「人間には、自然と最良の選択をする性質が備わっている」

これは大学の先輩に言われた言葉だ。言われた当時は、「人の力を信じている、なんてポジティブで素敵な考え方だろう」と感動した。しかし今、はたと考える。その“最良の選択”は、他人も考慮にいれたものだろうか?

コラム連載「戦争にまつわる映画とわたし 第一回」では、大学受験期から映画を頻繁に見ていること。特に印象に残ったドイツ・ベルリンの壁を舞台にした戦争映画に惹き込まれ、考えさせられ、現在の自分を形成する一部になっている過程をつづった。

多くの映画を見る中で感じるのは、人間の切実なまでに複雑な感情だ。映画で描き出される人間は、状況に振り回されたり状況を作りながらも、温厚だったり冷徹だったりする。

さまざまな映画、書籍を見ていくうちに、ある疑問が浮かんだ。

ーー白黒はっきりできない感情が渦巻く「人間の本質」とは、一体なんだろう?

松本 麻美
1988年生まれ関東育ちのフリーエディター。彫刻家を目指して美術大学に入学するも、卒業後は編集者の道へ。世界中の人間一人ひとりがお互いに尊重しながら自由に生きていけるようになればいいのにと思いながら日々仕事をしている。好物はスイカ。本、映画、美術、社会課題などさまざまな分野の間を興味が行ったり来たりしています。

人間とは? 答えを探る戦争映画鑑賞

前回のコラム「戦争にまつわる映画とわたし 第一回」

私が人間そのものに関心を抱いたきっかけは、幼少から平和教育を受ける傍ら、美術館に連れていかれることが多く、レンブラントやモネ、ピカソを始めとする巨匠の作品に繰り返し触れていたことにある。

中学生になる頃には世界や表現に対する好奇心と探究心を作品から感じ取るほか、宇宙開発にも興味を持つようになり、美術と同じように世界への興味と開拓心に憧れた。こうして、人間という生きものの有り様はとても魅力的であると感じるようになった。

そんな考え方は、映画をよく見るようになっても変わらなかった。なぜなら、映画で扱われる戦争はすべて過去のもの、未来の戦争は創作と考えていたから。当時の私はとても恵まれた環境に育っていたので、「例えいま地球上のどこかで戦争が起こっていたとしても、いずれは人類全員が尊重され、幸せで平和な世界が訪れる」と考えていた。

ところが、そんな考えが変わったのは、大学3年次に『どんとこい、貧困!』(イースト・プレス)という本を読んでからだ。著者は、貧困にあえぐ人々の支援活動などをしていた湯浅誠さん。『よりみちパン!セ』というシリーズの1冊で、中高生向けにわかりやすく、貧困とはどういうものなのか、貧困を生み出す社会の仕組みとはどんなものなのか、自己責任論がどんなことをしてきたのか、が書いてある。

この書籍を読む前にも、貧困に苦しむ人々の存在を認識していたし、ホームレス状態にある人々を支援する「ビッグイシュー」という雑誌があることも知っていた。でも、この書籍を読んで初めて、社会と人々の生活が私のなかで結びついたのだ。

本を読んだのは2011年。東日本大震災が起こった年でもある。インターンをと、発災時には関東へ出ていた私は帰宅難民になり、ようやくの帰宅後には生活用品が買い占められ、米や水が足りなくなった。被災地の人々は仮設住宅の暮らしを余儀なくされ、精神的にも負担がかかっていることがニュースで報じられた。

当時は、批判や噂、デマなどが飛び交った。私も同級生と将来を危ぶむ話をしたくらいだ。日本に住む人はもちろんのこと、国外にいても日本に家族や友人がいれば不安や恐怖などを抱えることが多かったのではないだろうか。

この2つの出来事により、私の感じていた人間の魅力が、ふと消えた。

その代わりに生まれたのが、次の疑問だ。

「人間は自分が思っていたよりも、冷酷で自分勝手な生きものだ。これまで憧れてきた好奇心と挑戦は、単なる個人のエゴの集まりなのかもしれない。だとすれば、人間は本当はどんな生きもので、どうすればお互いにわかり合うことができるのか?」

こんな疑問が浮かんだ時、正直私は少し腹が立っていた。恵まれた環境にいて気楽に育った自分に。そして、これまで人間の冷たさにで接したたことがあるはずなのに、そこで何かしらのアクションも起こさなかったであろう先人にも。

そこで考えたのが、浮かんだ疑問を大学の制作テーマに反映することだ。作品作りのための研究は、自分自身の生き方を考えるためにも、理想の世界像を考えるためにも、役立つに違いない。

テーマを掘り下げるために選んだ方法は、映画だ。理由は4つある。

1、いくらでも借りられる環境にいたので、複数の資料から多角的に見ることができる。
2、映画はエンターテイメント性が高く、集中が切れてしまう可能性が少ない。
3、監督の感性をもとに作られるので、自分の主観や想像が入る余地が少ない。(他人の視点として見られるはずと考えた)
4、小道具、背景、登場人物の関係性など、情報量が多い。作品の背景などを見ることができ、考察の材料も揃える事ができる。

ジャンルを絞るにあたっては、「人間の極限の状態を見るほうが人について知ることができる」と考えた。例えば、飢えた人に救いを差し伸べる場合、余裕があればその分選択肢が増えるし、十分に他の人を助ける気持ちも生まれるだろう。自分が困っているときに他の人にも手を差し伸べられるのかどうかに、人間の性質が現れると考えた。もちろん映画なので、フィクションが入ることは考慮したい。

