくない。大切なのは「ラベル」よりも「その人そのもの」を注視し、対話しながら進んでいくことではないだろうか。
この連載ではそんな「ラベル」について触れていく。今回のラベルは「ADHD」。
採用面接で打ち明けられた「ADHD」
「ADHD」は、注意欠陥や多動性、衝動性などの特徴がある発達障害のひとつだ。私が「ADHD」について詳しく知ることになったのは、2年前。メディアの漫画家を探していたときだった。
表現力に長けた漫画を描く学生だと思った。事前に見せてもらったポートフォリオには、彼女が鬱を経験したときの漫画が掲載されていて、性や生き方の多様性についてのメディアを立ち上げたいチームにとっても願ってもない人材。私はこれから面接するインターン生との出会いに心を弾ませていた。
「ADHDなんです。特性のせいでミスばかりしちゃうし、正直、ちゃんと働けるか不安で怖いんです」
「なるほど」
こういうことを打ち明けられたときに、打ち明けてくれた相手が気まずい思いをしないようなリアクションができるかどうかは、いつも気にしなくてはいけない。
採用の現場でADHDだと伝えられたのは初めてだった。そして特性を聞く限り、確かに私のほうも、正直、ちゃんと彼女を活躍させてあげられるのか、不安になった。しかし私には彼女の描く漫画が必要だったし、いろいろと一緒にすり合わせながら、そしてこちらも勉強しながらだったらすすめるかもしれない、と素直に話した。初日にもかかわらず、かなり込み入った話をしたと思う。
そして早速次の週から、彼女には編集部チームの一員になってもらうことになった。「ラベル」で人から判断されることによって、人一倍つらい思いをしながらも、自分の経験をエンタメとしてリアルに伝えたい。そんな想いを持った漫画家、ぴーちゃんを。
誰かの「できないこと」を軽んじていないか
ぴーちゃんと働いてから、私のなかでも変化があった。私が経営の幹として掲げる「居場所経営」という言葉は、彼女と働き始めてから考えたものだ。
ぴーちゃんは時間の管理が苦手だ。ADHDの人のなかには、苦手な人が多いと思う。どうしてもアルバイトの時間に遅刻してしまうというのが、彼女の悩みのひとつだった。たとえば、13時に出勤の日に、時間には気をつけていたはずなのに、なぜか最寄り駅に13時に着いてしまって、上司から電話で激怒される、というようなことが頻発していた。それは彼女が「特性上、時間管理が苦手だ」と伝えたとしても「それは甘えだ、言い訳だ」と一蹴されてしまうことが多かったらしい。
ADHDの特性をあまり持っていない私は「遅刻しないように早めに家を出よう」として逆算して行動することができるが、ぴーちゃんはそうではない。違う特性を持つ私たちが、ぴーちゃんの気持ちになって理解し尽くすことは難しいのだ。
そんなときには、自分がどうしてもできないことを思い浮かべてみることにしている。ぴーちゃんにとって「時間を管理する」というのは、きっと私にとって「逆立ちして歌う」くらいのこと。やろうとしても向いていなくて、できればやりたくなくて、やってみたとしてもできないことなんだろう、と思うようにしている。ほとんどの人が逆立ち歌唱ができる世界で「どうしてお前は逆立ちして歌えないんだ、みんなはできるのに」と言われることを想像してほしい。「不条理なことを言われている」と感じるはずだ。
メジャーじゃない方の道でもいい
ぴーちゃんが大の苦手としている「時間ぴったりに来る」というのは、仕事によっては守らなくてもいいんじゃないかと思い始めた。
私が彼女に頼みたい仕事は「締め切りを守って漫画を提出すること」なので、13時ピッタリに来る必要はそんなに無い。手段が目的化してしまう、こういうことがさまざまな職場で起きているんじゃないだろうかと思った。
「居場所経営」の考え方を掲げる私たちの会社のバリューのひとつは「セーフスペースであれ」なのだが、従業員にとって心理的安全性の確保された職場でこそ、多くの従業員たちは自主的に力を発揮していくのではないか、と強く感じている。
多様な人を雇わせてもらい、仕事をしてみて、私の短い経営経験のなかで一番の学びはこれだったと思う。従業員にとってセーフな場所を確保しつつ、事業をやるならば成果主義であることも忘れてはならない。その思考に沿ったとき、ぴーちゃんはきっかり13時に出社する必要があるだろうか?と考えると、答えはノーだった。
「締切は守れるように進めたいけど、13時ピッタリに来る必要はないから、12時から13時までの間に出勤するのはどう?」
そう聞いてみると、ぴーちゃんは「それならできるかもしれません!」と言ってくれた。「まあ、できなかったらまた考えよう」と伝えて以来、彼女は大きな遅刻を一度もしていない。ぴーちゃんは「時間を守るということ」にマインドシェアを取られずに、思う存分良いクリエイティブづくりに没頭できるというわけだ。こっちのほうがよっぽどいいじゃないか。
重要なのは、山の頂上に行くことである。その道筋はひとつじゃない。皆が通りやすい道Aを選ぶのはメジャーな選択肢かもしれないが、Aで行くほうがかえってつらいのでBで少し遠回りしていかせてほしいという人も、中にはいる。それに私たちは気づかないことも多い。
「こっちのほうがいいよ」と押し付けてしまうのは善意でもあるが、それがみんなで山の頂上に辿り着くために最善なのかは改めて考える必要があるだろう。登る道は、ひとりひとりの特性や得意不得意に応じて向き合って対話しながら決めていったほうが、疲れずにどんどん登っていけることもある。
「ラベル」で語りきれる人はいない
「ADHD」のラベルについて、知識をつけておくことはとても良い。特性上つまずきやすいところを知っておいたほうが、いざというときに相手を傷つけることは減るだろう。
ただし、決して「ADHDの人にはどう対応したらいいか?」などとググって、それらしい答えを見つけるだけで満足したりしてはいけない。SNSやインターネットで調べたり、一度研修を受けたから大丈夫だと思わないでほしい。それほど各「ラベル」というのは単純ではないし、そもそも「ラベル」自体はその人ではないのだ。
誰かができないこと・できることを、簡単に「ラベル」と結びつけてしまうのも、良くないかもしれない。「あいつはADHDだから」「あのこは外国人だから」と決めつけずに、「その人そのもの」が、何が得意で苦手かに着目していきたい。
気が遠くなるほどの要素をあつめた素晴らしいひとりの人格が、たったひとつの「ラベル」で語りきれるわけなどないのだから。だから私たちは、いつまでも「自分は相手のことをとことん知らない」という現実に向き合って、目の前の人を見つめることに時間を惜しんではいけないのだ。