そこで戦争や紛争、差別を描いた作品を中心に見ることに決め、まずは作品数が多い第二次世界大戦を題材にした作品を中心に借りることにした。期限は、「人間という生きもの」について、行動パターンや思考の方向性が見えた時。とはいえ、それがわかるまで、なるべく早く決着をつけたい。目標を達成した後にはさらに勉強すべきことがあるはずだと考えたからだ。映画は、毎日見続けることにした。

作中人物からの問いかけ「あなたはどうする?」

結果として見たものは、いくつもの作品が存在するナチス・ユダヤものを中心に、範囲を広げてルワンダの大虐殺、南アフリカ共和国のアパルトヘイトなど。

なかでも一番印象的な視点を得たのは、「愛を読む人」(2008年)だ。第二次世界大戦後を生きる主人公の青年マイケルが21歳年上の女性ハンナと出会い、逢瀬を重ねる。物語を通してマイケルの青年期と壮年期に渡るハンナとの交流が描かれるが、中盤でハンナは戦中にユダヤ人強制収容所の看守をしていたことが明かされる。

作品のなかで、ハッとしたのは、ハンナが被告として裁判所にかけられるシーンだ。

ハンナは裁判で、収容所で働いていた理由を「求人の条件が良かったから」と話す。彼女にとってその仕事は、生活の糧だ。裁判で裁判官(に見える人物)から「多くの人を死に追いやることに対して躊躇しなかったのか」と問いかけられると、「次から次へとユダヤ人が来るからどうしても場所を空けなければならなかった」と答える。

その行動を非難されたとき、彼女は困惑の表情を見せる。そして問いかけるのだ。

「あなたはどうします?」と。
(ちなみにその職業の選択には、ある伏線が存在する。ここはぜひ映画を見て確認してほしい)

この質問は、自分自身にも投げかけられた質問だ、と当時の私は捉えた。戦時中は、他の職業の選択がなく、異なる背景を持つ人々への暴力が横行していて、上層部の命令は絶対な状況だ。ハンナは、そんな世界で生きていた普通の人間として描かれているように思う。同じような状況に生きていたとしたら、私も同じようなことをしていたのではないだろうか。なかなにはユダヤ人を助けたドイツ人も多くいたけれど、軍からの仕打ちが恐ろしい。極限の状態でそのような行動を起こすことができただろうか。

ドイツに限らずとも、戦時中に人道的な行動を起せる人はごくわずかだろう。ましてや、国や世界中がおかしな方向へ向かう前に、それを止めることはむずかしい。日本も含めて、市民は誰も戦争へ向かう自国を止められなかった。だからこそ、第二次世界大戦は起こったのだ。

 

人間とはなにか?結局わからなかった

映画を見続ける期限は「人間とはどんな生きものなのかが見えてきた時」と定めたにも関わらず、本数は少なく、この時期に見た映画は、全部で10本ほど。理由は、私自身の精神状態が悪くなってしまったためだ。

映画とはいえ、人が殺されたり、迫害されたり、精神を病んでしまったり、騙されたりしている様子を見ているのは気持ちのいいものではない。10日ほどで断念してしまった。

しかしこれ以降、在学中に細々と楽しい作品と合わせながら、 本数を重ねる事ができた。記憶はおぼろげだが、見た作品のなかから思い出せるものを列挙しよう。戦争以外の作品や物語性の高い作品も含んでいる。

「地獄の黙示録」(1979年)ベトナム戦争
「ひめゆりの塔」(1982年)沖縄戦争
「戦場のメリークリスマス」(1983年)太平洋戦争
「キリング・フィールド」(1984年)カンボジア内戦
「フルメタル・ジャケット」(1987年)ベトナム戦争
「シンドラーのリスト」(1993年)第二次世界大戦
「プライベート・ライアン」(1998年)第二次世界大戦
「太陽の帝国」(1987年)太平洋戦争
「ノーマンズランド」(2001年)ボスニア紛争
「戦場のピアニスト」(2002年)第二次世界大戦
「ヒトラー〜最期の12日間〜」(2004年)第二次世界大戦
「ホテル・ルワンダ」(2004年)ルワンダ虐殺
「ルワンダの涙」(2005年)ルワンダ虐殺
「硫黄島からの手紙」(2006年)第二次世界大戦
「ヒトラーの偽札」(2007年)第二次世界大戦
「縞模様のパジャマの少年」(2008年)第二次世界大戦
「ハートロッカー」(2008年)イラク戦争
「第9地区」(2009年)南アフリカ共和国アパルトヘイト
「インビクタス」(2009年)南アフリカ共和国アパルトヘイト
「戦火の馬」(2011年)第一次世界大戦

 

しかしこれほど見ても、結局「人間とはなにか?」という問いへの明確な答えは得られなかった。人間の感情はあやふやで、怠惰で、状況に合わせて転がり落ちていく危うさを持っている。一方で、頑として自分の信念を曲げない人もいる。その時々の決断は、状況に左右されるため、一概に言うことは難しいだろう。

もはや、善にも悪にも転び得る“柔軟さ”こそが、人間の特性なのかもしれない。「人間」という生きものを定義することは、永遠に無理なことなのかもしれない。

冒頭に書いた「人がする最良の選択に、”他人への考慮”も入っているか?」と問いかけに対して、いまの私は「いいえ」と答えるだろう。人間は基本的に、利己的で冷たい生きものである。

一方で、一概に言い切る事もできない。それまでの人生で出会った人物や経験自他事柄で、意見や見方は人によって違うはずだ。この結論を踏まえて、これからの社会をどう生きていくか、どのようにしていくかを考えていきたい。

 

紹介した映画
「愛を読む人」(2008年/アメリカ・ドイツ合作)
監督:スティーブン・ダルドリー
出演:ケイト・ウィンスレット、レイフ・ファインズ、デビッド・クロス、レナ・リオン、ブルーノ・ガンツ、他